8.
古文の小テストは、赤点ギリギリで今日の居残りを免れた。翔大は残念ながら赤点を取ってしまったらしく、机に突っ伏して悔しそうにしている。
放課後、翔大の元に駆け寄った由紀が、私も手伝うからと言って微笑んでいた。それを聞いて満面の笑みを浮かべる翔大の表情が、茜には羨ましく見えた。私にも、そんな顔で笑って欲しかった。幸せそうに笑い合う二人から逃げるようにして、由紀は職員室へ向かう。
「なんだ、情報の課題、まだ終わってないのか?」
「いえ、一応終わったんですけど……ちょっと、書き間違えをしたような気がして、確認したくて」
適当に繕った嘘に納得したらしい、山本は特に疑う様子もなく、茜に鍵を渡した。
「ありがとうございます」
頭を下げ、職員室を出る。階段を上がり一番手前の視聴覚室の鍵を回した。ガラガラと扉を開けると、中はカーテンで締め切られていて、昼間なのに真っ暗だった。手探りで壁にある電気のスイッチを探す。右手が小さい突起に触れて、それをカチリと押すと部屋は瞬時に明るくなった。
一番近くのパソコンの電源を入れると、左手に持っていた鞄を放り投げるようにして床に起き、腰を下ろす。画面には、窓枠を型取ったロゴが表示され、ハードディスクからはカラカラと音がした。まだかまだかと苛立ちを覚えていると、体感的には五分ぐらいの時間が経った後、ようやく画面が明るくなる。ログイン画面に必要な項目を入力し、左下に現れたスタートボタンを押す。マイコンピュータからCドライブを選択する。KIROKUと書かれたフォルダを見つけ出し、ダブルクリック。
「開けるな」
画面に踊った文字に、茜はドキリとした。開けてはいけない、パンドラの箱。昔話で有名な浦島太郎も、玉手箱を開ける時は今の茜と同じような気持ちだったに違いない。見てはいけないと言われれば、見たくなってしまう。人間とは、そういう愚かな生き物なのだ。
カチカチ。画面が切り替わり、二年三組のフォルダを選んでまたカチカチと押す。無数のテキストファイルの上の方に、伊藤茜と書かれたテキストファイルを見つける。
見てはいけない。頭ではそう思うのだが、本能がその手を止めさせてくれなかった。見ない方が良いのに、見たいと思ってしまう、哀れな欲望。それが茜の理性を妨害する。
これを見たら、茜の未来が分かる。大丈夫。見るだけ、だから。何も悪いことはしないから。だから、きっと大丈夫。そう信じて、おそるおそる右クリックをした。メニューが表示されて、一番上にあった「開く」を選択する。画面いっぱいに、文字が羅列した。
二〇一四年 四月八日 入学 一年一組に所属
二〇一四年 四月十日 通学途中に道に迷っているおばあさんを見つけ案内するも、学校には遅刻して怒られる
ドクンと、鼓動が速まっていく。そこに記された過去に、何一つ間違いはなかった。ひとつひとつ、読み進めていく。細かい日付までは覚えていなかったが、それはどれも身に覚えのあることばかり。適当に読み飛ばしながら、どんどん画面をスクロールさせていく。ようやく現在に追いつき、そして、未来。マウスを握る手の震えが止まらなかった。ふと蘇る、翔大の笑顔。私にも、彼氏はできるのかな。何か、良いことのひとつやふたつくらい、ないのかな。そう期待して読み進めたものの、そこに記されていたのは、何の変哲もないただの日常でしかなかった。過去と変わらず、くだらない未来。そして、最後の二行に辿り着く。
二〇一七年 三月二十日 卒業
二〇一七年 三月二十一日 国立大学の後期発表 不合格
茜は、深い溜め息を吐いた。何も良いことなんてなかった。彼氏はできず、大学は浪人して、何も良いことがないまま卒業していく。これが本当なら――なんてつまらない高校生活なのだろうか。
それに対して、由紀には彼氏ができた。成績も優秀で、きっと大学にも労せず合格するのだろう。今朝交通事故には遭ったものの、命に別状はない。きっとこれからもほとんど何事もなく、順風満帆な未来が、待っているのだろう。そう思うと、悔しかった。親友であるはずなのに、茜を置いて由紀だけが幸せになっていく様を想像すると、悔しくて仕方がなかった。