2.
終業のチャイムが鳴り、由紀と茜の二人は職員室へ足を運んだ。視聴覚室の利用者ノートに名前を書いて、鍵を借りようと近くにいた先生に声を掛ける。
「あの、山本先生、すみません」
「お、なんだ伊藤。また居残りか」
山本は蓄えた顎鬚を撫でながら笑った。茜は少し恥ずかしそうに苦笑いで答える。
「そうなんですよね。ひどいと思いません?」
「ま、高校生というのはそういうもんだ」
壁に掛かった特殊教室の鍵をひとつひとつ手に取って確認する山本の後ろで、由紀が首をひねる。
「どういう意味ですか?」
「明日の古文単語の小テストで赤点とった奴は、居残りになるってことだ」
「あ! 先生、ひどい!」
由紀は笑いながらそう言ったが、茜は笑えなかった。明日、小テストがあったんだっけ。全く勉強していなかった。やばい。このままでは二日続けて帰りが遅くなってしまう。たまったもんじゃない。さっさと終わらせて、古文の勉強もしないと。やらないといけないことばかりで嫌になる。これだから高校生は忙しい。
「あれ、鍵無いな。ちょっとノート貸してみ」
どうやら視聴覚室の鍵が無いらしく、山本は由紀の持っていた利用者ノートを受け取るとパラパラとページをめくった。
「藤井と川上が鍵を持って行ったみたいだな」
納得したように頷きながら山本が見せたノートを覗きこむと、二人の名前より前に藤井悠太と川上翔大の名前が綴られていて、鍵の貸出欄にチェックが付いていた。
「あ、本当だ、すみません先生。ありがとうございました」
由紀がペコリと頭を下げるので、茜もそれに倣ってお辞儀する。パタパタと職員室を走り去って、近くの階段を上がる。二階の視聴覚室から男子生徒の声がした。ガラリとドアを開けて中に入ると、悠太と翔大がジュースを飲みながらパソコンに向かっていた。
「あ、ここ飲食禁止なのにジュース飲んでる」
由紀が意地悪く笑いながら言うので、二人は慌ててジュースを隠す。
「お前らなんて先週、ボリボリお菓子食ってたじゃん!」
「まあまあ、だってお腹すくもん。ね、アカネ」
うんうんと頷きながら、パソコン数台分隣の席に腰を下ろす。続いて由紀がそのすぐ横の席に座った。電源ボタンを押すと、ブーンとモーターが回転する低い唸り声が響く。しばらくして画面に表示された田の字のロゴを眺めながら、茜はハァと溜め息を吐いた。
「こんな課題やって何の意味があるんだろ」
「何の授業でもそうだろ。サイン、コサイン、タンジェントが生活の役に立つとは思えないし、古文が読めても何も得しないだろ」
英語くらいじゃないか、と翔大が画面を睨みながら言う。カタカタとキーボードを叩き、教科書を見て、またカタカタと文字を打っている。あまり普段パソコンに触れる生活はしていないのだろう、ぎこちない手つきが少し可笑しく見えた。坊主頭をポリポリと掻いて、翔大が椅子の下のジュースに手を伸ばした。
「あ! また飲んでる!」
由紀が指差すと、翔大は思わず噴き出してしまい、ポタポタとジュースが零れた。
「ちょ、おま、汚ねっ!」
悠太の服にもかかったらしく、それに対して手でごめんごめんと謝りながら、スポーツバッグからタオルを取り出す。悠太はそれを受け取って、灰色のズボンが黒くなった場所を丁寧に拭った。