最終話
最終話 金糸雀は太陽のように輝いて
よろり、とカナリアが動いた。
泣きじゃくるエリーを通り過ぎ、どこかへと向かう。
「カナリア?」
「どう・・・しましたの?」
呼吸を整えながらキッシュが問う。
先刻壁を壊すために魔力を使い切った彼女は立っているのがやっとの様子だった。その脇をすり抜け、彼は地面に倒れるアナナスの元に向かう。彼の上にはまるで木彫りの人形のような女が横たわっていた。それが今までナスタチウムであったことは容易に想像がついた。
緑の髪の男はちらりとカナリアの方を見た。
「言い残すことは無いか?」
カナリアが言うと男は「一つ」と答えた。
「タルト・タタンを、かの人に」
「分かった、俺も便利屋だ。引き受ける。報酬はお前の命で構わない」
「・・・・」
男は満足そうに目を閉じる。
カナリアは剣を男の首に当てた。
冷えた刃が輝きを増した。
エリーが慌てたように駆け寄った。
「だ、駄目だよ! この人、カナリアのお父さんだよ!」
ナスタチウムはカナリアを見て「シェリル」と呼んだ。だとしたら、アナナスはカナリアの父親なのだ。少なくとも、ナスタチウムはそう思っていた。
親子なら、戦ったらだめだ。
カナリアが殺しちゃ駄目な人なんだ。
そう思って言った言葉は、拒絶の言葉で返される。
「俺の親父はもう死んだ」
「・・・私に息子はいない」
「でも・・・」
エリーちゃん、とキッシュが宥めるように言う。
「・・・決着を付けさせてあげましょう」
「だけど、こんな・・・」
「死んだ方が幸せな時もあります。その人にとって、朽ちることこそ、本望でしょう」
スズメが優しく諭すように言う。
ヒバリも同意するように頷いた。
「朽ちなければ再び繰り返される。それだけのことだ」
「でも・・・」
悲しかった。
ここでアナナスを死なせてしまったら、カナリアは一人だ。母親も、父親ももうこの世にはいなくなってしまうのだ。
「安らかに」
「っ!」
どん、という音と共に、カナリアの持つ剣が振り下ろされた。
見えなかった。
涙で何も。
ばちり、と何かが砕けたような音が聞こえた。
朽ちたか、と淡々としたカナリアの声が聞こえて余計に悲しかった。
一番悲しいのはカナリアのはずなのに。
泣いていないのだろう、彼は。
「泣いてくれ、エリー」
「・・・カナリア・・・」
「それだけで、十分だ」
「カナリア・・・!」
「それだけで・・・・」
涙で歪んだ視界の中で黒い影が揺らぐ。
ばさり、と重いものが地面に落ちる音が聞こえた。
「・・・・カナリア?」
声は、戻らなかった。
※ ※ ※ ※
「たっだいまー!」
エリーは元気よく『銀の麦』の戸を開いた。
開いた瞬間、キッシュが勢い良く飛びつく。
「あはーん☆ お帰りなさいませ! 待っていましたわ、エリーちゃん!」
「わわわ!! 何!? キッシュさん!」
「んもう、キッシーとお呼びなさいな、私とあなたの仲じゃない」
「仲むつまじく」
カウンターの向こう側でジェラートを抱いたアンナが呟く。
あらん、とキッシュが喜び、エリーは蒼白になる。
「こ、怖いこと言わないでよ、アンナちゃん!」
レバンに戻り二ヶ月が過ぎた。
銀の麦にはいつもと変わらない平穏な日々が戻っていた。そこに、黒髪の男の姿が無いこと以外、何も変わらない。
エリーは便利屋の仕事を手伝いはじめた。
とはいえ、まだ簡単な荷物運びや手伝い程度の事以外は任されていない。
カナリアのように色んな仕事をこなすようになるにはまだ随分と先のことになるだろう。
「お疲れ様です、エリーさん」
「楽しかったよー、って、マスター? どうしたの? その頭!」
マスターの頭から二本のタケノコがまるで角のように生えている。
出かけた時には無かったはずだ。
お恥ずかしい、とマスターは朗らかに笑いながら答える。
「アンナの料理をつまみ食いしてしまいまして、そのせいでしょう」
「そのせいって」
「庭に生えていた緑色に輝く怪しげなタケノコとか入れて無いわよ」
「い、入れたんだ」
さすがのエリーもこれには引きつった笑いを浮かべるしかなかった。
「ところで、エリーさん、帰る早々頼み事をしたいのですが」
「まぁ、マスターったら、労働基準法に引っかかりますわよ」
「いーよ、いーよ、どーせ暇なんだから。それで頼み事って何?」
マスターに内容を聞いた瞬間、エリーは店を飛び出した。
『お迎えをお願いしますよ』
マスターはそう言った。
大通りを駆け抜け、八百八さんに声を掛けられたが「後で」とあしらい、とにかく街の入り口へと急ぐ。
どん、と誰かに激突した。
「うわっ! ・・・なんだお前か。これで少年であれば新たな愛が芽生えたというのに」
マリンはつまらなそうに腕を組んだ。
ぶつぶつ言う彼の足下に迷子の子供がまとわりついているのが見えた。
もちろん、少年だ。
突っ込みたいところはあるが、それどころではない。
「えっと・・・・ごめんなさい、後で!」
「エリアード?」
とにかく走った。
今までに無いくらいに。
急がなければ、の意思が強すぎて途中転倒しそうになりながらも彼女は急いだ。
街の入り口の方まで辿り着くと、黒い影が見えた。
エリーはそれに向かって飛びかかる。
「お帰り!」
「モー」
「あれ? 何か毛深く・・・それに何だか臭い」
「人聞きの悪いこと言うなよ、それは牛だ」
牛に抱きつくエリーに掛かる黒い影。
眩しい太陽の光を背負って優しい笑みを浮かべる男。
本当に眩しくて、目がくらみそうだった。
二ヶ月半振りだ。
戻ってくると分かっていても、あのまま、どこかへ行ってしまうんじゃないかと不安だった人。
長い仕事と療養を終え、ようやく戻ってきた。
今度こそ、間違わずにその胸に飛び込んだ。
うわ、と彼が悲鳴を上げる。
「お帰りなさい、カナリア!」
ふう、と息を吐いて彼は青い瞳を細めて笑った。
まるで、何か眩しいものでも見るように。
「ああ、ただいま」
了