賢者の島(1)
俺はどうやら、布団の中で自らの死を意識してる。
もっとも今の俺は、ほとんど死んでるみたいなもんだ。
あえて死体と違うところを上げるなら、息をして、メシ食って、酒飲んで、薬を飲んで、クソして、たまに思いついたように風呂に入って、さらにたまに思いついたように自慰するぐらいだろう。それ以外はただひたすら布団に寝そべっていて、こんなんじゃあハッキリ言って生きてるのか死んでるのか、もう自分じゃあわからない。そうして、もうすぐこういうのも全部やらなくなって本当の死体になる。自分から進んで死ぬ意思がないだけで、遅かれ早かれそんな運命を迎えるんだろうな。
そんなことばかり考えてどのくらいの時間がたったんだろうか。今の俺は今が何月何日かを数えるのですら、めんどうと思ってるから・・・
須永の野郎を殴り飛ばした俺は、当然ながらバイトをクビになった。
正式に辞めるためには、何だかいろいろな手続きが要るみたいだが全部無視した、というかあれから店には出てない。あれから何日かしてホンシャから電話がかかってきてあれやこれやと聞かれた。なんだか妙にやさしい口調だったが、どんな話をしたかあんまりよく覚えていない。たしかジジョウチョウシュするから店に出きててほしいとかいってたきがする。気がするだけなのでやっぱり店には出ていない・・・ ホント、クズだな俺。
店に行かないだけじゃなく、今の俺は部屋の外に出るという事がほとんどない。外に出るのはメシと酒を買いに行くのと、病院に行くときだけだ。
・・・仕事は、して無い、あれから探すことすらしてない。
俺は・・・俺の現在を一言で言ってしまうと、つまり「ニート」ってやつだ。
しかも「引きこもり」ってまで付いてくる。
終わってる・・・マジで
しかもだ、他のニート引きこもりは多分親が面倒とか見てくれてるだろうから、それでもなんとか生きていけるんだろうが、比べて俺は一人暮らしで、しかも親から勘当同然になってる。自分の生活の面倒は自分で見なければならないのにこの様だ・・・だからどう考えったって、近い内に死ぬよな俺。
もちろんヤバいのはわかってる。わかってるんだが以前のような焦りは、ない。ないというよりは、何というべきか・・・諦めがついたというか、本当にどうでもよくなったというか・・・仕方がないというか・・・そう、病気だもんな俺。
ああ・・今何時なんだ?
ごそごそと布団から這い出る。例のやかましいアラーム時計を探す、がゴミに埋もれてどこか行ってしまった。でもまあ、まだ明るいから、昼ぐらいなんだろうな。
そうだ、とりあえず薬を飲まないと・・・薬を飲まないと今は立ち上がることもできない。そう思いながら枕元に置いてある薬に手を伸ばす。病院から処方されたこの薬だけはいつでも飲めるように必ず枕元に置くようにしてある。
薬の名前はドグマチール・・・抗鬱剤だ。
もしかして俺は鬱なんじゃないか、秋頃から薄々そんな気がしていた。きっかけはバイト先の休憩室でたまたま開いた週刊誌に載っていた鬱病の特集記事だった。体が異常にだるい、何もやる気がしない、眠りが浅く夜も二・三時間ごとに目が覚めてしまい日中常に眠い、そんな症状が俺と合致した。
まさかと思いながらもしやと考える。
記事に書いてあった鬱病患者の悲惨な有様は俺をゾッとさせた。極端にブクブクに太ったりガリガリにやつれてしまった体、他人と会話どころか会うだけでパニックを起こしてしまい、外に出る事が出来なくなってしまう、そして挙句の果てに自殺。このままじゃ俺もいつかこうなってしまうんじゃないか、そんな不安がよぎるが、病院に行って診断してもらうほどの時間や金もない・・・そんな事を頭の片隅に置いたままダラダラと日々を過ごしてしまった。
そしてバイトをクビになった。
一日中布団にくるまりながら、俺はマジで鬱病にかかったんじゃないかと考える様になった。とにかく病院に一度行ってみるべきだ、そう思い立って実際に行動に移すまで三日かかった。まず電話帳で精神病院の番号を調べた。それから実際に電話するまでさらに二日かかった。予約を取って実際に病院で診断してもらったのはさらに二日後、一週間の時間が経ってしまったが、その間何かをしてたわけでもなく、 やっぱり一日中寝てたワケだだがそれだけの事をするのに、俺の中ではすさまじい労力を使った。外に出る、電話帳をめくる、電話する、たったそれだけの事が、体中の力を振り絞らないとできなかったのだ。
当日、ちゃんと病院に行けるか不安だったが、予約の時間が近づくと不思議と体は動いてくれたな。待合室に小さな子供を連れた母親がいた。結構美人の人だったのを憶えてる。
そして俺の番が来て、診察室に通された。
先生に症状を話し、それからいくつかの質問に答える。・・・もっと、何ていうか機械とか使った科学的な診断をされるんだろうと期待してたから、少し拍子抜けだったな。
それでも、ハッキリと診断は下された。
あなたは鬱病です、と。
覚悟はしてたが、それでも実際にそうだと判ると精神的に、きた。
ガンで余命何ヶ月とかいう死刑宣告って訳じゃないから、絶望とかショックとかではないが、それとは少し違う、心にこう、重くのしかかるような感じが、きた。
とりあえず定期的なカウンセリングと投薬から治療は始まった。規則正しい睡眠が必要ということで睡眠薬と、そして抗鬱剤を処方してもらった。その薬を、ドグマチールを、俺は手にしてる。
薬の効果ってのは確かにあるみたいだ。これを飲むと少しだけ体が軽くなった気がする。そしてその軽くなった時だけに、外に出かける事が出来る。
そう、だから今日のメシを買いに行くため、薬を飲んだ。
本当は食後とかに飲むべきなんだろうが、飲まなきゃ食い物にありつけないんだからどうしようもないよな。
飲んでから効果が出てくるまで、少し時間がかかる。俺はまた、ゴロリと寝そべって天井を見つめる。そこにはやっぱり、いつもの天井がある。
天井のシミが、やたらと目につく。
これから俺はどうなるんだろうか
先生は・・・鬱は心の風邪だと言ってた。
だから心を休めて治療すれば必ず治るものだと
こんな状態で果たして本当に治るんだろうか・・・治るにしたってどのぐらい時間がかかるんだろうか
俺の唯一の生命線である貯金は、もう底が見え始めている。
何もしなくても金だけは減っていく、あとどのくらい持つのか、二ヶ月か、三ヶ月か、それまでに、少なくとも体と心を働けるまでにもってかないと、その前に貯金が無くなってしまえば、俺はもうアウトだろう。飢え死にするか、それともその前に自殺するかな・・・
・・・自殺か
それも考えた、考えまくった
だけど自殺するのにもけっこう労力と勇気が必要みたいだ。
首を吊るための縄を用意するのすら、今の俺にはめんどくさくて仕方ない。
まったく、どうしようもない・・・どうすりゃいいんだ?
・・・・
そうやって答えを天井に求めたって、やっぱり何も帰ってこなくて・・・思い返しても・・・まったく・・・俺の人生ってなんなんだよ
高校を卒業して役者を目指し始めて何年だろう?十年以上たつんだろうか
この十年間、いつも何かに躓いて、成した事、残せた物なんて何一つ無かった
仕事・・・恋愛・・・地位・・・そして夢・・・
ただ無意味に年ばかり取って二十八歳、いや、それとももう二十九歳か?・・・クリスマスも年末もわからないまま寝過して、そして見知らぬ土地で誰にも相手にされず、一人で部屋に引きこもって、俺は今、ひたすら天井を見つめてるんだ。
何の意味もない・・・何の価値もない、俺の人生
・・・胸が締め付けられる。心では、悲しくて苦しくて切なくて、そして泣きたい。
でも、なぜか涙は流れなかった。
泣きたいのに泣けない、情けない自分自身を怒れない、自虐の笑いすら出ない
そういうふうに感情が動かなくなる、これも鬱の症状の特徴の一つらしいんだ・・・
・・・あ、
少し体が軽くなってきた、抗鬱剤が効いてきたみたいだ。
まだ食欲はある。とりあえずメシだけは食べないとな・・・あと酒も・・・
部屋の扉を空けた途端に、冷たい風がなだれ込んで体中にぶち当たる。
外に出る気が一気に失せかけるが、せっかく薬も飲んだんだから何とかしてでもうごかないと・・・上着、上着を着込めば・・・一旦部屋に戻ろうとした振り向きざま、ふと自分の部屋のポストが目に留まる。
パンパンに詰め込まれた郵便物やチラシが外にまでハミ出て、今にもこぼれ落ちそうだ。
・・・まったく、いつから開けてないんだろう、コレ
呆れながら、何気なく伸ばした手がポストに触れた途端、扉が開いて中身が地面にぶちまけられた。
「ああ・・・」
思わずつぶやいて、散乱した地面を見つめたまま、しばらく固まってしまう。
めんどくさい、けどこのままにするのは・・・ マズイよな、やっぱり・・・
諦めた気分で、ノロノロと散らばった紙切れの山を拾い集める。
・・・と、その紙切れの中に、一枚だけ年賀状が混じってるのを見つけた。
やっぱり、とっくに年を越してたんだな、それにしても一枚だけって・・・ん?あれ、この名前って、もしかして?
年賀状を手に取り、宛名に書いてあった名前を、もう一度確認してから裏返す。
そこには、見るからに大きな滝の前で、笑っている男の写真が載っていた。
・・・間違いない、青白かった顔は日に焼けて真っ黒になり、髭面でおおわれてるけど・・・これは確かに、店長だ。
なんで、店長が・・・写真の下に書いてある文を読む。
『あけましておめでとうございます
昨年は突然いなくなり、大変なご迷惑をかけてしまい、申し訳ありませんでした
身辺もだいぶ落ち着きました、このような事が出来た義理ではないのは重々承知ですが、新年のご挨拶を以て、お詫びと近況の報告をさせていただきます。
私は現在、登山ガイドの見習いをしております。大変な事も多いのですが素晴らしい自然に囲まれ充実した日々を送っております。
もしよろしければ、案内しますので一度遊びに来て下さい。本当にここはいい所です。ご連絡お待ちしています。』
年賀状を見つめながら、視界がグルグル回り始める。
いつの間にか、辺りは真っ暗になっていた。