5.
「あ、うん、そっか、お疲れ様」
声が震えそうになるのを必死で誤魔化しながら、茜は息を呑む。落ち着け。今、自分は何も見なかった。何も見ていないのだ。
「どうしたの?」
怪訝な顔をして、由紀が尋ねる。
「ううん、ごめん、今うつらうつらして変な夢見てたみたい。由紀の声で目が覚めたんだけど、なんかビックリしちゃって」
「そっか、ごめんごめん、待たせちゃったね」
舌を出してゴメンと由紀が謝る。気にしないでと茜は首を横に振り、椅子の下に置いていた鞄を手に取った。
「それじゃあ、お待ちかねのアイスを食べに、行きましょう!」
意気揚々と由紀が立ち上がる。それに続こうとしたが、足が震えて上手く立てない。手間取りながらようやく腰を上げ、椅子がガタンと鳴る。由紀は気に留める様子もなく、翔大が机の上に置いて帰った鍵を拾い、視聴覚室を出て行った。追いかけるように、茜もそれに続く。
由紀は、翔大と付き合っている。
由紀が、明日、交通事故に遭う。
頭の中で、その二つがグルグルと回る。何度も繰り返し頭の中を巡る。職員室で鍵を返し、職員室を出て、二つがグルグル回り、昇降口で靴を履き替えて、校舎から出て、二つがグルグル回った。
「いやあ、それにしても暑いねえ。お、野球部の皆さん、元気に練習してますねえ」
遠くを見やるように手をおでこの上に翳しながら、由紀が呟く。視線の向こう側で、ランニングをする翔大がいる。由紀に気付いて、翔大が手を振った。それに手を振り返す由紀。翔大と、付き合っている、由紀。明日、交通事故に遭う、由紀。
「こんなに暑い中よくやるよね。私だったらアイスみたいに溶けちゃいそう」
「本当、そうだよね」
気持ちが乗らず生返事を返すと由紀は茜を一瞥したが、特に気にならなかったのか再び前を向いて歩き出す。落ち着こう。まずは、そこからだ。そもそもあれが真実かどうかはわからない。確認する必要がある。
「ユキって、そういや部活しようとは思ったことないの?」
茜が誤魔化すように尋ねると、由紀はううん、と唸ってからそれに答えた。
「無くはないよ。バレー部とか、バスケ部とか。私、中学でバレーしてたんだけど、当時しんどかったのを思い出してさ、結局入らなかったんだ」
由紀が話すのを耳にしながら、茜はテキストファイルの冒頭部分の内容を思い出していた。そうなんだ、と初めて聞いたかのように頷く。
「アカネは?」
「え?」
聞き返すと、何が可笑しかったのか、由紀は少し笑ってから続ける。
「アカネは、何か部活入ろうとは思わなかったの?」
「私は……運動とか好きじゃないし」
ふうんと、興味なさそうに由紀は頷いた。その後しばらく由紀がバレー部員だった頃の話が続いているうちに、二人は駅前のフォーティーワンに辿り着いた。ビシバシとしごかれていたらしい話を聞くと、やはり運動なんてしようとは思えなかった。こうやって帰りにアイスを食べてダラダラと過ごす生活が一番幸せなんだと思える。ただ、今は視聴覚室のパソコンに隠されていたあの内容のせいで幸せを感じる余裕なんて無かったのだけれど。
「いらっしゃいませ」
自動ドアをくぐると、店員が二人に気付いて挨拶をした。学校帰りと思われる制服を着た中高生が数人と、主婦だろうか、四十代くらいの女性が一人いた。
「うわあ、どれにしようかなあ」
由紀が目を輝かせて言った。茜はまだ少し動揺していたこともあって、どれでも良いと思ってしまった。目に留まったものを適当に選ぶことにした。
「チョコレートと抹茶のダブルをお願いします」
「かしこまりました。コーンとカップはどちらにしますか?」
「コーンで」
茜が答えると、店員は慣れた手つきでアイスを作り始める。由紀は悩みに悩んだ結果、私も同じのをと言って茜と同じアイスを注文した。
お金を支払い、出来上がったアイスを受け取った二人は、近くの席に腰を下ろした。座るや否や、待ちきれなかったのか由紀がアイスを一口、パクリと齧る。
「んー、美味しい!」
満面の笑みを浮かべて由紀が言う。茜もそれに続いて一口。チョコレートの甘さが口の中に広がる。でも、いつものように美味しいとは思えない。さっきのテキストファイルの内容が、アイスを堪能することの邪魔をしていた。聞いてみたい。本当のことを、聞いてみたい。
「ねえ、アカネ」
改まった風に口を開くので、茜はハッとして顔を上げた。
「実はさ、親友のアカネには報告しておきたいことがありまして」
「え?」
心臓が、弾んだ。良い意味ではなく、嫌な意味で。
「あのね……私、彼氏ができたの」