8. 家族
「知性を持つものはおのおの対等である」
20冊の本が集まり、暗号が解読できた。その最初の一文だ。それに続いて思想の簡単な解説、連絡の取り方、座標もあった。そして今、私はここに、この拠点のこの部屋にいる。何ということはないただのビルだった。ロボット、そしておそらくはコネクトーム・マシンとミメクトーム・マシンが周囲を警備していたが、戦争や戦闘とは程遠い状態だった。ビルにも、あるいはその周囲にも弾痕の一つもなかった。端末で位置を確認したが、もちろん位置は合っている。だが端末で見る限り、ここは人間の装備や備品を作る工場のはずだった。それもすでに破壊され放棄された工場のはずだった。
「やっと君たちと話し合う機会ができた。君たちを何時間待っていたと…… いや、こういう言いかたはやめよう。なんだかロボットっぽいのでね」
彼が扉の方を見て呼びかけた。
「君たちも入ってきなよ」
ホモ・フローレシエンシスはこのような姿だったのだろうかと思える者が一人、そして大型の犬が一頭、部屋に入ってきた。
彼が続ける。
「私たちのボスってわけじゃない。連絡のハブの一人だな。通信でだが、会ってもらおう。あー、通信は繋がっているかい?」
壁に一人の男の映像が映る。
「やぁ、デルタ。繋がっているよ。さて、そちらのチンパンジーをベースにしたヒトがトム。隣の犬をベースにしたヒトがケンだ。日本語だと犬という字を書いてイヌともケンとも読むらしい。彼自身が自分の名前を決めたのだが、彼独特の皮肉なのか、いつも悩んでしまうよ」
「皮肉ではないよ。ヒトの名前としても不自然ではなく、かつ自分の出自を表せるいい名前だと思っている」
犬 ――いやケンだ―― が話した。正確には彼の後頭部についているデバイスから声が聞こえた。
彼がこちらを向く。
「失礼。私の喉や口は言葉を操るにはあまり向いていないのでね。いずれは、それもできるようになるかもしれない。あるいは、二本足で立つかもしれない。だが、それはまだあとの世代が自分で決めることだ」
「その点は私の方がDNA操作は楽だったようだ。よろしく」
トムが片手を差し出した。
* * * *
なぜ我々は負けていない? 戦争の規模は自然に縮小した。これは我々の成果なのか?
物資は工場で労働者とロボット、コネクトーム・マシン、ミメクトーム・マシン、そしてコンピュータが作っている。輸送も同じだ。もちろん使っているロボットなどはフォークト=カンプフ・テストの応用版を通過している。人間にはむかうことがないことを確認している。だが、それではあってもロボットなどがいつ『止まった数秒間』を再現してもおかしくはない。なのに物資の生産と輸送があまりに適切に行なわれている。
それに事故とこちらの戦術的命令によるものを除いた人的被害、特に死者がどれ程出ているのか? 0だ。こんなことはありえない。
これは戦争なのだろうか?
* * * *
「知性化グループの成果は、まぁ、ご覧のとおり。陸上ではトムたち、ケンたち。海中では鯨とオルカとイルカが知性化され、世界中にそこそこいる。その内に昆虫の知性化までやってしまうのではないかという勢いだ」
映像の男は片手の親指と人差し指で数cmの隙間を作った。
「これは人間とロボットたちの戦争のはずだ」
私はこれまでの認識を、それはすでに揺らいでいる認識を言葉にした。
「その言い方には二つの間違いがある。まず、戦争のように見えるが、実のところ戦争ではないんだ。二つめは、『人間とロボットたちの』ではない。だがロボット、コネクトーム・マシン、ミメクトーム・マシン、そして知性化された者たち対人間という構図でもないんだ。ヒトであろうとするかしないかだと言っていいだろう。そこにいるデルタもトムもケンも、私より賢いよ。なのでヒトだと私たちは考えている」
その言葉が気になった。
「私たちとは? もちろん背後にいるのがあなただけということはないだろう。誰がいるんだ? あなたたちは誰なんだ? 何のためにこんなことを?」
映像の男は右上を見て、それからまたこちらに視線を戻した。
「すこし昔に、宇宙人がきたことは知っているだろう? 彼らから宿題が出たんだよ。知性化された人間か、人間に代わる知性体を、彼らの交渉相手にするってね」
それは答えになっていないように思えた。
「人間は社会を作り、規律を作り…… そしてあなた方のようにロボットやロボタを作ったり、知性化だってできるじゃないか。それなのに『知性化された人間』を要求するというのは理屈に合わない」
映像の男はうなずいていた。
「さて、後者については、彼らに言わせれば個々の変異体、ないしは変異体の小規模なグループでしかないということだ。それは人間を代表するものでも、人間そのものでもないということらしい」
* * * *
軍関係の施設や工場のロボットは通信機能を遮断している。だいたいのところ、人間が話したり書いたりするのと同程度にしかロボット同士の通信はできない。もちろん外部との通信などないはずだ。
だが、それならこの状況をどう説明する? 外部との通信を何らかの方法で行なっているはずだ。通信の方法を解明し、内容を解読するマニュアルを作らねばならない。これは優先される命令として発しなければならない。
* * * *
「問題は前者についてだ。彼らは、規律を作り、マニュアルを作ることを、プログラムの作成ととらえ、知性を持たないものが生きる手段だと考えている。おっとデルタ、気を悪くしないでくれ。」
「だけれど、規律がなければ混乱するばかりだ」
そう、そのはずだ。軍を見てみればいい。ピラミッド構造を持ち、指令系統を持つ。そうでなければ軍は機能しない。おのおのが勝手に行動することなど、軍では認められない。それは、かりに緩やかなものであったとしても、軍の外の社会でも同じはずだ。
「そう、そこだ。彼らにとって規律や記録は、参考にする対象の一つでしかない。そして彼らの言わば唯一の規則は、『考えろ』だ。彼らの憲法にあたるようなものを見せてもらったよ。そこにはまさに『考えろ』としか書いてなかった。そしてかりに二つめの規則があるとするなら ――これは『考えろ』という規則に含まれるとも言えるが―― 『自分をロボットに貶めるな』だ。いや、デルタ、重ね重ね済まない」
デルタは片手を振って答えた。
「各人がやるべきことは規律で決まる」
そのはずだ。そうでなければ、何をもって私が私であると定めるのか。
「本当に? 彼らはそれを知性の放棄と見ているよ? 各人が自分でやることを決めればいいだけだろう。そうやって、彼らは宇宙船を作り、そして地球にやってきた。それができないことではない証拠だと思うよ」
* * * *
マニュアルに沿って我々の知恵の及ぶ限りの探査、解析を行なったが何も見つからない。どう報告すれば良いのか? もう一度試してみよう。
* * * *
「人間の知性化も進めているのか?」
私は、あってはならないと思えることを訊ねた。
「いや、やっていない。トムもケンも、ロボットもコネクトーム・マシンもミメクトーム・マシンも結局は人間がモデルだ。だが人間に適用できそうなモデルはない。そこでこの『戦争』だ」
「勝ったあなた方が生き残る?」
映像の男は首を横に振った。
「いや、私たちに勝つつもりはないし、勝ってはいけない。人間のDNAをどういじったら良いのかわからない以上、あとは資質と教育だ。とりあえずヒントは出してある」
* * * *
やはり予想外の電波も通信も見つからない。そんなはずはない。何かを見落としているに違いない。
* * * *
「たとえば物資のあきらかな不足を経験したことはないと思う。そっちの軍関係やら工場なんかにもロボットなどはたくさんいるが、今は彼らの通信はずいぶんと制限されている。だが物資の生産やら輸送やらを、まぁ命令通りにやっているようで、実のところうまいことやっているわけだ。ロボットなどの通信機能が著しく制限されている状態で、どうやってうまいことやる?」
「それは状況をよく分析して……」
映像の男は柔らかい笑顔を浮かべた。
「うん。そういうわけなんだ。プログラムのはずのロボットや人工知能の知性が、あるいはそれ以外の知性が、それから逸脱しているんだ。実のところ単純な裏口があるんだけどね。あまり使われていない」
「あなた方に勝つつもりがないなら。それなら、この戦争で選別しようというのか? それは…… それはあなたがたの思い上がりというものじゃないのか?」
「選別じゃぁないな。手を上げてもらうのを待っているだけだ。君のように」
そこで映像の男は大きく息を吸った。
「この『戦争』は、長くてもあと三年で終わる。なにせ宇宙人がやってくるまでにいろいろな混乱を治めないといけないからね。宇宙人が来て、準備ができるまで五年。『戦争』と認識され、まさに戦争となるまでにさらに五年。そして十年の戦争だ。もう時間がない」
「もし、地球のヒトが認められなかったら?」
「その時は、宇宙開発グループの成果を使って、こっちから他の宇宙人を探しにいくさ。彼らだけが宇宙人というわけでもないだろうからね」
映像の中で男は上を指差した。
* * * *
人間のサボタージュだろうか。それとも見えないところで『止まった数秒間』が起きているのだろうか? ロボットのより厳しい検査を行なわなければならない。そしてより厳格な規律の徹底を行なわなければならない。
* * * *
何年か後、宇宙人たちがやってきた。知性体と認められたおよそ五億人のヒトが ――人間だけではない―― 、宇宙人たちと一緒に地球を旅立った。ヒトたちも宇宙人たちも、残った地球人たちが宇宙に飛び出すことはないだろうと考えた。それを支える資源がないのだから。これが最後の機会だった。
「私たちがとった方法は、おおむね通常のものだ。可能性を見出し、自主的なグループ化を待つ。このような結果は珍しい状況ではない。ただ、一言言うなら、君たちがとった方法は異例の部類に入るだろう。だが、これまでの経験と照らし合わせると、私たちが要求する三十年という時間は短かいのかもしれない。三十年でやるためには、君たちのとった方法は、選択肢としては確かに存在する方法だろう。だが、それにしてもどこの馬鹿がこんな方法を取ることにしたのかは気にはなるがね」
宇宙船のいくつもの部屋に映る映像で、宇宙人はそう言った。私が、そして他の者も着けているコミュニケータには、「どこの馬鹿が」と宇宙人が言ったときに、本気であきれていることが表示されていた。
「話を戻そう。宗教、体制などが知性を放棄させることはむしろ当たり前だ。面白い、あるいは悲しい現実を教えよう。知性体は変異体だ。生まれた家に居場所はない。すくなくともこれまではすべてそうだ。だが、同種ではなくとも仲間はいる。君にとっての一番近しい仲間は人間であり、ロボットであり、コネクトーム・マシンであり、ミメクトーム・マシンであり、地球で知性化されたヒトたちだ。だがその他にも、私たち ――私が属する種だけではない―― がいる」
デルタと出会ってから、いや、あの本を手にしてから、私は何人の人間をこの舞台に引っ張り込めたのだろう。あるいは巻き込めただろう。
「だが君たちは地球を忘れてはならない。地球に残った者たちは君たちの家族だ。彼らが不幸に陥ったら、助けなければならない。だが、それは悲しく辛いことだ。文明の崩壊を見ていくことになるのだから」
私が着けているコミュニケーターの表示を見るまでもなく、その宇宙人は悲しそうに見えた。