16 ロキの思惑
物陰に身を潜めてカグヤの背を追い始めると、すぐそばで小さな羽音がして、ロキがわめきだした。
「よしリード。オマエの予定どおり、あの小娘をひん剥こうゼ」
「捏造するな。そんな予定はない。今後もない」
ロキのほうには目もくれず、カグヤの尾行を続ける。夜の闇にまぎれ、小さな背中をこっそりと。
これではまるで、本当に変態の所業だ。
リードはみじめな気持ちになるのをぐっと押さえながら、彼女を見失わないよう、そして犯人に気取られないよう、慎重に物陰から物陰へと身を移す。
暗闇に目をこらす必要があったが、気を抜くと《シルフィードの魔眼》が発動してしまうので、あくまで《ぼんやり見(ファントムレーダー)》の構えを解くわけにはいかない。
なかなか骨の折れる作業だったが、しかし不満を漏らしている場合ではない。
カグヤのほうがずっと危険なのだ。
相手は変態。
婦女子の服を脱がせ、陵辱する変態……。外道……。
自分とあまり変わらないな、と切なくなった。
「つまんねぇぜ。脱がせようぜ、早く脱がせようゼー」
耳元がうるさい。
「貴様、そんなに女の裸が見たいのか? 本当はやっぱり男じゃないのか?」
「オマエもしつこいな。オレ様は女だ。超絶! 神クラスの美少女ダ!」
「…………。(ここはそういうことにしておいてやろうか。)そうだな、美少女だな」
「テメェのその変な間は、人を傷つけるから気をつけろよナ?」
「傷ついてくれたのなら何よりだ」
「ムキー!」
「おい、髪をひっぱるな!」
ひとしきり暴れてからロキは、
「オレ様はよ、別に裸を見たいわけじゃねーのさ。女を裸にして、悶え苦しむオマエのざまを観察して、きゃっきゃと笑いたいだけなんだヨ」
「つくづく最悪だな」
リードはふいに、何度も考えてきた疑問を彼女にぶつけてみた。
「なぜ俺なのだ?」
「ああン?」
「貴様はなぜ俺に取り憑くのかと訊いている。……暇つぶしだというのは理解しているが、なぜよりによって俺なんだ?」
「今さらだなリード、リード・バンセリア!」
ロキは身をよじって笑う。
「オレ様は暇で暇でしょうがなかった。魔界でのイタズラにも飽きちまってさ、もっと面白いオモチャを探してたってわけだ。そんで人間界をのぞいてると、オマエを見つけた。これはいい獲物だと思ったね。そんでオレ様は、オマエの夢を、『最強の魔法剣士』ってやつを叶えてやろうと、そう思ったわけさ。イタズラのついでにナ!」
「そんな、『もののついで』で扱うな」
「オレ様は気まぐれという名の試練なのさ。なあリード、夢を見ていいヤツ、夢を語っていいヤツってのは、どんなヤツだと思う?」
唐突な質問にリードは眉をひそめる。
「オレ様が見立てるに、それは2種類だ。ひとつは、自分の才能を信じて疑わないヤツ。もうひとつは、ほかの全てを捨てられるヤツだ」
「……それがどうした」
「そういう人間がもがいて苦しむさまってのはよ、見てて飽きねぇんダ。魔界のヤツらにそんな変態的な根性はねぇ。――神族ってのはなんでもできちまうからな、才能とか、そういう次元じゃねーワケよ。でも人間みたいな下等な生物は、チョットした魔力の優劣やら、技術の差なんかで一喜一憂しやがる。くっだらねぇ。くだらねぇケド……だから面白いんだ。オレ様にとっては最高の喜劇だネ」
「俺の足掻くさまは、喜劇か」
「傑作の部類だヨ。自慢していいゼ」
「…………」
カグヤを追って、石畳の通りを滑るように移動しながらリードは、
「俺は、どっちだと見たのだ?」
「ん?」
「2種類のうち、どちらだと思ったんだ?」
「おいおいそれこそ聞くまでもねーだロ? 自分のことだゼ?」
ロキは可笑しくてたまらないといったふうに、
「『両方』だよ『両方』――オマエ、自分が、誰よりも強えって思ってるだろ?」
「そんなことはない。ここには俺より強いやつがゴロゴロいる。学院生にも、教官も、そしてもちろん風の剣士も」
「今のところは、だろ?」
「……どういう意味だ」
「しらばっくれんなよ。今はたしかに自分より強えかもしれねーが、いつか絶対に追い抜くって、胸のなかでは確信してやがる――それがオマエの本質だ。最強の魔法剣士? 今日日、そんなクソみてーな夢物語を本気で目指すヤツなんざいねーヨ。だから面白いんだオマエは……そのうえ、不要なものなら切り捨てる。そういう覚悟も持っている」
「そんなことはない」
「じゃあなんで学院にしがみつく?」
リードは足を止め、そこで初めてロキのほうへと顔を向けた。
「クキキッ、自分がどう評判されようと、少なからず犠牲が出ようと、実のところ、オマエはまったく気にしちゃいねーのサ」
否定しようと口を開いたが、それより早くロキがまくしたてる。
「たしかにオマエは紳士的なんだろーヨ。自分の魔法で女をひん剥くことに、罪悪感も覚えてるんだろう――でもよ、『最強』ってヤツとその道徳心を天秤に掛けたとき、果たしてどっちに傾くのか――オマエはよーく分かってるはずだゼ。それこそ、考えるまでもないくらいに」
「…………」
「それがオマエの本質だ。だからオマエを選んだのサ。長く、ずっと遊べると思った。クキキっ、予想的中で、オレ様は嬉しいゼ」
押し黙るリードにロキはなおも語りかける。
「オマエの才能ってのは、剣術の腕でも、超人的な体力でもない――その諦めの悪さだ。そこだけは最高だと言ってやってもいい。最高に諦めの悪いバカだ、オマエは」
「…………」
「オマエら人間が『最強』を目指すなら――オレ様みたいな神族と渡り合おうって言うんなら、努力なんて生ぬるいもんじゃ足りねぇ。『狂気』だ。狂気と、それに見合った地獄が必要だ。地獄でみっともなくあがき続ける……それくらいの覚悟がねーと、オマエの目指すところには届かねーゼ」
余計なお世話だ、と思ったが、自分の本心を突かれたようでもあって、反論できなかった。
学院に来て2ヶ月。
数え切れないほど女子の服を脱がせてきた。すべて不可抗力だ。だが相手にとっては、それが故意であろうとなんであろうと関係ないだろう――それが分かっていてもリードはみずから学院を去ることをしない。
風の剣士と会いたいという期待もあったし、学院の環境が、自身の腕を磨いてくれるという実感もあった。
――強くなりたい。
その、何よりも強い願望が――欲望が、ここでは満たされる。
他人を犠牲にして。
非道を行って。
《心眼》などの強力なスキルを短期間で身につけ、また、おぼろげながらも魔法を放つ感触も掴みつつある。
ロキのおかげだと考えるのは癪だったが、事実でもあった――そして、それを望んでいる自分もいる。ロキの言うとおりだ。今は敵わなくとも、風の剣士も越えてみせると思っているし、そのためになら他を犠牲にする覚悟もある。
夢だなどと、小綺麗なものではない。
欲だ。
これはただの欲だ――。
ふと、ロキの顔を見る。
悪神はニタニタと笑っていた。
はっとして、通りのほうへと目をやる。
ない。
カグヤの姿がない。
……見失った!
「クキキッ」
ロキは笑う。
「やっぱオマエは面白れーゼ。オレ様のジョークにまんまと引っかかる。クキキキキっ、さあ、あの小娘はどーなったのカナ?」
その言葉に最後まで耳を傾けることなく、リードは走り出していた。