09 魔眼の剣士
ひとしきり暴れたあと、人型の悪神ロキはこちらに背中を向け、ベッドの隅でギリギリと歯ぎしりしながら拗ねていた。
「だから悪かったと言っている」
「うるせェ、謝って済むなら【処刑神】も【拷問神】もいらねぇっつってんダロ! オレ様が女だってことぐらい、見りゃあ分かる話ダ!」
「パッと見、ただの悪ガキだがな」
「この超絶美少女をつかまえて、なんてことを!」
「美? 少女?」
「だからっ……! オマエの目は節穴か!?」
「ははは、まあ落ち着け少年」
「少年じゃねぇっつーの! 頭撫でんなバカ!」
怨みの募る相手ではあるが、むきになる姿はそれなりに愛らしいものがあった。
すると。
ぴたりと彼女の動きが止まり、こちらを振り向いた。
「ク、クキキキキっ――」
悪い顔だ。それこそまさに、新しい意地悪を思いついたときの子供の笑顔。
「いいぜ、オマエがそのつもりなら、オレ様にも考えがある」
「おい待て、嫌な予感がするのだが」
言うが早いか、ロキの両眼がギラリと光って、謎の怪光線を放ちリードの胸を貫いた……!
◇
1日のカリキュラムを終えた学院生たちは寮へと戻り、着替えを済ませると食堂に集まっていく。
今日の演習はどうだったとか、腹が減ったとか、平和な会話が飛び交う――そんな賑やかな廊下に、不審者の影があった。
「お、おい、あれ何だよ?」
「またあの変態剣士が」
ざわめきの対象は他ならぬリードである。
彼は日頃の勘を頼りに、食堂の奥の席を目指していた。
とはいえ、いつもとは勝手が違う。なにしろ部屋にあった包帯で目隠しをしているのだ。視界はゼロだ。
「きゃあっ、どこ触ってんのよ!」
「す、すまない……!」
やわらかいものに触れたな、とは思ったが、それが何かは分からない。変なものでないといいのだが。いや本当に。
「なあリード。今日はどうしたんだ?」
「む、その気配、漂うオーラは……ギルか?」
「うんまあ、その通りなんだけど、普通に声で分かってくれよ兄弟」
リードは手探りでいつもの席に着く。
向かいにギルと、そして、
「ほんと、どうしたの目隠しなんて?」
「ああ、その声はミーファだな」
「なんでミーファのほうは声で? オレの立場なくない?」
正面のギルたちに、リードは大きくうなずいて見せた。
「《心眼》を鍛えようと思ってな」
「視覚に頼らないで気配を察知する、ってスキル? それで目隠しなの?」
「メシ食うときぐらいは外せばいいじゃんか」
伸びてくるギルの腕を、リードは間一髪、首を反らして回避した。
……危ないところだった。
「変なやつ」
「まあ今に始まったことじゃないけどね」
なごやかな2人の会話を聞きながらリードは、苦労してスープを口に運ぶ。左手も使えないうえ、この目隠しだ。これはこれでいい訓練になるかもしれないが……。
リードは先ほどの惨劇を思い返していた。
◇
ロキの怪光線によって胸を射貫かれた直後、ドアを叩く音がした。
「リード・バンセリア。シーツを交換します。……入りますよ?」
ドアを開けたのは寮の管理人を務める妙齢の女性だ。それから、昼間、掃除のために雇われているメイドの女の子も。
リードは振り向き、彼女たちを『見た』。
とたん、激しい上昇気流が巻き起こる!
「えっ、なんですかこれはっ!?」
「きゃああああ!」
2人の足元に魔法の風が生み出され、ごうという音とともに、衣服を巻きあげ剥ぎとった。
「ひ、け、ケダモノ! 青い獣欲が私のことをっ」
「ああ、もうお嫁にいけませんっ! えっち!」
リードは――ロキの呪いは――、魔法を発動させていないはずだ。だというのに一体なぜ?
走って逃げる2人を唖然と見送っていると、布団をかぶって隠れていたロキが、ひょっこりと顔を出した。
「クキキキキっ! どうヨ、《シルフィードの魔眼》は! お気に召したかな?」
「説明しろロキ、なんだ今のは!」
「だから魔眼だって魔眼。詠唱不要で魔法が発動する、スペシャルなお目々さ。オマエが見たもの――つまり、焦点を合わせたものに魔法が発動する。風の魔法がナ。オマエの意思とは無関係さ」
「しかし、まさかこれも……」
「そーだヨ」
彼女は無邪気に、いや、邪気いっぱいに笑った。
「女にしか発動しない! クキキキキっ!」
「…………。貴様には発動しないじゃないか。やっぱり男なんじゃ」
「ちげーっつってんダロ。その《魔眼》はオレ様の魔法だ。自分に向けて魔法を使うやつがあるか。ちゃんとあらかじめロックをかけてあるのさ。オレ様を見たところで、《シルフィードの魔眼》は発動しない」
そこでふとリードは気づいた。
「ロキ、なぜ今隠れていた? 貴様の姿は他の人間には見えないはずではないのか?」
「ん? ああ、今は隠身の魔法を使ってないからな」
「見える、ということか?」
「『見せてる』んだよ。あっちのイタズラ用ボディならともかく、この超絶美少女である真の姿に、隠身の魔法なんて無様なもん使えるかよ」
なにやらベッドの上で『セクシーポーズ』を決めてみせるロキを無視して、
「ではなぜ隠れた……まさか俺のために、ということはないよな?」
「当たり前ダロ。人間にこの姿を見られると強制送還されちまうからヨ」
「?」
「まあチョット、【絶対神】のヤツにイタズラ仕掛けたことがあって……少しばかり、怒らせちまってなァ。あのクソ女神、人間の女の眼を通じて監視してやがるのよ。見つかったら有無を言わさず連行しちまうのサ。執念深いったらありゃしねぇ」
「ほう、それはいいことを聞いたな」
この厄介な悪魔は人間の手には負えない。しかしならば、その【絶対神】とやらに引っ捕らえてもらい、きつい罰を下してもらえばいいのだ。
「オマエ、なにか勘違いしてネーか? オレ様がいなくなって一番困るのはオマエなんだゼ? その呪いはオレ様にしか解けねェ。説明しただろ?【絶対神】だろうが誰だろうが、解呪の方法は知りゃしねー。だからオレ様が強制送還されたら、やっぱりオマエは一生そのままってわけだ」
「…………」
「つーことで、これからもよろしく頼むゼ、魔眼の変態剣士サマよ! クキキキキっ!」
◇
「はぁ……」
今回のことはロキをからかいすぎた自分にも責任があるとはいえ、さすがにつらいものがある。
寮には、管理人たちを除けば男ばかりが暮らしているが、食堂や講堂、演習場にはもちろん女子がわんさと居るわけで――彼女たちを少しも『見ない』ことなんて不可能だ。
焦点が合っただけで《シルフィードの魔眼》は発動してしまうのだから、これはもう、目を塞ぐ以外の方法がない。
だがそうすると生活に支障が出るし、剣や魔法にはなおのこと。
《心眼》のスキルという言い訳は苦しいものだったが、しかし、こうなった以上、普通に生活を送るためには、意地でもそれを身につけるしか手はないのだ。まったく、なんということだろうか。
リードが暗い気持ちで、それでもなんとか手探りで肉にむさぼりつこうとしていたとき、
「もうっ、この馬鹿ギル!」
いつもの喧嘩の最中、ミーファが勢いよく立ちあがったのだろう――ギルと揉み合いになり、その結果、テーブルをひっくり返してしまった。
跳ねあがった天板が、がつんとリードのあごを撲った。
「ぐうっ!?」
さすがにまだこれを回避する技能は備わっておらず、リードは仰向けに倒れる。
その拍子に――はらりと、目隠しが取れた。
(しまった!)
と思ったときにはもう遅い。天地が逆さになったリードの視界に飛びこんで来たのは、数人のグループがこちらの騒ぎに気づいて振り向いた、その姿だった。
数人――。
中心にいるのはあの赤髪の魔法剣士アルデアだ。そしてその取り巻きが女子ばかり4名。発動する魔眼。吹きすさぶ風魔法。宙を舞う衣服に、彼女たちの悲鳴。
――で。
真ん中に立っていながら傷ひとつなく、着衣もまったく乱れていないアルデア・オットーは、ぴくぴくと頬を引きつらせ、怒りを爆発させた。
「もう我慢できない!」
彼はリードの顔面に右の手袋を投げつけ、
「リード・バンセリア! 君に決闘を申し込む!!」