3.
不意に、茜の目の前の画面が明るくなった。ログインIDとパスワードを求められたので、そこに自分の学籍番号を入力し、エンターキーを押す。左下のスタートボタンを押し、プログラミングのエディタを起動して、昼間保存した自分のファイルを開いた。必要な量の半分過ぎ程度しかまだ書けておらずウンザリする。どうして皆はあんなに速く課題を終わらせることができるのだろう。今日何度目かの溜め息を吐いて、カタカタと文字を打ち始める。
「アカネ、溜め息吐き過ぎー。まあ、気持ちはわかるけどさ」
由紀もどうやら作業を開始したらしく、教科書と画面を交互に見ながらポチポチと人差し指一本でボタンを押していく。見ると、まだ半分も課題をこなせていないようだ。私の方が先に終わりそうだなと思い、なんだか安心する。自分より機械が苦手な人間もいるんだな。
「終わったらフォーティーワンのアイスが待ってるんだから、頑張ろ!」
「あー、良いなー、俺もアイス食いてー!」
茜がうんと頷いた横で、悠太がやけくそ気味にガタガタと力強くキーボードを叩きながら言った。
「食べたら良いじゃん」
「バーカ、部活があんだよ。さっさと課題終わらせて行かねえと怒られちまう」
「俺も、つうか顧問の先生に遅れるって言いに行っただけで既に怒鳴られたし」
「ふうん、厳しいんだね。サッカー部も、野球部も」
由紀は関心したように言うが、今まで運動部は愚か、部活そのものに入ったことすらない茜にとって、それはよく分からないことだった。どうして怒られてまでしんどい練習をこなさなければならないのだろう。とはいえ何かに夢中になれるというのは純粋に羨ましいことだと思うし、何よりスポーツをする男の子は格好良いと思うので、全くもって無意味だとまでは言わないけれど。
「まあでも、アイスなら部活終わってから食べに行けば良いんじゃないの」
「確かに!」
「その手があったか!」
サッカー部の悠太と、野球部の翔大は二人してほぼ同時に頭を抱えたので、茜は思わず笑みを零した。チラリと翔大が茜の方を振り向いて、恥ずかしそうに作業に戻る。作業に没頭したのか、しばらく沈黙が続き、カタカタ、ポチポチとキーボードを叩く音だけが聞こえた。茜があともうひと息の所まで辿り着いた時になって、カタンと一際大きな音が響く。
「よっしゃ、終わった!」
「ちくしょう、僅差で負けたかあ!」
「へへ、一番乗りは貰ったぜ、翔大」
「何言ってんの、ほとんどの人は居残りせずに終わってるんだから、一番乗りどころか三十七番乗りくらいでしょ」
「細かいことは良いんだよ! ほんじゃ、俺先行くわ!」
スポーツバッグを肩に掛け立ち上がりながらパソコンの電源を落とすと、悠太は急いで教室を飛び出して行く。すると今度はカチカチと何やらマウスをいじっていた翔大が立ち上がった。
「俺も終わった、三十八番乗り! ではでは、鍵ここに置いとくから」
残された女子二人に得意気な笑みを浮かべながら、翔大は視聴覚室を後にする。彼の方に視線を向けられず、茜はパソコンの画面を見つめたままそれに会釈した。
「明日の古文のテスト勉強も忘れずにねー」
由紀が手を振りながら言うと、廊下から「ああ! 忘れてた!」と絶叫する声が聞こえた。良かった、これでもし茜が赤点を取っても一人で居残りしなくてすみそうだ。
「ああ、もう、皆速いなあ。アカネ、あとどれくらい?」
「へへ、実は……今終わったよー」
最後の一文字を打ち終え、上書き保存を選択する。ウインドウを閉じて、茜は由紀にVサインをしてみせた。
「ええ、マジ? うっわ、ごめん、もうちょい待ってね」
申し訳無さそうに手を合わせながら由紀が言う。大丈夫だよと茜は答えて、パソコンの電源を落とそうとして――やめた。課題を再開する時に開いたKADAIフォルダの隣に、KIROKUフォルダが目に留まり、昼間の「開けるな」のフォルダのことを思い出した。あれ、一体何だったんだろう。コンピュータウイルスでも入っているのかな。パソコンのことを詳しくないのでわからないけれど、フォルダを開いただけで感染するウイルスなんてあるのかな。そもそも、そんな危険なものを学校のパソコンに入れておくだろうか。
――少し、覗くだけなら。
そんな考えが脳裏を過る。気が付けば、マウスポインタがKIROKUフォルダに重なっていて、茜はそれをカチカチとダブルクリックする。やはりそこに、開けるなと書かれたフォルダがひとつ、存在した。