賢者の島(3)
おう、篠田久しぶりじゃないか。元気にしてたか?
え、こっちに来いって、今から何か始まるのか?
ありゃ、小川も一緒か。こないだの芝居やって以来だな
それに・・・長岡も、いるのか
その、なんていうか・・・俺も言い過ぎたのかもしれないな・・・そんな顔されるとこっちがへこんじまうよ
親父・・・お袋・・・兄貴も・・・みんないるのか、こうやって家族がそろうのはいつ以来だろううな。
そういや、篠田はみんなに会うのは初めてなんじゃないかな。
あれ?どうして篠田が小川や長岡達と会ってるんだ・・・まあ、いいか
なんだよ、みんなそんな顔で・・・俺を見て
大丈夫かって?何言ってるんだ俺は大丈夫だ・・・とも言えないか
「・・・すか」
わからない・・・けど
「・・・夫ですか?」
何とか生きてるだけだ・・・これからは
「あなた、大丈夫ですか?」
「ふぁっ!」
目が、覚めた。ゆさぶられて起こされたみたいだ。全部夢か・・・
「よかった、目が覚めましたか。ずぶ濡れで倒れてるものですから心配しましたよ。」
俺を起こしてくれた人が話し掛けてくる。優しく笑うその顔には見覚えがあった。
「・・・店長」
思わずつぶやいた
「え?あなたは・・・?」
「店長、俺です武田です・・・東京で一緒に働いてた・・・」
目が潤んで、目の前がぼやける。一気に胸がこみあげてきた。
「君は・・・武田君なのか?」
「そうです・・・こんなんで・・・」
すがりついて、俺はそのまま泣きだしてしまった
「落ち着いたかい?」
そう言って店長が差し出してくれたコーヒーを、テレながら受け取る。ホントに恥ずかしいところを見せてしまったと思う。こんな齢になって恥ずかしいくらいの大泣きしてしまったんだから。コーヒーに口を着けると体中に温かさが広がっていく。
店長が他の登山客に事情を説明して、俺は今晩、この山小屋に泊まることになった。
もう外は真っ暗になってる。
「それにしても久しぶりだねえ」
真っ黒な髭面になってるけど、優しそうな物腰は店にいた頃とまったく変わらない。
「ええ、本当に・・・」
「でも本当に驚いたよ。最初は死んでるんじゃないかと思ってたら、まさか知り合いだもんねぇ。どうやってここまで来たんだい?」
「年賀状に書いてあった連絡先に電話したらここを通るって聞いて、それで・・・」
「そうか、ここまで来るのは大変だったでしょう。でもそんな恰好で山に登るのは感心しないな。雨具も無いし、入山届は出したのかい?山を舐めたら本当に痛い目に合うよ。」
そう言って怖い顔をして迫ってくる。店長でもこんな顔をするんだな。
「すいません・・・」
「でも、せっかくここまで来てくれたんだからゆっくりするといいよ。こういう場所での夜は長いからね。」
そう言われて周りにいる他の人を見ると、談笑したりトランプをしたりしている。時計を見るとまだ7時にもなってない。晩飯はついさっき食べ終わったところだ。小屋の外にある炊事場で店長や一緒に泊まる人たちがご飯と豚汁を作ってくれた。メチャクチャうまかったなぁ。見ず知らずの俺に喜んで食わせてくれて、みんな本当にいい人ばかりだ。
なんかホッとする。こうやって誰かと夜を過ごすのはいつ以来だろうな・・・
「ところで、店長はなんで俺の家の住所を知ってたんですか?」
「今は店長じゃないよ」
「すいません、でもなんか呼び慣れなくて」
それを聞いて店長は軽く笑う
「まあいいさ。いやね、カバンの中にたまたま従業員の名簿があってね、辞めた後も返しそびれてたんだ。それで身の回りが落ち着いてから年賀状を出そうと思ってね。自分なりのケジメというやつかな。」
「それでわざわざ俺に・・・」
「もちろん他の人にも出したよ、店の人にも何人かね。そういえば武田君はまだあそこで働いてるのかい?」
「・・・いや、もう辞めました」
「そうか、じゃあ別の仕事を見つけて働いてるのかい?」
「・・・それが、今は働いてないんです」
それから、俺は店長にここに来るまでの今までの経緯を話した。
須永との対立、篠田が辞めたこと、長岡に騙されたこと、須永を殴り飛ばして辞めたこと、そして鬱病になってしまったこと。
俺の話はそれだけじゃ終わらなかった。今まで店長や店の人たちには教えてこなかった俺の過去も話した。とめどなく、全部。
そう、元々は役者になりたかったこと、そのために上京したこと。長岡にフラれたこと、それで自暴自棄になって300万の借金をしてしまったこと、そのことで親から勘当同然にされてしまったこと、それで役者の夢を諦めたこと・・・
店長は俺の話を全部聞いてくれた。たまに店長から質問とか聞いてきたりしながらも、最後までおれのぶちまけたモノに付き合ってくれた。
全部話し終わった後、店長は考え込んだように黙り込んでしまった。言葉を探してるみたいだ。俺ももう話せる事がない。そうやってお互い黙りこんだまま、夜が更けていく。気がつくと周りには寝袋に入り込んで寝てる人もいる。そんな静かさがいつまでも続くかと思えた時、店長が口を開いた。
「うーん、武田君もなかなかに壮絶な人生を歩んできたんだねぇ。」
「武田君もって・・・」
「恥を忍んで全部話してくれたんだから、僕も少し身の上を話そうかな・・・」
店長は、少し遠い目をする
「僕はあの店に入る前はまったく別の仕事をしていたんだ。証券会社の営業をやってたんだよ。」
そう言って教えてくれた会社の名前は、証券会社とかに全く詳しくない俺でも耳にしたことがあるような有名な所だった。
「自慢するわけじゃないが、結構、営業成績は良かったんだよ。何度も表彰されたし、年収も1千万以上稼いだ時期もあったなぁ。」
「そんなに稼いでたのに、なんで転職したんですか?」
「確かに給料は良かったよ。けど客を騙してでも結果を出さなければいけない、そんな会社だったからね。営業なんて仕事はどこもそんなものかもしれないけど、やっぱり辛かったな。」
俺は、営業の仕事はしたことがない。そんなに・・・
「客からは、お前らは詐欺師だ、って罵られたこともあったよ。それでも何とか耐えられた。給料も良かったし、昇進もして部下も出来たからね。だけど事件があってね・・・僕の顧客の一人が、株の損失が原因で、自殺したんだ・・・」
「自殺・・・」
「会社や遺族から直接責められるようなことはなかったけど、それでもう自分の心が耐えられなくなってね、転職を決意したんだ。今度は会社のために客を騙すんじゃなく、美味しいものを食べて本当に喜んでもらいたい、そう思ってあの店の会社に入ったんだ。」
「・・・・・・」
「妻からは大反対されたよ、収入が半分ぐらいになってしまったからね。だから家族を養うために一生懸命頑張って、そして店長までなった。だけどいざ働き始めると、本社から求められるのは売り上げのノルマやコストカットばかり。ずいぶんキツイことも言われた。そんなんでお客さんの顔なんて見る余裕なんてこれっぽっちも無かった。それだけじゃない、元々少なかった家族との時間がまったくといっていいほど無くなってしまったんだよ。」
そういえば店長が休んでるところなんて見たことないな
「そういうことがあって、ついに店を辞める少し前、離婚したんだ。」
「離婚ですか・・・」
「ああ、ずいぶん寂しい思いをさせたんだろうね。妻が不倫してね。それから散々話し合って、それでも、もめて・・・最後に妻が言ったんだ、父親の顔が浮かんでこない家族関係に何の意味があるのか、って。結局その言葉で僕は離婚に同意することにしたんだ・・・」
離婚してたってのは噂で聞いてたけど、不倫までされてたなんて・・・
「妻は子供と一緒に不倫相手の元に行ってしまった。連絡を取ってないから、今どうしてるのか全く知らないけどね。でもそれで、心の中にポッカリと穴が空いてしまってね。何のために一生懸命働いてるか解らなくなって、気が付いたらこの島にいたんだ。」
「どうしてこの島なんですか?」
「大学の時は山岳部でね、その頃からこの島で山登りをするのが好きで何度も来ていたんだ。いわば青春の思い出ってやつだね。それにこの島に魅せられたのは僕だけじゃない。山岳部時代の親友は大学を出てからずっとこの島で登山ガイドをしてるんだ。そのツテで今こうして僕も登山ガイドの見習いを始められたんだけどね。どうだい、ここまで来るのは大変だっただろうけど素晴らしい場所でしょう?」
「え?はあ・・・」
昼間、危うく死にかけた事を思い出した。あの恐怖を考えるとどうも素直に素晴らしいばかりとは思えない。さすがに、店長には危うく遭難しかけた事までは話してない。
「でもここに住み始めて、山の自然と関わりながら仕事をするようになってから考えるんだよ。」
店長が、いい笑顔をする。今まで見たこと無い笑顔だ。いや、そういや年賀状の写真もこの顔だったよな。
「今までやりたい事も辛い事もガマンしてひたすら勉強して、必死に勤めて、会社のため、家族のために頑張ってきた。周りは、それでいいとか、立派な生き方だと言ってくれた。だけどそんな生活の中に満たされないモヤモヤを抱え続けていたのも事実だったんだ。だけどいざ家族という枷が外れて、ここでこうして生活して、ようやく本当に人間として生きてるんだなって実感できるようになったんだ。」
ドクン・・・
「枷が、外れる・・・ですか?」
「うん。僕は、いや僕だけじゃないかもしれない、多くの人が色んなしがらみに心を囚われてしまってるんだと思う。それで苦しい思いをして我慢し続けてるんだ。僕の場合はそのしがらみがダメな形で外れたんだけど、それでも実感するんだ。何て心が軽いんだろうか、何と自由なんだろうか、今まで僕は何にこだわってたんだろうか、ってね」
「しがらみ・・・多くのひと、ですか・・・」
グル、グル・・・この感覚は・・・
「もちろんこんな生活は金にはならない。この仕事だって僕一人食べていくので精いっぱいだ。だけどね、こういう自然の中で生きることこそ生き物としての人間の本来あるべき姿だと思うんだよ。科学や文明は発達しすぎた、便利さと同時に心のしがらみもついてくる。これが僕の辿り着いた答えさ。」
「・・・はぁ」
上の空で、うなずく。いや、上の空じゃないな、店長の話はしっかりと聞こえてる。理解できてる。それと同時に俺の頭の中の思考回路が、また動き出してる。
ここ数ヶ月間くらい、ネガティブに堂々巡りしてた頭のなかの流れが、一つの方向を定めて流れ出した、そんな感じだ。
「須永くんもそんなものに囚われてたのかもしれないね、彼、真面目そうだから。」
「須永に会った事があるんですか」
「ああ、何度かね。結構いい大学を卒業してたみたいだからプライドは高いし、あの会社で働くのは本意じゃなかったみたいだね。だからなのかな、下に対して辛く当るところはあったね。根は悪い人間じゃあないよ」
「そうなんですか?」
「まあ、彼にとっては武田君みたいな存在は一番扱いにくかったのかもしれないね。店の長としてバイトに示しを着けないといけない、だけど年齢的にもあの店の事を知ってるという意味でも君の方が上だ。どうして接していいかが解らなくて結局見下すことでしか関係性を作れなかったんじゃないのかなぁ。」
「そんな…普通に接してくれればこっちだって」
「それができなかったんだろうね。そういう意味では彼も辛かったのかもしれないよ。」
「・・・・・・」
しがらみが人を苦しめる・・・店長の言う事が正しいとするなら・・・それって結局自分の考え方が生み出してるってことだろ・・・だったら・・・
「でも、武田君の気持ちもわかるけど・・・やっぱり殴ったのは良くなかったねぇ」
そう言われて、いきなり我に返った。
「もめるにしても、そういう時は殴った方が悪いということになるからね。それをふまえて我慢するのが大人というものだよ。」
「は、はぁ・・・すいません」
なんか、店長に言われて急に恥ずかしくなってきた。そうだな、そういうトコ俺ってまだまだガキだよな。
「僕に謝っても仕方ないんだけどね。でもまあそういうところも含めて君は行動力があるからね。」
・・・・行動力だって?ニートで引きこもりの俺が?そんなこと言われてもにわかには信じられない、そうなのか?
「そうなんですか?」
「だってそうじゃないか、思い立ったからといってわざわざ東京からこんな所までやって来るなんてそうできることじゃないよ。現に年賀状を出した人の中で実際に来てくれたのは君だけだからね。」
「はあ」
「演劇の世界に飛び込んで行こうなんて決意は、僕からしたら相当勇気がいると思うしね。そういう意味では君は自分で思ってるよりもずっと行動力があると思うよ。」
自分で思ってるよりも、か。なんか小川や篠田からも似たようなこと言われたけどそういうことなのかな。もっとも行動力があってもロクな人生じゃないんだが。
「さて、そろそろ遅くなってきたし寝る準備をしないとね。」
「今日は本当にありがとうございます。」
「いや、全然かまわないよ。東京にはいつ帰るんだい?」
「あ・・・特に考えてないです」
「そうか・・・これも何かの縁かもしれないね」
「え?」
「もしよかったらこの島で住んでみないか?料理関係の仕事なら世話できないこともないし、君にむいてると思うよ。」
店長の言葉に、俺の心がザワついた。