Story5 太陽が堕ちる日(23)
23 この恨み、地獄に流します
「部屋に入るならばノックくらいはしなさい」
男は顔を上げずに言った。
アンナはにこりともせずに答える。
「千本くらいでいいかしら?」
「そのノックではありません」
「変わらず、面白味のない男・・・・顔以外」
男は「@人@」の顔をこちらに向けた。
「顔は関係ありません。・・・・どこかで、お会いしましたかな?」
「あの時はそんな顔では無かったわ。それから名前も違った。・・・イエン」
「ほう?」
興味深そうに男は笑い、顔に手を掛ける。
まるで「ルパーン三世」が変装を取ったかのようにばり、と表層面の皮が剥がれる。いや・・・そんな恐ろしい事態ではなく、「@人@」の部分がとれただけだが、まるでそんな変装をしていたかのように晒された彼の素顔はまるで別人だった。
「セーラー○ーンの変身前変身後よりもよほど素晴らしい整形技術ね」
「整形ではありません」
素顔の彼は真面目そうな顔をしていた。
リーダー格ではないが、それに近い位の外見。そう、ちょうど丞尉といった顔つきだ。軍属の融通のきかなそうな副官。超絶美形という訳ではないが整った顔をしているために、人気ランキングでは主人公と準主人公に次いで三位くらいにつけてきそうだ。ただし、一部地域ではそのエセっぽい顔がどうも嫌だと人気が伸び悩む傾向にある、そんなタイプの顔をしていた。
「因みに私は猫耳毛むくじゃらが好みよ」
もちろんアンナはジェラートの事を言ったのだが、毛深いマッチョが猫耳を付けている姿を想像してしまった男はげんなりしたような表情を浮かべる。因みに服装はメイド服(鈴と尻尾のオプション付き。ニーソ)
「私を知っている者に出会うとは思ってもいませんでした。さて、あなたに覚えはありませんが」
「あの頃私は若かった」
「その言動・・・・どこかで覚えていますね。髪や目の色は違いますが・・・・さて、記憶に自信はあるのですが、あなたの名前は思い出せませんね」
彼は口元に手をやって思案するように言った。
挑発している訳ではない。
本当に覚えていないことをアンナは知っていた。思い出そうとしても誰一人思い出せない。過去の自分の名前。
冷めた口調でアンナは言った。
「老化現象よ」
男は頷く。
「そうですね、私も長く生きていますからそれもあるでしょう。・・・・私と戦うつもりですか? 私は死にませんよ」
アンナは武器を構え、そこに魔力を集中させる。
「知っているわ。だけど私も品川商事株式会社よ」
「ほう?」
「死ぬまで死なないって決めたのよ」
一瞬、男が考え込む。
「・・・・それは、普通の事ではありませんか?」
刹那、アンナの呪術が発動する。
室内に稲妻が発生する。
それはアンナだけを避けるように至る所に次々と攻撃を加えていく。アスパラ・・・イエンは、それを避けながら部屋をあちこち移動した。
壁を破壊し、調度品を破壊し、やがて沈黙する。
ばさばさと千切れた本の破片が砕けた壁の向こう側の亜空間に飲まれて消える。
部屋は散々な様子だ。
しかし男には傷一つ付いていない。
にい、と狂気じみた笑いが浮かぶ。
真面目な顔に、不似合いな笑い。
「・・・!」
アンナは咄嗟に自分の眼前に手をかざした。
激しい風がアンナの身体を壁際まで吹き飛ばす。
「生憎と、私も灰の力を持っているのですよ」
「・・・それも、知っているわ」
強く叩き付けられ咳き込みながらアンナは答える。
「でも、あなたはジェラートさんには勝てない」
「どういう意味で・・・・ぐぁ!!!」
イエンの身体の中心からにょきっと手が生えた。
白い、人の手。
それが後ろから突き立てられた物だと悟るのにそれほど時間はかからない。イエンは真後ろに立つ存在を睨んだ。
遅れて血が噴き出す。
「貴様・・・・一体・・・!」
イエンの口から、ざらりとした砂が吐き出される。
手が、ずるりと抜かれた。
イエンの瞳に青い髪が映る。男だった。まるで風になびくように片側だけはねた癖毛を持つ短髪の青年。瞳孔は縦に長く、アンナと同じ凍えるようなアイスブルーの瞳をしていた。
耳に付けられた金の耳飾りが、何かに触れた訳でもないのにキンと澄んだ音を立てる。
男は指に付いた血を舐めた。
「そんなもの、食べたら阿寒湖よ、ジェラさん」
「穢れの味がするな。喰らう気にもなれん」
深く落ち着いた声だった。
イエンはよろめくように彼から離れた。
「・・・気配など、感じなかった」
「当然よ。‘その人’は元来こちら側にいるべき存在。一つの個がいくつにも別れているために力が弱まっているとしても、異物である私たちに気配を悟られるほど衰えてはいないわ」
「・・・・・魔族か」
イエンは呟く。
「いかにも」
「たこにも」
反射的に放たれたアンナの言葉はこの場では無視をされた。
「貴様とて、元は魔族。今更驚くことでもあるまい。だが、灰に支配されるとは落ちたものだ」
「支配されてなど、いない」
更に灰を吐き出し、男は口元を拭った。
「退屈しのぎに灰の者を喰らっただけのことだ」
「アナナスという男に‘喰’の能力を分け与えたのは貴様か」
「そうだ。王の復活とやらに少し興味を持ったのでな。貴様とてそんな崩れかけの亜精霊種に使役されるとは・・・・退屈をしていたのだろう?」
「ジェラさんをあなたと何かと一緒にしないで」
アンナの持つ杖がぐんと魔力を増す。
くすくすとジェラートが笑った。その笑みは魔族には見えない。
「確かに、それと一緒にされるのは心外であるな」
魔族の王なのだ。
地上に降りた時に複数の個に別れたとはいえ、彼も魔王の一人。一部、と言うべきか。最早魔族としての形を失いかけているそれと同一視されるのはあまり嬉しいことではない。
だか、笑う彼はどこか楽しそうでもあった。
時々彼はこんな笑みを浮かべる。
「ジェラート」
アンナは名前を呼ぶ。
何も言わず理解した彼は頷いて答えた。
「私は、かまわないよ」
ざわり、とアンナの気配がざわめく。
杖に蓄えられた力が意思を持つ巨大な手のようにイエンの身体を縛り付けた。ジェラートに寄って身体に穴の空いた男はその力にいともあっさりと捕まる。
「誰か殺しても、死んだ人は帰ってこない。だけど・・・・私の憎しみ、地獄に流すわ」
「私は・・・・死なぬ!」
イエンが叫ぶ。
口から血と砂が吐き出される。
「ならば、闇に飲まれるがいい」
ジェラートが笑みを浮かべたまま手を握る動作をする。
刹那、アンナの力に被さるように亜空間から飛び出した黒い巨大な手が男を掴んだ。
巨大な手がゆっくりと亜空間の中へとずるずると引きずり込んでいく。
「さようなら」
呟いた言葉に答えは返らなかった。
どこからも。




