18 すれ違い
不覚……!
リードは奥歯を噛みしめ夜の街を疾走した。
ロキのたわ言に気を取られ、本来の任務を忘れ、カグヤを一人にしてしまった。これでもしも彼女の身に何かあったら、悔やんでも悔やみきれない……!
深閑とした工場地帯に風景が変わったあたりで、リードは殺気と物音とを感じ取った。
その方向へ、速度を上げて走る。
いた。間違いない、あれが例の変態魔術師だ。そして――
「カグヤ!」
変態魔術師の向こう側で、満月を背に銀髪の少女が宙に浮かび、その何もない空間に磔にされていた。
リードの叫ぶ声に反応して、魔術師がくるりと振り返る。一陣の風が吹き、彼の長い髪と、コートとをはためかせた。なんという服装だ。半裸ではないか。
「我輩の邪魔をするか?」
低音で、人の心をざわつかせるような声音だった。
変態は口の端を歪ませ、
「ならば容赦せん!」
それはこちらの台詞だと、地を蹴り、リードは突進する。転瞬、変態の股間が白く光り、何かが飛び出してきた。
リードはとっさに身を低くし、石畳に転がるカグヤの短刀を拾いあげたが、
「リードさん!」
カグヤが叫ぶのと、リードの体が硬直するのは同時だった。
動かない。体が動かない。見ると――小さな何かが全身にまとわりついていた。虫か?
いや、これは――
「妖精か……!?」
「いかにも」
変態魔術師は尊大な口調で言う。
「我輩、妖精魔法の使い手である!」
薄くて小さな羽根を持つ、女性の姿をした手のひら大の妖精が、リードの周囲で飛び回っている。
「クキキッ、【仕立屋】の連中か」
肩のあたりでロキが笑った。
「なんだ、それは!?」
「糸と針を使ったイタズラが好きな、タチの悪い妖精どもサ。人間の服と服を縫い合わせてみたり、獣を木の幹に縛りつけたり――まあ、しょうもない奴らだよ」
「おまえが言うか」
「とはいえ、人間にとっては厄介な相手だろうよ。何しろあいつらには『物質』なんて概念は無いからな。たとえ形のないものであっても、奴らの糸にかかれば簡単に固定されちまう」
ロキの言うとおりだった。小さな『彼女たち』は、手に手に縫い針を携え、リードの服へと緑色に光る糸を通し、何もない空間に縫いつけ、固定していた。
そして互いに顔を見合わせては、けたけたと笑って、また縫う。
カグヤも同じ手口で空中に固定されているらしい。
「ふはは! そこで見ているがよい、愚かな少年よ!」
言い放ち、変態魔術師はその怪しい視線をカグヤに注いだ。カグヤは眼だけで魔術師をにらみ返す。
「ああいい、とってもいい! その悔しげな表情はいいぞ、美しい!」
べろりと舌なめずりをして男は、
「……少年。この憐れな少女がどうなるか、聞きたいか? 聞きたいであろう? ふふふ、今宵、我輩はこの少女を隠れ家へと連れ帰る。そして! この素敵な【仕立屋】たちによって、さまざまな衣装を着せてやるのだ! 試しに――まずは!」
ぱちんと指を鳴らすと、妖精たちがカグヤの周囲をひらりと舞う。
すると、瞬きのあいだに彼女の服装は替わった。
クラシックな、ロングスカートのメイド服だ。
リードは戦慄する。
「な、なぜメイド……!?」
「趣味である! しかし、我輩の可愛い可愛い妖精たちの、その恐ろしい能力はこんなものではないぞ!」
魔術師が言うと、カグヤがぎこちなく口を開いた。
「お、おかえりなさいませ……、旦那様……」
自分で言って、それから戦慄するカグヤ。これにはリードも身に覚えがある。あれは言わされているのだ。自分の意思ではない。見ると、妖精の糸によってカグヤの口が操られている。
「それも趣味か!? この変態め!」
「趣味である! 我輩、『ご主人様』よりも『旦那様』派なのである!『若旦那』でも可!」
「知らん!」
妖精がきらりと舞うと、今度は、ふりふりしたスカートと、獣人の耳を模したカチューシャがカグヤに装備される。
「私、カグヤちゃんだ、ぴょんっ☆ っ……!??」
「次ぃ!」
カグヤの姿が次々と変わる。
裸にエプロンだけのあられもない姿に。その次は網タイツのボンテージに。水着やセクシーランジェリーにも。
うす水色の神官服は、やたらと薄手で肌が透けているという、背徳感仕様だった。
なんということだ。強制的に衣服をチェンジさせられ、そのうえ、ポーズや表情まで強要されている。恐ろしい魔法だ。
「ふふふ……これぞ我が妖精魔法!《ヤっちゃいなよ☆コスプレ革命|(ホットリミット☆レボリューション)》であーる!」
高らかに言う彼の声に呼応して妖精たちは、まるで夏を刺激するかのようにはしゃぎ、飛び回る。マーメイドタイプのワンピースに身を包んだこびとたちの、白くて魅惑的な生足が夜空に舞う。
「変態め、その子を離せ!」
総身に力を込め、着衣を引き裂きながら、リードは前へと出る。
【仕立屋】たちの糸は首にも巻きついていたが、自身の肌すらはぎ取る勢いで、その糸を千切っていく。
『――――っ!!』
妖精たちが金切り声で叫び、ふたたびリードを束縛しようとする。
リードも負けじと短刀を振り、応戦。《斬空・万迅風牙(ばんじんふうが)》を放つ。風の刃が【仕立屋】の一匹に向かうが、相手は避けようともしない。
風の刃は妖精の細い体にぶつかると、ぱきんと軽い音を立て、砕け散った。
けたけたけた。
妖精が笑う。
あの魔術師は『妖精魔法』と呼んでいたが、それはいわゆる俗称で、これは契約魔法だとか、召喚魔法だとか呼ばれる類の魔法だ。契約魔法とは、術者が相手に代償――それは膨大な魔力であったり、ときに自身の血肉であったりする――を差しだすことで、術者の召喚に応じさせるというものだ。
あの変態魔術師も何らかの贄を差し出しているのだろうが、今回はさらに、【仕立屋】とのあいだで、他人の服や自由を弄ぶという趣味が一致したのだろう。
ともかく、ここにいる妖精たちは、本来はどこか別の場所に棲む、実在する生命体なのだ。例えばアルデアが得意とする《遊撃流星群》のように、物体を創造する魔法とは根本が異なる。
その意味では、ロキの呪いも契約魔法の一種と言っていいかもしれない。ただし主はロキで、リードは従うだけしかできない、一方的な契約ではあるが。
そして――
相手が神性を帯びた超常的な存在である以上、人間の剣技はほとんど通じない。
当たらないことはないのだが、彼らの体は人間とは別のロジックで形成されているため、ろくにダメージも与えられないのだ。
妖精族は、神族、竜族に次ぐ神格の持ち主。リードの放った《斬空・万迅風牙》は、それこそ神業めいた剣速によるスキルだが、あくまで剣術の延長だ。彼女らには通じない。
人の業の、それが限界。
だからこその魔法。
人が神に近づくための法。
人ならざる者に抗うための法――それが魔法だ。
「ロキ、ひとつ訊ねる」
妖精たちを視線で牽制しながらリードは、
「貴様に風魔法が効かないのは、男だからではなく神族だから、で間違いないのだな?」
「ああん!? テメぇ、また喧嘩売ってんのか?」
「そうではない。相手が妖精族であっても、女なら通じるのか、という意味だ」
「クキキっ、そういうことかよ」
ロキは口元を歪め、
「ああ、通じるぜ。でもいいのか? あの小娘まで巻き込むゼ」
「そしりは受ける。それで彼女が救えるのなら……!」
リードは、かざした左手に精神を集中させた。
唱えるは6節。
「《《疾きもの・するどきもの・荒ぶるもの・選ぶもの・従うもの・禍つもの》――」
「無駄である!」
変態魔術師は、その長い両腕を広げ、
「我輩の【仕立屋】はノロマではないのだよ!」
リードが放とうとしている《暴刃の檻》は、対象の周囲に強靱な風の刃を発生させて、四方八方から斬りつける強力な風魔法だ。
そして相手は知る由もないが、ロキの呪いにより対象を――女性を自動追尾し、どこまでも追っていく。
しかし、数が多すぎる。妖精たちの数は今や、20を軽く越えるほどだ。その1匹ずつが自律して行動し、ひらひらと夜空を舞う。おそらく《暴刃の檻》が枝分かれして襲ったとしても始末しきれないだろう。
『―――、――――!!』
妖精たちもこちらをはやし立ててくる。
撃ってみろ、そんなものに当たってたまるか。そう言っているように聞こえた。
だが。
リードは、かっと両眼を見開いた。
《ぼんやり見》――――解除。
《シルフィードの魔眼》――――――発動!
ごう、と竜巻めいた風が吹く。
妖精たちは金切り声で慌てふためくが、もう遅い。風は殴りつけるように彼女たちを渦の中心へと誘い、一箇所に集め、その可憐なドレスを引き裂く。そして、
「来たれ!《暴刃の檻》!」
リードは初めて自身の意思で女性に向かってそれを放った。魔法によって生み出された刃が彼女たちに殺到する。
妖精の悲鳴は暴風にかき消され、
「ぬ、ぬううっ……!?」
魔術師は困惑の声をあげる。
リードの放った魔法と魔眼により生じた風は、【仕立屋】と、そしてなぜかカグヤの『服』だけを切り裂くのだ。
男である魔術師にも、彼女たちの肌にも、かすり傷ひとつ与えずに。
「き、貴公も同類であったか!」
飛行魔法で逃亡を図る魔術師へリードは、
「断じて違う!」
一喝すると宙を駆け、肉薄する。
「はああああ――っ!」
逆手に握った短刀で、ざん、と、魔術師の胴体を逆袈裟に斬りあげた。低く、くぐもったあえぎ声とともに、魔術師はぐらりと地に落ちる。
リードの手元で月光が短刀に当たり、きらりと輝いた。
「安心しろ、峰打ちだ」
◇
その後――。
駆けつけた街の自警団によって変態魔術師は拘束された。
ついでに、下着姿の銀髪の少女をほとんど裸で抱きしめていたリードも、「貴様も変態の一味か!」などと嫌疑をかけられ捕えられてしまった。むしろ「おまえが首謀者だな!?」とさえ脅された。
カグヤは弁護してくれたが、「これがなんとか症候群とかいうやつだな。加害者に感情移入してしまって……かわいそうに!」と、訳の分からない理屈で一蹴されてしまった。
そこへ騒ぎを聞いてやって来た学院の女性教官が(すごく嫌そうな顔で)事情を説明してくれ、朝焼けのまぶしい時間になって、ようやくリードは解放された。
ともかく、こうして二人の初任務は一応の成功を収めたのであった。
◇
リードがカグヤに声をかけられたのは、さらにその翌日、夕どきの食堂でのことだった。
彼女は肩を怒らせながら近づいてきた。
無理もない。
任務中、リードは不注意から彼女を1人にし、危険にさらしてしまったのだ。1、2発殴られるのや、場合によっては斬りつけられても文句は言えないだろうとさえ思った。
ギルとミーファが彼女の姿に気づいたとき、リードはすでに席を立っていた。
すまない、と口を開きかけたリードを遮ってカグヤは、
「まずはお礼を言わせてください。昨日もまた助けられてしまいました」
感情を押し殺したような声だ。
「そして自分の無力さを思い知りました……」
違う。ゆうべリードが勝利できたのは、呪いの魔法のおかげだ。剣だけではリードも魔術師に敗れていただろう。
それに――
「君から目を離したのは俺の落ち度だ。申し訳ない」
リードは深々と頭を下げた。
「顔を上げてください」
言われて、そこでリードはあらためて気づいた。カグヤの服装だ。いつもの肌に密着した服ではなく、袖の短い、彼女にしては露出の多い格好だった。
「それと……その」
彼女は顔を赤らめる。それまでのむっつりした表情は崩れ、両手を胸の前でもじもじさせていた。
「リードさんにお話したいことが、あるのです」
「話? なんだ?」
カグヤはしばらくうつむき、それから意を決したようにリードを見た。
「私、こんな気持ちは初めてで……リードさんが気づかせてくれたんです!」
突然の大声に食堂がざわつく。
リードの後ろでは、ギルがひゅうっと口笛を吹いて、ミーファのげんこつを食らっていた。
「私……、私は……!」
必死な表情になってカグヤは叫ぶ。
「私は!――『痴女』らしいのです!」
「――は? な、何を」
「私は、無理矢理服を脱がされるのが気持ちいい――みたいなんです!」
「ふ、服?」
「はい、教えてくれたのはリードさんです! あの日、岩山を脱出したときも、そしてゆうべも、リードさんに助けられて、服を脱がされて……そして肌に触れられて!」
顔面を紅潮させてカグヤはまくし立てた。
「そのことを思い出すと、胸が締めつけられるように痛くて、燃えるように熱くて、けれど、とても幸せで――不思議な気持ちになるんです! これはきっと……私が痴女だからだと思うんです!」
「い、いや……そう、なのか?」
しどろもどろになって振り返ると、ギルが身をよじって笑いをこらえていた。
「リードさん!」
「は、はい」
「あなたの風魔法は最高です! 服は激しく切断されても、肌に触れるのはそよ風……絶妙なんです! 敏感肌にびんびん来ます! しかもそのうえ……そうして剥き出しになった肌に触れられると、全身が悦ぶのです」
カグヤの勢いは止まらない。
「信頼のできる相手に肌をさらけ出す開放感。敏感なところに、優しく触れてもらえる幸福感……! リードさんの硬い剣ダコや、力加減が素敵なんです! 私、お屋敷で教わりました。異性に肌を見られ、触れられたら、責任を取ってもらわなければならないと!……ですから今日は、リードさんに責任を取ってもらいに来ました!!」
「せ、責任って」
「リードさん、毎日、私のことを脱がせてください! ゆうべ思い知りました! リードさん以外の男に脱がされても、何も感じないのです! あなた以外では駄目なんです! お願いします!!」
「いやいやいや、待て待て、なにか間違っているぞカグヤ!」
彼女の肩を掴み、正気に戻そうと説得を試みるが、
「んうっ! そ、そんな、服の上からだなんて……殺生です!」
「へ、変な声を出すな!」
しかし、なおもカグヤは潤んだ瞳で見あげてくる。
「お願いします、直接肌を、あの時みたいに、裸と裸で!」
「どの時だ! ……し、したけども! もうしない! しないからな!?」
変態魔術師を打ち倒したとき、カグヤの拘束も解けた。
そしてリードは、落下する彼女の体を抱きとめた。【仕立屋】のしわざによって、互いに下着だけになった姿で、しっかりと肌と肌を触れあわせた。
それは確かにそうなのだが。
「では……せめて3日に1度、あなたの風魔法で私を脱がせてください!」
「頻度の問題ではない!」
「リードさんが悶々として女の子を脱がせたくなったらいつでも呼んで頂いていいんです!」
「だから!」
「じゃあ上半身だけでも!」
「パーツの問題でもない!」
「お願いします、なんでもしますから……」
涙声ですがるカグヤに、同情の声があがる。やれ責任を取れだの、変態のくせに羨ましいぞだの、カグヤちゃん頑張れだの、どっちも変態だ、だの――。
「ぐ、ううう……」
苦悶の末、リードはしぼり出すような声で言った。
「……5日に1回だ」
「っ、はい!」
歓喜に身を震わせるカグヤに惜しみない拍手が浴びせられ、リードはいつものようにがっくりと肩を落とした。