9.
覗いてやる。由紀の未来がどうなるのか。この手で見てやる。茜は村上由紀のテキストファイルを探し出し、それを開いた。画面いっぱいに、再び文字が踊る。画面をゆっくりスクロールさせ、過去から現在まで移動していく。そして、未来へ。彼女に待ち受けている、未来。それがどんなものなのかを。
二〇一五年 十一月三日 文化祭のミスコンで優勝
二〇一六年 七月十日 センター試験の模試で学年一位
二〇一七年 三月十日 国立大学前期発表 京都大学文学部合格
二〇一七年 三月二十日 卒業 川上翔大からプロポーズを受け婚約する
何だ、これ。平凡でつまらない人生を送る茜。将来有望で幸福の道が約束された、由紀。何だ、どういうことだ。どうして、こんなにも差が出てしまう。どうして、自分だけ幸せになれない。どうして、由紀だけが。どうして、どうして、どうして――
あまりに悔しくて、涙が出る。この差は、なんだ。このどうしようもない差は。
それはもちろん、由紀だって努力しているのだから、当然のことなのかもしれない。それを間近で見て、茜は知っている。知っているのに、嫉妬心が止まらない。私の好きな翔大を奪い、幸せを何もかも手に入れる由紀が、許せない。こんな幸せなんて、全て消えてしまえば良いのに。――そうか、全て消してしまえば良いんだ。
突然そんな考えが頭を掠めて、茜は背筋がゾクリとした。そうだ。もし、もしも今、このテキストファイルにある由紀の幸福な未来を全て消したしまったら。そして不幸な内容に書き換えてしまったら。一体、どうなるのだろう。
キーボードの右上にある、バックスペースキーを、押す。プッと、画面から文字が消える。もう一度、押す。プププと、文字が消えていく。キーを押しっぱなしにしていると、速度が増して次々に文字が消えていく。由紀の幸せな未来が、消されていく。
「あはは、あははは……」
なんともいえない爽快感が、茜の心を満たしていく。色で喩えるならドス黒い、茜の心。コップに水を注ぐように、快感で満たされていく。ニヤニヤが止まらない。消えろ。消えてしまえ。ププププと、着実に由紀の将来が失われていった。
二〇一五年 七月七日 通学途中に交通事故 右撓骨遠位端骨折
その一文まで消し終えた所で、茜はバックスペースキーから手を離した。過去は、消したらどうなるのだろう。ふとそんな疑問が過る。思わず今、今朝の出来事まで消してしまったが、もし、由紀と翔大が付き合ったという、あの一文を消してしまったら。その過去は、無かったものになるのだろうか。そうだとすれば、茜にもまだチャンスがあるかもしれない。いや、でも――どうせなら、由紀にはもっと辛い思いをしてもらった方が良い。だって、自分だけが幸せな未来を歩むなんて、あり得ないでしょ。そんなどうしようもない程に醜い感情が茜を支配していく。悩むことすらせずに、茜はカタカタとキーボードを叩いていく。
二〇一五年 七月七日 放課後、川上翔大と居残りするが、喧嘩
二〇一五年 七月八日 川上翔大との仲がどんどん険悪になり、別れを告げられる
そう書き足して閉じるボタンを押すと、警告画面が表示され、茜は思わずドキリとした。
『村上由紀 を上書き保存します。よろしいですか?』
「はい」を選ぶと、カラカラとハードディスクが鳴り、画面は二年三組のフォルダに戻った。背筋が、ヒヤリとする。書き換えてやった。書き換えてやったんだ。なんとも言えない達成感があって、茜はフフフと笑った。そして今度は、再び自分のテキストファイルを選んで、そこに書き加える。
二〇一五年 七月十四日 川上翔大に告白され付き合う
これで、よし。これで、茜は幸せな未来を迎えることができる。閉じるボタンを押し、再び表示された警告画面。「はい」を選び、ふと気になって今度は川上翔大のテキストファイルを選んだ。由紀と茜の未来を書き換えたら、翔大の未来はどうなってしまうのだろう。おそるおそる文字の羅列を読み進めていくと、ちょうど書き換えた日付の所に辿り着いた。
二〇一五年 七月七日 古文の小テストで赤点をとり居残り 村上由紀と喧嘩
二〇一五年 七月八日 村上由紀との仲がどんどん険悪になり、別れを告げる
二〇一五年 七月十四日 伊藤茜に告白し、付き合う
ドキリとして、茜は慌てて翔大のテキストファイルを閉じた。勝手に、書き換わっている。なんで。どうして。唐突に我に返り、先程までのドス黒い感情がサッと引いていく。入れ替わるように、耐えようのない恐怖が茜を支配する。一体どうなっている。手がガクガクと震え、なんとかしてフォルダを閉じる。スタートボタンを選び、終了ボタンを押してパソコンの電源を落とす。
怖い。理解できない。意味がわからない。呪われる? 人の人生を書き換えたんだ。絶対何か悪いことが起こるに決まっている。混乱する頭を左右に何度も振り、頭にこびり付いた恐怖を振り落とす。足元の鞄を広い、逃げるように視聴覚室を飛び出した。ガチャガチャと、鍵を回すが上手く回らない。早く。早くここから逃げないと。ガチャリ、と重たい音がした。大急ぎで職員室まで階段を駆け下りて、鍵を返す。
「どうした、そんなに息切らして」
「すみません、ちょっと急ぎの用事があるのを思い出して」
山本は怪訝な顔をしていたが、それ以上、追求してくることはなかった。
「気を付けて帰れよ、一日に二人も事故を起こしたらたまらんからな」
由紀のことを言っているのだろう。それに答えず職員室から走り去っていく茜の後ろ姿を、山本は静かに見送った。