表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/17

1cmへのVS

 俺は今、昼下がりのファミレスで飯を食っている。

 いや、食べるっていうより、貪るという感じだ。テーブル席に座ってるのは今のとこ俺だけだが、そこに並べられてるのは、ビーフステーキ、ハンバーグ、ミックスフライの盛り合わせ、パスタ、シーザーサラダ、コンソメスープ、大盛ご飯等々・・・さらに食後のデザートも頼んでるのだが、これを全部一人で食べている。

 さすがに持ってきた店員さんも驚いてたな。

別に大食いにチャレンジしてるわけじゃない。このファミレスである人と待ち合わせをしてるんだが、だいぶ早く到着した。腹も減ってるし先に飯でも食べとこうかと思ってメニューを開いたらそこに乗ってるメニューの写真がやたらと輝いて見えたのだ。で、食欲の赴くままに注文した結果、テーブルの上があたかも饗宴状態になってしまったのだ。

店員の目も気にせずテンションを上げて食べ始めたのだが、これだけの量がどんどんで腹に収まっていく。後に来るパフェも別腹どころか余裕で入りそうだ。

我ながらあきれるくらいの食らいっぷりだが、まあこうなるのも仕方ない。こんな人並みの食事なんて随分と久しぶりだからな。

いや、別に食費がなかったわけじゃない。(といってあまり金があるわけでもないが)

 あの六畳間での目覚めからここしばらく、文字通り寝食を忘れて没頭した。

 そう、知識と情報をかき集めることに。

 まずはインターネットを駆使した。こいつは、確かに恐ろしいシロモノだ。すさまじいまでの情報が溢れていてその情報に対して個人一人ひとりの考えや感情が添えられている。一つの事件があってもそれに対してさまざまな方向からの賛否両論の意見が述べられるのだが、時にはその応酬が現実よりも刺々しくなる場面をよく目にした。

 いやホント、俺と須永の対立がかわいく見えるぐらいの罵り合いになることだってある。まあ、お互い顔の見えない、殴り合えない者同士だから、遠慮なく思い切ったことも言えるんだろうけど、そんなやり取りの背景にも各々が信じ込む絶対的な「正しさ」を探り採っていくと、その意見に至るまでの心の動きというのが恐ろしいほど理解できる。もちろん理解というのは肯定ではなく、分析による納得という意味でだ。

 例えばこないだ、有名アイドルグループのメンバーの一人が男と付き合っていたって事が発覚したんだが、この件で一時ネットが炎上するほどの話題になり、ファンの阿鼻叫喚が掲示板のそこかしこに飛び交った。それに対してアイドルに興味ない人間からは「気持ち悪い」「意味が解らない」ってな批判が大半だったな。

以前の俺なら同じように「理解できない」で終わってたと思う。いや、それともアイドルの熱狂的なファンになって一緒に騒いでた可能性も、もしかしたら無きにしも非ず・・・なのか?

 それはともかくだ、この場合、アイドルの娘を絶対的な価値観、つまり神様のような存在として捉えればファンの言行にも納得がいく。ファンにとってはこの娘が(たとえ脳内でも)自分を肯定してくれる「正しさ」であり、全ての行動における価値基準なんだろう。まあ、このあたりは宗教の心理とよく似ているな。アイドルのグッズや握手券に何百万もの大金をつぎ込むのも「正しさ」との繋がりを強くしたいという想いからきているのだと考えれば、成る程と思える。

 ただ、信者が神様に偉大さや崇高さを求めるように、ファンはアイドルに理想の女性像を求める。そしてそれには、女性の清純さが、とても重要な要素となるんだろうな。ところが、彼氏を作ってセックスをしてしまえばその崇高な清純さも失われてしまい、存在自体が穢れてしまう。それは同時にファンにとっての「正しさ」の崩壊でもあるんだろう。

 アイデンティティを奪われ、失った怒りや悲しみ・・・あの炎上はつまりそういうことなんだろう。絶対的な「正しさ」が失われたり揺らいだ時の人のありようってのがインターネットを通じるとこうもよく見える。負の感情にまかせて角突き合わせてる時が一番わかりやすいってのが、どうにも皮肉なんだけどなぁ。

 こんな感じで自分の考えに確信を深めながらも、その思考を理屈にできる学問はないだろうか、と模索し続けた。その結果行き着いたジャンルが、哲学と心理学だ。

 さすがに世の中は広い。人の思考回路を言葉で表現しようって試みは紀元前から始まっていたんだな。ソクラテスやプラトンなんかが有名どころだけど「無知の知」や「プラトニック」なんて言葉が今でも生きた言葉で使われてるもんな。

特に「無知の知」ってのは心に響いたな、「自分は何も知らない愚か者である、と自覚するところから本当の知が始まる」って意味なんだが、今の俺にこれほどぴったりくる言葉はないだろう。

ただ、ネットだけではあらまししかわからないので、もう少し深く知るために、やっぱり専門書を読んでみたくなった。ネットでも本は買えるのだが、ただ、種類が多いのと、その手の学術書はやたらと値段が高いのがネックになった。さすがにそこまでの金もないし・・・

んで、思い切ってネットの掲示板でおススメの本を聞いてみたら、意外にも親切丁寧にいろいろ教えてくれた。いきなりガチの哲学書を読むのは大変だから、といくつか哲学の解説書を挙げてくれて、さらには大きな図書館に行けばそれが置いてあることも教えてくれた。これは本当にありがたかったな。思えば、こういう場所を超えた親切心もインターネットの一つの側面でもあるんだよな。ネットって道具は使いようによって人の心を白くも黒くもする。

次の日から図書館に通い詰めになった。開館一番に入って閉館時間いっぱいまで、本を読み漁った。といっても今までロクに読書なんかしたことがない。そのせいだろう、最初は文章の意味をなかなか理解できずに何度も読み返したり、目や頭がすぐに疲れてちょくちょく休憩もしていたので、一冊読むのにも随分と時間がかかったな。そんなんでも一週間もすると慣れてきたんだろうか、読み返さなくても理解できるようになり、休憩の回数も減っていき、読破のペースも加速度的に上がっていった。

この短期間でこれまでの人生で読んだ本の倍の量は読みつくしたんじゃないだろうか。いやいや、我ながら変われば変わるもんだ。

ただ、聞いた通りガチの哲学書ってのは本当に読み辛かった。とにかく文章が回りくどいの一言だ。1ページ読むのに二十分くらいかかることもあったな。それでも頑張って一冊読んでみたんだが、意味が解ってしまえばなんてことはない。書き方がやたらと難しいだけで、何も難しいことなんかは言ってないのだ。一行で説明できることをわざわざ1ページかけて長々と引き延ばしてるだけなんだなぁってのが実感だ。 

ここでふと、哲学の本質って何だろう?って考えたんだが、ある程度触れてみて解った事は、つまるところ世の中ってやつを言葉で表現しようっていう事なんだと思う。

で、何のために言葉にするのかっていうと、結局は他の誰かに伝えるためだろう?

それなのにわざわざ回りくどく、読み辛い文章にして書くってのは、哲学の本来の趣旨とは外れることなんじゃないかと、俺は考えるけどな。だけど、この結論は俺の思考を体系化する上でかなり大きな一石を投じてくれたように思える。

ま、学問ってのはそういう風にした方が賢そうに見えるのも確かなんだろうけど、なんだかんだで哲学の解説書の方が役に立ったな。まあ別に学者や研究者になりたい訳ではないから、有名どころの哲学者が、おおよそ何を言いたかったのかが解ればそれで良かったからな。

それでも、かなりの収穫はあった。例えば知識や情報を得ることによって起こる思考の変化と流れ、こいつを分析して言葉にした哲学者もいる。ルネ・デカルトっていう十七世紀のフランス人だ。デカルトは「自分を見つめるもう一つの自分」いわゆる「自意識」ってやつを初めて理論化した事で知られている。「我思うがゆえに我あり」って言葉が有名だけど、これは確かに一度くらい耳にしたことがある。

このデカルトが提唱した自意識、メタ意識って言ったりもするが、これこそが近代思想が練り上げられる上で、そして俺自身の思考の体系化の上での重要なカギになることが解った。そして自意識を芽生えさせ、発達させるのは、やはり知識と情報だということもデカルトの哲学から読み取れた。

あの時・・・俺の脳内を突き動かしてたモノ、それこそが自意識なんだな。

そしてデカルトはその自意識があるからこそ「絶対確実なものを見つける」のを求める、と説いた。それはすなわち、国家や宗教、思想主義、それこそアイドルに至るまでの、人が求める絶対的な「正しさ」だ。そして俺は今、絶対不変の「正しさ」あるいは「価値観」なんてものは最初から存在しないという答えに到達した・・・・

でも、こうやって自分の中の思考の辻褄が、有名な哲学者の理論と擦り合うように一つになるってのは、楽しくて仕方がないもんだ。もっともデカルトって人は、カバンに女の子の人形を入れて持ち歩いてたヘンなオッサンだったらしいけどな・・・そういえば哲学者ってヘンな人が多いな。ソクラテスは偏屈だし、プラトンはホモだし、ニーチェはモテない中二病オヤジだし、孔子はヤクザまがいだし・・・ロクな死に方をしてない奴もけっこういる。

逆にいえば、そういう人間だからこそ、自分にとってクソみたいな世間を変えてやりたいと思い立って、ああいうことを考えたのかもな。それとも、変えてやりたかったのは世間が自分を見る目だったのかな・・・とか思ってみたりしている。偉大な哲学者だって所詮は人間だ。考えてることの根本は誰しもそんなに変わらないんじゃないかな。

で、こうなると、実際に人はどういう心理でもって行動してるのかが気になる。

そのためにも、抽象的な概念である哲学よりも、より実践的に人の心を探る分野はないだろうか、ということで、心理学に触れてみることにした。

ただ、臨床心理学みたいなガチの学術書はさすがに図書館にも置いてなかったな。

その代わりにあったのが心理学を駆使したビジネス書だった。取りあえず読んでみたんだがさすがに一般人向けに書かれてるだけあってとても解りやすい。そして面白い。

営業に使えるテクニックなんかが結構細かく分析して載ってるんだけど、これをデカルトの哲学の「自意識」と「絶対確実なもの」に照らし合わせてみると、心の動きもさることながら、人が他人に、あるいは会社や政府みたいな「社会」に対して何を求めているかが具体的なカタチとして見えてきた。

中でも面白いと思ったのを一つ挙げてみる。営業トークのテクニックの一つで、ゆっくり丁寧に話しかけるよりも、早口で一気に捲くし立てるほうが、相手には賢く見え、内容云々を抜きに納得させることができる、というのがあった。

歴史上でこの心理テクニックを最大に利用したのが、何とナチスドイツのヒトラーだ。ヒトラーの演説ってのは、実際はウチのおふくろが作るカルピスみたいに内容の薄いシロモノらしいんだが(ドイツ語なんぞ解らないので、らしいとしか言えない)大げさな身振りや間の取り方、そして捲くし立てるような喋りで、ドイツの大衆の心を掴んだのだ。

当時のドイツは、世界恐慌なんかがあって不景気で不安定な世情だった。だから世の中を変えてくれるようなヒーローを求めてたんだろうけど、具体的な中身よりも表面上のカッコよさや威勢のよさに心をゆだねてしまうっていう「普通の人」の心理ってのはどういうんだろうな。

確かに物事の本質をしっかりと見極めるってのは、難しいし、めんどくさい。それに、俺はまともに働いたことはないから推測でしかないんだけど、多分会社とか世の中ってのは、一個人にそういう事を求めてないんじゃないだろうか。むしろ政治家や社長さんは部下や国民が「本質を見極める」事をしたら都合が悪いかんだろう。そういう世の中の仕組みだからこそ、わかりやすい「美」に自己の正しさを預けてしまうのかもしれないな。

ただ、当時のドイツの国民を「昔の話」として笑い飛ばすことはできないだろう。今だって選挙で芸能人が当選したり、アイドルや宗教に夢中になる連中は大勢いるんだ。その頭の中の根底が同じなのだとしたら同じ過ちを繰り返す可能性だってあるわけだからな。

とまあ、こんなことを考えながら、俺は頭の中に渦巻いてる考えを言葉として、理屈として誰かに伝えられるように整理し、まとめ上げていった。

そして、ようやく頭の中の作業に一段落が付いた。もっと時間がかかると思ってたけど思いの外早くまとまったな。

説明の手順も、とりあえずだけど、何度か頭の中でシミレートしてみた。

後は、実践あるのみ、かな…。


ふう・・・注文した料理を全部平らげて、ようやく人心地ついた。

少しづつ味わいながらローテーションで食べたので、目の前には空になった皿がテーブル一杯に広がっている。我ながらよくこれだけ食ったもんだ。

いや〜ファミレスとはいえ、ホントに美味かったなぁ。まぁここ最近、ロクな物を食ってなかったからな。カップ麺とか食パンをそのままかじるだけとか、とにかく腹が膨らめばいいだけって感じだ。丸一日何も食べずに本にかじりついてた日も結構あった。

それほどまで、没頭し、熱中した。

こんなに夢中になって物事に打ち込むなんて、役者を目指してた頃以来だろうな。

借金してからは、人生でこんなに情熱を傾ける事なんて二度とないだろうと思ってた。

俺の中にもこんな想いが残っていたってのは、驚きでもあり、喜びでもあり、だからこそ誰かに伝えてみたい。伝えなくちゃいけないんじゃないかと思う。

俺の頭のなかの根本的になまでの思考の変化、そう、革命的とまで言えるような思想…それがドン底までおちた俺の心を闇の底から引き上げた。現世のしがらみから心を解き放ってくれた。

俺は、救われた。少なくとも心の中では。

なら、他の誰かはどうだ?

この思想は、しがらみに囚われて苦しんでる人を救えるんじゃないのか?

これは特別な技術がいる訳でも、高い金がかかる訳でもない。

頭の中の考え方をほんの少し変えるだけだ。だったら、もしかしたら全人類を救う事だってできるんじゃないか?

・・・・さすがに言い過ぎかな?でも、そんな事試してみなくちゃわからない。

だから、今からそれを確かめてみる。

これから会う人に対して、俺の考えを全てぶつけてみる。そして・・・

「お待たせしました。」

っと、店員さんが最後のデザートを持ってきたな。

天高くそびえ立つ、山盛りのチョコレートパフェだ。

こんなのを食べるのは初めてだから、けっこうワクワクするな。

俺はどっちかというと酒飲みだ。別に甘いものは好き好んで食べなかったけど、なんか最近カラダというか、アタマが甘いものを求めてはじめてる。やっぱり頭脳労働ってのは糖分が必要なんだろうなぁ。

というわけで欲求に任せて、いっただっきまーす!

食器を片付けようとしてる店員さんに構わず、大量にアイスを乗せたスプーンに口をつけようとした瞬間、後ろから声をかけられた。

「た、武田くん・・・?」

振り向きざま、目が合う。

「あ・・・・」

「えっ・・・?」

テーブルには大量の食い終わった食器、そして目の前には巨大なパフェ。そんな状況で目を合わせたまま、お互いフリーズしてしまった。

そこにいたのは今日会う相手、長岡だ。

十二月のあの日以来の、再会だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ