Story5 太陽が堕ちる日(27)
27 紫陽花
太陽に向かって手をかざすと、まるで自分があの太陽を欲しているように見えた。
多分、それは真実だろう。
心のどこかで、恒星落陽が起こることを祈っていたのだから。
死なない一族が、どうして王の復活にこだわるのかが、ようやく分かった。死なないからなのだ。
死なないからこそ、渇望する。
恒星落陽の方法を、それを出来るだけの力と知識を持った人を。
『お前とて、本気で死を欲したことがあるだろうに』
うるさい。
『何故、止めようとする?』
それは灰の目の王が見せる幻覚だろうか。それとも、自信の心に棲む悪魔の囁きだろうか。カナリアは幻聴に答えず魔力を注いだ。
身体全体から抜き出されるように強い魔力が落ちてこようとする太陽を支える。
気力と魔力。
どちらが先に尽きるだろう。
昔ならば、大声で泣いていた。助けてくれ、と叫んでいた。
でも、いつからかそれを止めてしまった。
立つことを知ったからだ。
・・・・いや、立つことを自分で選んだからだ。
『何故止めようとするのだ』
「師匠と、約束したんだ」
『何の意味がある。死んだものとの約束が。お前は真実終結を望んでいるというのに』
「違う」
『何が違うというのだ、アジサイ』
「俺は・・・・」
『ハイドランジアの名を継ぐ資格のあるお前が、何故鳥との約束にこだわる』
師匠は、自分を殺さなかった。
脅威になる可能性のあった自分を殺さず育ててくれた。そして何よりも、最後まで信じた。自分の命と引き換えに、カナリアを守り通したのだ。
期待に答えなければ、恩義に報いなければ、そう思って突き進んだ時期もあった。
だが、今は違うとはっきり言える。
選ばなければいけない時はあっても、しなければならないことなんてこの世界にはない。
確かに昔、終わりを望んだことがある。今もなおどこかでそう思っている。
けれど、違うのだ。
どこかで思うことと、強く思うことは。
思うことと実行することは違う。
守りたいものがある。
どこかで自分を呼ぶ声が聞こえる。
それを、守りたい。
「俺は、カナリアだ」
言葉が喉の奥からせり上がってくる。
いつの、誰の言葉?
「再び門が開くまで、永久に、妨げるものが無きよう、盟約す」
知らない言葉。
バラバラのパズルがつなぎ合わされるような、奇妙な感覚を覚える。剣が輝きを増し、ここに力があると示すようにカナリアの腕を動かした。
影が、幻影が僅かに笑った気がした。
カナリアは剣を振り上げる。・・・幻影に向けて。
「・・・・眠れ・・・灰の王」
「イチイくん、お願い、止めて!」
エリーは叫んだ。
何をしようとしているのか分からない。だが、危険なのは分かった。危険なことをしようとしている。このままでは、
「みんな死んじゃうよ!」
「お前が望んだことだ」
「違う、私、そんなこと望んでないよ!」
「人が傷つき傷つけ合う姿を見たくないと望んだ」
「そうだけど・・・・」
「ならばそれは全てを滅ぼすより他にない。人は、その傲慢さ故に傷つけ合う。人が無ければお前はその姿を見ることはない」
「そんなの、曲芸だよ!」
二人の周りに張り巡らされた魔力の壁の中を、のそりと近付いてきたヒバリは呆れた口調で言う。
「・・・それ言うなら曲解だ、馬鹿女」
「うわーん、馬鹿にされた!?」
「喚くな! 手を伸ばせ、そいつから離れるんだ」
「近付くな」
イチイは冷たく言う。
やはり、エリーの知っているイチイとは違う。エリーはヒバリに向かって手を伸ばした。あと少しなのに、伸ばされた手には届かない。
キッシュや、カナリアと一緒にいた女の子が、遠くで壁と戦っているのが見える。ヒバリが通るための穴を広げているのがよく分かった。
魔力の壁は人を阻む。
阻まれた者は傷つく。
見ればヒバリの身体は無数の傷に覆われていた。
「嫌だよ、イチイくん、お願い、もうやめて!」
彼女の声に、一瞬、イチイの瞳が揺れた。
僅か弱まった魔力の合間を縫ってヒバリの手がエリーに届く。
「いたたたたた!! 痛いってば! どっちか、放してよ!」
イチイとヒバリに片手ずつ捕まれる格好になったエリーは痛みに呻いた。
ヒバリが口の端を上げて笑う。
「こういう場合、最初に離した方が本当のお母さんなんだぜ」
「・・・」
「えええ? お母さんって、二人とも男でしょ? って、何で二人とも真剣なの? いたたた・・・・んっと・・・あ、そうだ! カナリア! カナリア! 助けて! 私じゃ誰を突っ込むべきか分かんないよっ!」
言ってから、そんな状況でもないことに自分でも気付いた。
エリーはイチイの方を向く。
かち合ったイチイの瞳が光を取り戻したように暖かみを覚える。
「・・・・エリー、えりあーど?」
「え?」
瞬間、魔力の壁が消え失せる。イチイの手の力が抜け、ヒバリに引っ張られていたまんまのエリーはそのままヒバリと一緒に転倒した。
ぐえ、と下で変な声。
気にせずエリーは起きあがってイチイの方に近付いた。
ばたり、と倒れる音が聞こえたのだ。
「イチイくん!」
彼女は叫んだ。
一瞬見えたイチイは、間違いなくあのイチイだった。確かめるようにイチイの側に膝を付くと、彼はぽつりと漏らした。
「・・・・良かった」
「え?」
「エリーがいる」
イチイは笑った。
伸ばされかけた手が、ごとりと地面に落ちる。手は、腕ごと外れていた。まるで、人形がバラバラになっていくように、イチイは徐々に壊れていく。
「うそ・・・そんな・・・」
「偽りの器じゃ、王の重みに堪えられなかったんだろうな」
よろよろとした足取りでカナリアが近付く。
彼の頭上では、太陽が徐々に遠ざかっていた。
イチイが彼の方を見る。
「あなたの事は嫌いだ」
「いきなり酷い告白だな」
「でも、ありがとう。おかげで、エリーが・・・」
声は続かなかった。
微笑んだ姿のまま、彼は動かなくなった。