Story5 太陽が堕ちる日(25)
25 歌巫女のうた
揺れる揺りかごの中 のばされた小さな手
鳥が鳴いても 花が笑っても
何も持たない手のひらを 誰かがつかむことはない
激しい頭痛と吐き気がした。
アナナスの手の中でナスタチウムが歌っている。その歌には魔力が込められ、まるで身を引き裂かれるようだった。
同様の苦痛を、イチイも味わったのだろうか。エリーの近くで灰の髪を持つ男が蹲っていた。
「・・・・あんたまで、王の復活を切望するのか」
カナリアは吐き捨てるように言う。
歌が止み、虚ろな瞳がカナリアを見ていた。
同じように虚ろな瞳をしたアナナスが愛おしそうに彼女の髪を撫でた。
「ナスタチウム、歌を」
「・・・・」
「魂の具現を」
ゆっくりと、女が歌い始めた。
グラスがアナナスの横に立つ。
扉が開く、と彼は言った。
部屋が、床の魔法陣がゆっくりと動き始める。空間が歪み始めたのが分かった。亜空間にあるこの迷宮と、先刻までカナリアたちのいた次元がゆっくりと繋がれていく。
天井が・・・・空が、恐ろしい程青い色を湛えていた。
ばさり、とその割れた天井から何かが落ちてくる。
「あらん?」
全身が燃えるような赤。
「確か、私、道を歩いていたはずだけどどうしてこんな所に落ちるのかしら?」
「キッシュさん?」
「あらん? そこにいるのはエリーちゃん! んふ、なんて言う偶然! これはもう運命としか言えないわね? んまぁ! 何て事! エリーちゃんの他にも可憐で純情そうな乙女が・・・っは!」
突然降って湧いたキッシュはスズメを確認するなり猛ダッシュをかける。
しかし、鋭い気配を感じ彼女は後方に飛んだ。
グラスの剣の鞘が彼女目がけて飛んでいた。
「な、何をなさいますの!? あなたひょっとして私とあの子との関係を嫉妬して・・・!」
「誰がするか! 畜生、せっかく好みのタイプなのに変態なんて!」
「誰が変態ですの!? 美しいものを愛でる行為は人として正常なことですわ! ・・・あらん? カナちゃんそちらで何をしてますの?」
「何をって・・・お前」
カナリアは戸惑った声を上げる。
状況が飲み込めない。
空間が開かれて何故キッシュが落ちてくるのだろうか。
「まぁ、良いですわ。私、ヒバリちゃんを捜していますの。ヒバリちゃん、この中にいらっしゃいまして?」
「俺をちゃん付けで呼ぶんじゃねぇ!」
グラスが叫ぶ。
アナナスが少し表情を動かした。
エリーに支えられているイチイが呻く。
「お前・・・気配が妙だと思っていれば、鳥の者だったか」
ちっ、と彼は舌打ちをする。
「もう暫く隠しておくつもりだったのにお前のせいで台無しだ」
「え? グラスさん、ヒバリちゃんって名前だったの!?」
「だからちゃんを付けるなよ、学習機能のねぇ女だなっ!」
「エリーを悪く言うな!」
イチイは頭を抱えながら叫ぶ。
不意にカナリアは自分の頭痛が軽くなったことに気付く。相変わらず酷い頭痛だったが、動けない程ではなかった。
「?」
空間が変わったせいだろうか。
それともナスタチウムの歌う歌が変わったから?
アナナスは冷淡な口調で言う。
「座標を歪めたか」
「そうそうてめぇの思い通りにはさせねぇよ」
ヒバリがむき出しの剣を片手に躍りかかった。
「ここで決着付ける!」
「無駄なことを」
アナナスの瞳が闇を帯びる。
危険だ。
悟った瞬間に身体が動いていた。
「スズメ!」
「はい!」
剣を手にアナナスに向かうカナリアにスズメが続いた。反射的にキッシュも走った。
四本の刃物が煌めいた。
カナリアの乱入に気が付いたアナナスは顔色を変えずに彼を見た。赤い瞳だというのに凍えるように冷たい。
対照的にカナリアの瞳が赤く燃えた。
悲鳴に似たエリーの声がカナリアの名前を呼んだ。
三本の剣が、一つの鎌が、ナスタチウムを抱え込むアナナスに向かって振り下ろされた。
「!」
剣は彼に到達することは無かった。
強い魔力の壁に阻まれ、四人の身体は遥か上空に跳ね飛ばされる。
(こんな時に)
エリーは声にならない声で叫ぶ。
(こんな時に何で、何も出来ないの!?)
みんなアナナスと戦っている。
あの悲しい瞳をした人と。
分からなかった。
何故戦っているのか。どちらがしようとしていることが正しいのか。エリーには分からない。ただ、目の前で誰かが傷つくのは嫌だった。
姉が亡くなった時のように、また自分は何も出来ないのか。
あの時は側にいられなかったから助けられなかった。今は側にいるのに何も出来ない。
何で自分はこんなにも無力なのだろう。
「お願い、誰か、こんなの、もう嫌だよ!」
だけど覚えていて
歌が重なる。
ナスタチウムの優しい歌声。
愛おしむような、慈しむような声。
たとえ神様があなたを嫌っていても
私だけはあなたを愛しているから
エリーの中から魔力があふれ出す。それは法術を使うためのものでも、魔術を使うためのものでも無かった。もっと根本から吹き出るような力。
誰かが、力を貸してくれるような感覚だった。
ただ目の前の人を守るために、
「全てを無に帰す為に」
耳元でイチイが呟いた。
イチイがエリーの手を握る。
まるで違う物に触れられたような気がした。
「この世から全ての悲しみを消し去るために、力を貸そう、人の子よ」
だから泣かないで 誰より愛しい子




