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17 臆病者の鎧

 ――寒い。


 リードと離れてしばらくして、カグヤは身震いした。

 夏を迎えようとする夜風は温かかったが、それでもカグヤは震えた。硬質化は解除したままでいる。敏感肌で気配を感じ取るためだ。


 夜の闇、狭い石畳の路地――


(ああ……)


 と、カグヤは思い出す。


 街頭に放り出されたあの冬の日のことを。それから、もっと以前、自分と父を置いて去った母のことも。


 エインリッヒに救われてからは、生活はずいぶんと楽になった。飢えや寒さに震えることはなくなった。


 ただ、カグヤは同時に、居心地の悪さも感じていた。


 お屋敷の人たちは何かと世話を焼いてくれたが、彼女たちもまたカグヤと似たり寄ったりの境遇で(自分のことを棚にあげるが)、彼女たちは人付き合いがうまいほうではなかった。互いに不器用だった。だから、剣と剣でわかり合うほかなかった。


 拾ってくれたエインリッヒを失望させないため、剣の腕を磨くしかなかった。


 もちろん、エインリッヒは彼女たちに何かを要求したことはなかったし、カグヤがそのままの少女であっても、見捨てたりはしなかったのだろう。


 だから、剣を取ったのはカグヤ自身の意志だ。彼に見捨てられたくない一心で剣を振った。


 屋敷を出て外で生きていくための技能でもあったし――。


 カグヤはそれまで剣など触れたことなどなく、体も小さく、腕力もなかった。手のひらにできたマメは何度も破れて、あかぎれの痛さを思い出させた。


 夜になると、広い部屋の静かなベッドで震えて眠った。

 寒かった。


 もう捨てられたくない、見限られたくない――そんな思考ばかりが渦巻いて、夜の闇に呑まれてしまいそうだった。


 だから強くなろうとした。


 強くあろう。震えを悟られないようになろう。何者にも傷つけられない鎧をまとおう――


 そう、けっして自分から離れることのない鎧を。


 生まれついての敏感肌は、外界からの刺激に弱すぎた。寒さや痛みに、とても弱い。誰かの他愛ない視線ですら刺さるように感じる。そのたびカグヤは身構えなければならなかった。


(嫌われたくない、痛いのは嫌だ――)


 ぎゅっと全身をこわばらせるその癖が、彼女に《臆病者の鎧(バイブスキン)》を身につけさせた。これなら手にマメをつくることもないし、お屋敷の人たちの視線も気にならない。こちらの怯えを悟られることもない――。


 これでいい、とカグヤは思った。


 独りがいやで――けれど、進んで独りになろうとしている矛盾に気づきもせずに。いや、気づいていても、見て見ないふりをしていた。


 屋敷を出て学院に入ってもしばらくは、同室の友人ともぎくしゃくした日々が続いた。彼女がああいう性格でなければ、そして、互いに剣を学ぶ間柄でなければ、今でも口を利かない関係のままだったろう。


 剣術の道を進んでいけば、同じ道をゆく人と繋がっていられる。そうして、自分も、少しずつ大人になれているし、他人とも付き合えるようになっている。


 そう思っていたのだが……。


 リードの前ではうまくいかない。自分の感情を悟られるのが怖い。私のことをどう思っているのか、それを知るのが怖い。


 だというのに、離れたくない――。


 カグヤは立ち止まり、自分の肩をぎゅっと抱いた。この感情は本当に、なんなのだろうか――。


 そんなことを考えていたせいかもしれない。


『その気配』に気づくのが遅れたのは。


 敏感肌は、遅ればせながら危険を察知した。


 前方の暗闇に向かって、カグヤは問いかける。


「……何者ですか?」


 こつこつと石畳を歩く足音がして、真っ黒な、この季節には似つかわしくないロングコートを羽織った男が、闇から染み出てくるように、その姿をあらわした。


 長身で、頬はこけ、髪は長く無造作に頬まで垂れている。


 そして、何より特徴的だったのはその眼――獲物を見定めるようにぎらぎらとしたまなざしが、カグヤへと向けられていた。


「お嬢さん……」


 ねっとりとした声で男は言う。

「我輩と一緒に、エクスタシィを感じてみないかい?」


 変態だ。

 ひと言で変態と分かる言葉を吐き出し、その男は口元を歪ませた。


 カグヤは身構えた。眼前の男が、カグヤたちの追っている不審者であることはほぼ間違いないだろう。


 だがリードの飛び出してくる気配はない。どうしたのだろうか。


 あたりは静まり返っている。このへんの街区は、繁華街や住宅街からも離れた工業地帯――エイベクリスタルの最終加工を施す工場が建ち並ぶ区域で、夜間は人気がない。


 相手は魔術師という話だ。実際、こうして対峙してみてもその印象は変わらない。まだ互いの距離は、家一軒分以上もある。一足で縮まる距離ではない。剣士のカグヤにとっては不利な間合いだ。


 それに、今は愛用の孤月刀すら持っていない。


 しかし――ならば。


 相手に魔法を行使する時間を与えてはならない。先手必勝だ。


 すばやく駆けて間合いを詰める。カグヤが用意しているのは短刀ひとつ。太ももに隠し装着していたそれを、ワンピースの裾から手を入れて抜き放つ。逆手に握ると、低い体勢で魔術師へと殺到した。


 が――、その突進がびたりと止まる。


「……な!?」


 まるで空間に縛りつけられたかのように、首から下の動きが拘束された。


「ふ、あははははははははははは!」


 狂ったような笑い声をあげ、魔術師は、自身のローブをばっと払った。


 カグヤは絶句した。彼の変態性を見くびっていた。彼は――あられもない格好だった。大事なところは隠してあるが、コートの下は半裸……半裸だ!


 黒いボンテージ姿。幅の太い包帯で、全身を、無秩序にぐるぐる巻きにしたような奇抜なファッション。肌を守る気などさらさらない。


 なぜか乳首は丸見えだし、股間もかなりきわどくて……すごく嫌だ。カグヤは、全身の血の気がさあっと引いていくのを感じた。


「我輩、世界に革命を起こす! 飛び出せ我輩のリビドぉー!」


 ワケの分からないことを叫ぶと、男の股間がまばゆく光る!


 その光の中から、白い何かがカグヤ目がけて飛び出してきた……!


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