15 マッチと聖水
「やはり人が多いと現れないか……あっちのほうへ行ってみようか」
リードがそう言うと、仏頂面のカグヤは前を向いたまま、こくりとうなずく。
彼女は心を閉ざしているようだ。おそらくは、自分という変態剣士にこんなふうに辱められ、内心悔しい思いでいっぱいなのだろう。
申し訳ないことをしている。
だが、これも任務の一環なのだ。ロキに強制されたこととはいえ、確かに犯人をおびき出すには恋人のふりを続けたほうがいいだろう。
せめて彼女の気を紛らわせようと、リードは話題を探す。
「カグヤ、君のところにエインリッヒから頼りはあるのか?」
「お兄様ですか? いいえ。誰かに手紙を書くような、そんなマメな人ではありませんから」
そうか、と応えて、四つ角を人通りの少ないほうに折れ、歩き続ける。
「そんなに会いたいのですか?」
「今のありさまでは失望させてしまうかもしれないが……。それでも、彼を追ってここまで来たんだ」
「熱烈ですね」
「それだけ衝撃的だったんだ、彼との出会い、いや遭遇は」
「遭遇……そうですね、お兄様の場合は遭遇と言うのが正しいでしょうね」
平静な声でカグヤは言う。
「私のときもそうでした。父が失踪して、ひとり雪の街に放り出された私の前に、彼はふらりと現れたのです」
「失踪……」
孤児だった、というようなことは聞いていたが、どういう経緯だったのだろうか。
「ろくでなしの父親でしたから。母は家を出て行って――私は、父の商売の手伝いをさせられていました」
「いつ頃の話だ?」
「五年ほど前、私は九歳でした。父は私に、カゴっぱいのマッチを持たせると、寒い街角に立たせ、『全部売り切るまで帰ってくるな!』……と。酒瓶を片手に、ろれつの回らない舌でそんなことをわめいていました」
「酷い男だ」
「そのマッチは飛ぶように売れました」
「ん? ……売れたのか?」
「とても有用なマッチでしたから。火をつけ、その煙を鼻から吸い込み、ゆらめく炎を見つめていると、脳みそが『とろ~ん』となって、『素敵な夢』を見ることができるらしいのです。それはもう、血色の悪い大人たちに大人気でした」
「それは……駄目なやつじゃないのか?」
「いいえ、父は合法だと。合法マッチだと」
「そう呼ぶと余計にいかがわしくなるな」
ダメ、ゼッタイ。
リードは胸のなかで固く誓った。
「それに気を良くした父は、今度は私に聖水を売らせました」
聖水は、魔獣などに対しても絶大な威力を発揮する、神聖にして高価なアイテムだ。神域でなどで半年以上かけて精製されるもので、一般の市場に出回ることはほとんどない。
聞く限り、あまり裕福でもなく、神職でもなさそうなカグヤの父は、どうやってそのアイテムを手に入れたのだろうか。
「本物の聖水だったのか?」
「お察しのとおり、偽物です。ガラスの小瓶をたくさん買って、中身は川で汲んできました」
「それはさすがに売れなかっただろう?」
「はい。せっかく合法マッチで稼いだお金も、父の酒代に消えていきました……そこで、私は工夫を施しました」
「工夫?」
リードは首をかしげた。
「どんな工夫だ?」
「聖水が売れないのは、出自が怪しいからだろうと思いました。ですから、生産者の名と顔を明示すれば、少しは信用してもらえるのではと」
「…………」
「街の写真屋に駆け込み、最後の軍資金をつぎ込んで、私の写真を撮ってもらいました。たくさん現像して、名前も書いて、瓶の表面に貼りつけたのです。『私がつくりました』というアピールです。がんばってダブルピースを決めた写真です。商品名も決めました――【カグヤの聖水】。そう名づけて売り出したとたん、これがまた飛ぶように売れまして」
九歳の少女の聖水。
顔写真つき。
「……購入した人間を問い質したくなる商品だな」
「なぜか息の荒いお客さまが多かったです。高価なアイテムですから、さすがに興奮していたのでしょう」
「そうだと信じよう」
「ただ、私の売った聖水が自治会で問題だと取りあげられ、幼児虐待と責め立てられた父は、私を残して失踪しました。それで私は行くあてもなくさまよっていたのですが……以前、マッチと聖水を買ってくれたお客さまが、そんな私を見かねて家へと招いてくれて」
「…………」
「その男は『ぐへへお嬢ちゃん、これからは僕と一緒に暮らそうね、ぐへへへへ……!』と、私を暗い部屋に押し込めました」
「敏感肌で、悪意を感じなかったのか?」
「善人ではなさそうだ、という直感はあったのですが。幼かった私には具体的な危険までは予期できませんでした」
カグヤは続ける。
「これはもしかしてまずいのでは? と思ったたところで――エインリッヒ、お兄様が、ドアを切り裂いて現れたのです。逆上する男を軽くいなして、彼は私をお屋敷に連れて行ってくださいました。……そうして、私はもったいないくらいの生活を送らせて頂くことになったのです。衣食住は満たされて、お屋敷の先生方から剣術も教えてもらいました」
「孤月刀――君のその珍しい剣も、そこで?」
「はい。剣術の先生は、お兄様と同じ孤月刀の使い手でした。彼女たちも私と似たり寄ったりの境遇で、はじめの一人はお兄様から手ほどきを受けたらしいのですが、あとの人たちはその剣術を受け継ぐ形で」
「そうか。エインリッヒは父のようだとも言っていたが、命の恩人でもあったのだな」
「ええ。その点ではリードさんと同じです。……そうだ、もしかしたら、期末演習にならお兄様は顔を見せるかもしれません」
「期末演習……延期になっている、あれか」
リードたち205期生は、入学してから3ヶ月が過ぎようとしている。
通常この時期には、それまでの成果を学院の内外に披露する期末演習が行われる。
以前、リードがカグヤやアルデアと戦った合同演習をもう少し大規模にしたようなもので、3人1組をつくり、他のチームと模擬戦を行うというものだ。
学院生たちの技量を測る試験のようなものでもあり、外部の客を入れて、観覧料も徴収する。学院生にとっては、スカウトたちに自分を売り込む舞台でもある。
だが、今期はその期末演習が遅れている。
理由はリードたちの起こした事故にあった。
あのあと学院側は、演習の会場となる屋外演習場の再点検を行うことにした。期末演習は決まって激しいものになる。客も入る。そうなったとき、あのような事故が起こっては困るということで、綿密な検査が行われているのだ。そのせいで演習のスケジュールがずれ込み、今に至っているのだ。
このままだと次の206期生が入学してきたあと、彼らと合同で実施されるのではないかと学院生のあいだでは噂されている。
「風来坊のお兄様ですが、ああ見えて意外とお祭好きなんです」
「しかしスケジュールがズレている。本来なら今頃だろう? それでも現れないということは」
「まあ、気まぐれですからね」
「面倒な人だな」
「ええ、あなたにも負けないくらい」
言って、カグヤはこちらを見た。
一瞬、その顔にほほ笑みが浮かんだような気がしたが、しかしリードと目が合うと彼女は、瞳に警戒の色を浮かべて、さっと顔を逸らしてしまう。
「…………」
やはり、この状況に耐えられないのだろう。
歩いているうちにだいぶ静かな裏道にまで来てしまった。こんなところで、もしかしたら犯人より悪質かもしれない変態剣士と腕を組んで歩いているというのは、彼女にとってひどくつらいことなのかもしれない……。
◇
ちょっといい感じではないだろうか。まだ目を合わせるのは恥ずかしいが、自然に話せている気がする――。
カグヤは、リードとの会話にそのような手応えを感じていた。
しかし。
リードは唐突に言った。
「少し、離れて歩こうか。君だけを囮にするようで申し訳ないが、このままでは犯人は現れそうにない」
「え……」
カグヤは足を止め、彼の横顔を見あげた。
それでその瞬間、思わず《臆病者の鎧》の硬質化能力が解けた。解けてしまった。
残された彼女の特性――敏感肌は、常時発動型のスキルのようなものだ。それはつまり、言葉どおりの過敏な触覚。
――すりっ!
腕の内側の皮膚の薄いところが、リードの腕とこすれ合う。
――すりすりすりすりっ!
「ひうっ!?」
ぱっと飛びのく。
普段は服で覆っている部位の、他人の肌が触れるのなんて何年ぶりだろうというポイントがこすれて、電流がカグヤの脳天を射貫いた。
「どうした?」
「い、いえっ、なんでも……!」
カグヤはあたふたと背を向ける。
「? そうか。では二手に分かれよう。俺も周辺を警戒しながら進む。……大丈夫か?」
彼はあくまで任務をまっとうすることを第一に考えている。
いや、自分だってそのつもりだ。そのつもりだった。
だが、離れてしまった右腕がこうも寂しいのはなぜだろうか。この気持ちの正体はなんなのだろう……? 同室の友人に聞いても、にやにやと意味ありげに笑うだけで教えてはくれなかったし。
「大丈夫です、問題ありません――1人で、大丈夫です」
不安とも違う得体のしれない気持ちを抱え、カグヤは1人、暗い通りを歩き出した。