01 呪いの魔法
リグスハインは計画的に建設された、比較的新しい都市である。
剣士や魔術師を育成するリグスハイン学院――世間では単に『学院』などと呼ばれている――を中心にして、周囲に観光客用のコロシアムや、鍛冶場などの学院関連施設、さらにその外周には、宿屋や市場などの商業施設が円状に広がっている。
リードは故郷を離れ、3日かかる道のりを経てこの街を訪れていた。本日行われる入学試験のためである。
――実のところ、これが9度目の来訪だ。
中心部へと向けて進み、学院の敷地へと入る。試験会場の広場に着くと、すでに大勢の人でごった返していた。
学院に入るには、剣士・魔法剣士・魔術師のクラスごとに行われる実技試験をパスすることが必要だ。
学院において『剣士』とは便宜的な呼称で、実際には槍や斧、徒手空拳を駆使して戦う者もいるので、近距離・中距離・遠距離の戦い方を主に学ぶためのクラス分け、と言い換えることもできる。あるいは、魔法を使えない者と使える者、というような。
受付でリードは、迷うことなく今回も魔法剣士のクラスを選んだ。風の剣士はそこで教鞭をとっているはずなのだ。
その魔法剣士の試験会場へ向かおうとしたとき、背後から声をかけられた。
「あの、すみません」
振り向くと、銀髪の少女がそこに立っていた。幼いが、息を飲むような美貌だった。
「剣士クラスの会場へは、こちらで合っているでしょうか」
もう試験会場にも馴れたものである。正しい方向を教えると、その少女は礼を述べてから去っていった。
リードより年下だろう。しかし凜とした立ち振る舞いと、なにより、
(気配をまったく感じなかった――できる)
彼女のような強者とひたすら剣の腕を極める日々も、きっと充実するのだろう。
しかし、リードが目指すのはあくまで魔法剣士だ。剣士ではない。
◇
魔法剣士のブースでは、剣と魔法、両方の適性を審査される。
そのうち剣技の試験は、学院生との実戦形式で行われたが、リードはむしろ相手を圧倒した。
(おお、あの動き素人じゃないな)
(何者だあいつ?)
(知らないのか? 常連らしいぜ、常連)
(あれが噂の……)
などと囁く声がするが、リードは一向に気にしない。
次いで魔法の試験。
これが問題だった。
「君ねぇ、毎度毎度、まったく進歩が見えないんだけど……」
普段は魔法剣士のクラスを教えているという女性の試験官は、呆れた表情を浮かべてぼやいた。離れた的に魔法を当てるだけの試験なのだが、構えたリードの手のひらからは何も生まれない。
火の玉も、水の矢も、風の刃も……。
「未熟でも構わないけれど、最低限はこなしてもらわないと『ショー』にもならない。分かってるでしょ?」
「……はい」
学院生は学ぶだけが仕事ではない。
ときには実戦形式の訓練を『見世物』にすることで、住民や観光客などから観覧料を得る。
あるいは、外部からの依頼を学院生がこなし、経済的に学院を、街を潤す。――衣食住と引き替えに、そうした義務を負うのだ。
魔法剣士と謳っておきながら、火の玉ひとつ放れないようでは困る。試験官の彼女はそう言っている。
そしてそれは、リードも重々承知していた。
学院の試験は3月に1回の頻度で行われている。つまり、リードは一昨年から数えてこれで9回目の受験になる。自分に魔法の適性がないことなど重々承知していた。
「なぜそうまでして魔法剣士にこだわるの? 剣士としてならあなた、十分な実力と素質があるのよ」
「……自分には夢があります」
「『夢』ねぇ」
試験官はあざけるように笑った。
「『誰よりも強い魔法剣士になる』だっけ? あのね、夢を見るにも資格は必要なのよ。そうね、あなたがその資格を持ってるっていうんなら――」
試験用に準備されたかかしをあごで示して、
「まずはあの『強敵』を倒してからにしてもらおうかしら」
彼女は鼻で笑った。他の受験生からもくすくすと笑い声が漏れる。
「現実の見えないお子さまは田舎に帰って夢でも語ってなさい。――はい次」
悔しい。
馬鹿にされたことがではない。どれだけ鍛錬を重ねても、まったく魔法をものにできない自分自身が腹立たしかった。
風の剣士と別れてから今日まで、剣と魔法の鍛錬を欠かしたことはない。毎朝師匠のもとで剣を振り、昼は村の大人の猟を手伝って山に入り、体を鍛えた。村に戻るとシャルロとともに魔導書にかじりつき、夜もひとり魔法について学んだ。
それでも一向に上達しなかった。
魔法を学ぶため、師を求めて回ったこともあるが、皆から門前払いを受けた。「おまえには才能がない」という言葉を、何度聞いたことか。
――しかし、それも終わりだ。
母とは、今回の試験が最後だと約束をした。いつまでも夢を追うだけの子どもではいられない。そういう現実も、彼はわかっているつもりだった。
だがこのままでは終われない。
リードは風の剣士の魔力にすっかり取り憑かれてしまったのだ。目標を見つけてしまった。他の何を投げ出してでも掴みたい夢が。諦めようとしても無理だった。ならば、惨めでも無様でもやるしかない。
うつむきかけた顔をあげた、そのときだった。
「おい待て、このバカ女が!」
どこからか声がした。
いや、どこから、というのは正確ではない。
その言葉は間違いなくリードの口から飛び出たもので、声だって彼自身のものだった。だがけっして自分の意思によるものではない。
「……なにか言った?」
女試験官が、ゆっくりとこちらに向き直った。
いや自分は、と言いかけたリードは、さらにまくし立てる。
「聞こえなかったかこの腐れビ●チ! オレ様が本気出してやるっつってんだよ! ありがたく拝みやがれ!」
「は、はあ……?」
顔を歪ませる試験官に、リードは違う違うと首を振る。
だが、出てくる言葉はやはり攻撃的なものだった。
「やれやれ、耳まで悪いのかよ。節穴なのは目だけじゃねぇんだな」
勝手に口が動く。思ってもいない言葉が次々に出てくる。
俺は一体なにを? 顔面に脂汗をびっしり浮かべ、必死に弁解しようとするが、それももう手遅れだった。
「本気を見せてくれるって? いいじゃない、やってもらおうじゃないの」
青筋を浮かべる試験官に、いまさら言い訳など通じそうにもなかった。
「いいぜ、見せてやるよ。けどよ、あんなしみったれた的じゃイマイチ乗り気になれねぇんだよな。……そうだ小娘、テメエが的になれよ。オレ様の風魔法で切り刻んでやるからよ」
真面目くさった試験官の頬が、びくびくと痙攣する。
「……へ、へえ。いいわよ。特別にもう一度チャンスをあげる。……でもね、そこまで言うからにはあなたも約束しなさい。これで駄目なら、二度と魔法にも、剣にも関わらないとね」
「ああ、お安い御用だぜ」
全然お安くない。なんだ、本当になにを言っているんだ俺は? 剣を捨てる? 魔法を諦める? そんなこと、できるわけがないのに……!
この場の誰よりも、リードが自身の言葉を信じられない。
しかし事態は進む。
試験官は剣を抜き、魔法を撃ってこいと身構えた。
「チャンスは一度きりよ、いいわね」
「うっせーな、わかってんだよ地味女!」
「じ、地味……!?」
リードは左手をかざし詠唱を始めた。もちろん彼自身の意志ではない。
「《疾きもの・するどきもの・荒ぶるもの・選ぶもの・従うもの・禍つもの》」
6節からなる魔法。リードはまだ、単節の魔法すら発動させたこともないというのに。
(失敗する!)
一度は集まった魔力が四散しようとするのを彼は感じた――しかし、なんらかの力が、それを押しとどめる。
初めての感覚だった。
リードは叫ぶ。
「来たれ!《暴刃の檻(ジグ・ラ・ゾート)》!」
一瞬の出来事だった。試験官の周囲、八方に風の刃が出現して、彼女に殺到する。同時に2人を取り囲む受験生からも驚きの声があがった。6節の魔法など、そうそうお目にかかれるものではない。
凶暴な風が彼女の体をずたずたにする。鋼製すら切り裂く魔法の斬撃だ。油断してほとんど無防備だった彼女の肉体など、紙切れに等しいだろう。
「き、きゃあああああ!」
しかし彼女の悲鳴は、肉を切られただとか、骨を断たれたとか、そういうものに対してではなかった。
彼女は無傷だ。
……ただし裸だ。
正確には、かつて服だったボロ布と、赤い下着だけが彼女の肌を包んでいた。
「へ? え、なんなの、なんなのよコレ!?」
胸をかばうようにその場にしゃがみ込んで、驚きに目を白黒させる。
だが唖然としているのはリードも同じだ。
(俺が、こんな魔法を……?)
手のひらには、初めて放った魔法の感触が残っていた。
指が震えている。吐息が熱い。
これが魔法か――。
試験中だということもすっかり忘れて――それから、試験官が半裸になっていることすら視界に入らず、リードはただ、熱に浮かされたようにつぶやいた。
「素晴らしい……!」
と。
「なんと素晴らしい! シャルロにも、村のみんなにも見せてやりたかった!」
「む、村の? 私の裸を!? 素晴らしいって、なにがよ」
試験官は涙目だ。あるいは地味な外見に似合わない、フリルのついた派手な下着をさらしていることに耐えられないのかもしれなかった。
ところが彼女の悲鳴など、リードの耳には届かない。魔法を放った感動で涙すら流しそうだった。がしっと拳を握りしめ、恍惚に満ちた表情で、
「ああっ……最高、最高だ!」
「い、いやあ!」
「しかもこんな派手で、美しい……! これぞ長年追い求めてきたものだ!」
「ひっ、ひいいいいっ! 犯される!」
ほとんど裸になったその身を抱き、うずくまる女性試験官。
感激して、涙すら流す魔法剣士。
そんな光景を目撃した受験生たちは、異口同音にこう叫んだという。
「へ、変態だぁーーーーーーーーーーー!!」