Story5 太陽が堕ちる日(18)
18 魔法猫とイチジクの不思議な関係
真夜中に目が覚めた。
と言っても、外は変な色をした亜空間。昼なのか夜なのか、今がいつかすらも分からないから実際にはどうなのか分からない。先刻起きた時にナスタチウムが夜泣きと行っていたから今は夜なのだと思う。
「んん? ジェラートさん?」
エリーは自分の傍らで眠っていたハズのジェラートが起き部屋の外に向かったのを見て慌ててその姿を追いかけた。
と廊下に出るとジェラートは廊下の窓のさんに飛び乗る。
「あれ? こんな所に窓なんかあったっけ?」
「ぶなー」
黒猫はここを開けろと言わんばかりに窓枠をかりかりと引っ掻いた。
促されるままエリーは窓に手をかけた。
ジェラートも引っ掻くのを止めて片方の前足を窓枠の上にかざした。まるで人間がそうするような仕草だが、猫の小さな手では妙に可愛く見えてしまう。
「何かもきゅ☆ ってかんじで可愛いね♪ あっ・・・」
一瞬窓枠に沿うように閃光が煌めいた。
エリーは覚えず目を瞑る。
「・・・?」
おそるおそる目を開くと、きい、と小さな音を立てて窓が開いた。
エリーは驚いて窓を見た。
まるで封印されていた扉を開いた時のような感覚が手のひらに残っていた。わきわきと閉じたり開いたりを繰り返しながら彼女はじっと手を見つめた。
「今、私魔法使った? あれ? でも・・・・あ、ジェラートさん?」
ジェラートが窓の向こう側に飛び出したのを見て、エリーもそれを追いかけた。窓の外が亜空間かも知れない事に気付いたのは窓から飛び出し、思いの外近くにあった地面を踏みしめてからだった。
「ぎゃ!!! 飛び降りちゃった!! もしかして私、死んじゃった? うわーん、まだおいしいもの食べ尽くしていないのにっ!! って・・・・あれ?」
エリーは久しぶりに感じる土と草木の臭いにくんくんと鳴らした。
足下にはよく整備された芝生が広がっている。同じようによく手入れされた木々や花が咲き乱れているその場所は、オーナディアの庭園を思い出すほど美しい庭だった。
しかし、見上げた空は恐ろしい紫のマーブル模様。
どうやらここも亜空間の中であることには変わりないようだ。
エリーはきょろきょろと辺りを見回す。
薔薇で出来たアーチの下に銀髪の青年が立っていた。彼はエリーに気が付くと満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。
「やっと会えた!」
彼は嬉しそうに微笑んでエリーの両手を握りしめた。
一瞬、誰なのか分からなかった。しかし、その面影には見覚えがあった。
「・・・・イチイくん?」
「うん」
青年は嬉しそうに笑った。
エリーの知っているイチイは自分よりも少し年下くらいだったが、今のイチイは二十歳前後に見える。背もすっかりと高くなり、「イチイの兄です」と名乗られてもそう信じてしまうほど彼は大人びていた。
「僕のいる場所と君のいる場所の間には結界が張られていて僕の力じゃどうしようも無かったんだ。逢いに行けなくてごめんね」
「えっと・・・イチイくん、何か大人っぽくなったよねぇ」
「エリーは嫌?」
伺うような彼の声。
エリーは慌てて首を振った。
「ううん、格好良くなったよ〜」
「そう、なら良かった」
たった数日会っていないだけなのに、不自然な成長ぶりだったが、エリーは全く気にしていなかった。まるで休みの前後で髪型を変えてきた友達に驚きながらも「似合っているね」という女子高生のような反応だ。
にゃあ、とエリーの足下で猫が鳴いた。
イチイは首を傾ける。
「この猫、エリーの猫?」
「ううん、アンナちゃんのジェラートさんだよ」
「ぶなー」
「可愛いね、エリーと仲良しで少しうらやましい」
イチイはしゃがみ込んでジェラートの首筋を撫でた。
ジェラートは去れるがままに撫でさせている。イチイはその様子をみて穏やかな表情を浮かべた。
数日前に会った時と受ける印象が少し違った。
「そのアンナって子も、仲良しなの?」
「うん、他にも、先生とか、マスターとか、キッシュさんとか、八百八さんとか、仲のいい人一杯いるよ」
「僕は?」
不安そうに伺う目。
エリーは微笑んだ。
「イチイくんも友達だよね?」
「うん」
イチイもまたにこりと微笑む。
「他にもいるの? エリーのことは、何でも聞きたい」
「他に? うーん、カナリア・・・とか」
「・・・? その人の事、好きなの?」
イチイが笑みを消した。
質問に戸惑ったエリーは彼のそんな表情には気付いていなかった。
「え? えーっと・・・んーと、大切な人、だよ」
「そう」
声音に妙な響きが混じっているのに気付き、エリーは首を傾げ彼を見つめる。
視線に気付いた彼は微笑んで、そして不意に表情を曇らせた。
「・・・・ねぇ、エリー。僕がイチイじゃなくなっても、僕はエリーのことずっと好きだからね」
「うん? どうしたの?」
「あのね、僕の身体は王様を入れるために作られたんだ。だから、もうすぐ僕の身体は僕のものじゃ無くなる」
エリーは首を傾ける。
意味が分からなかった。いや、アナナスが王の器と言った時から何となくイチイは特別なのだと分かっていた。けれど、彼の身体が彼のものでは無くなるという意味が分からない。そうしたら、このイチイはどこに行ってしまうのだろう。
「王が蘇るのは僕らの本能。それは嬉しい。だけど、もし、僕が他の誰かになってエリーを忘れてしまったら、エリーを平気で傷つけられるような人間になるなら、僕は・・・」
ぴくり、とジェラートが動いた。
警戒するように耳を伏せ低く呻り声を上げる。
「どうしたの? 毛が逆立っているよ」
「っていうか次第にもこもこしているような・・・」
「うーー」
今まで見たことのないジェラートの猫らしい姿にエリーは動揺した。
エリーはジェラートが睨んで呻り声を上げている方向を見る。
そして驚いたような声を上げた!
そこには「@人@」という顔をした男がいた。
「あ!! アスパラさん!」
「指をさすんじゃありません! 失礼な娘ですね!」
アスパラは「人」な形をしたヒゲを撫でながら癇癪を起こしそうな口調で怒る。人を外見で判断してはいけないが、ナスタチウムが言うように確かに少し気持ちが悪い。
「それとですね、私の名前はアスパラガスです。ガスまできちんと付けなさい」
エリーは了解と敬礼をする。
「分かったでガス」
「誰が語尾に付けろといいましたか!? まったくあんぽんたんな娘ですよ」
「わーん、アンパンマンって言われたー!?」
「誰がそんなことを言いました!? 耳までおかしいようですね!?」
イチイは冷たく彼を睨め付ける。
「エリーを悪く言うな」
「あなたに命令される覚えはありませんね、王となった後はまだしも、今のあなたは心臓のない出来損ない。従う必要はありませんね」
「大した能力も持たないお前が、僕に偉そうな口をきくなよ」
ぞくり、とする赤い瞳がアスパラを見据えた。
銀色だったハズのかれの瞳が初めてであったとき同様に赤く染まっている。その奥は燃え残った芯のように黒く鈍く揺れている。
強い魔法の気配を感じた。
(?? 魔法の気配ってこんなに敏感に感じるものだっけ?)
イチイがそれだけ強くなったのか、それともエリー自身が気配を感じるようになったのかはわからない。ただこの場所にいることが酷く恐ろしい事に感じられた。
「ぼわっ」
「・・・ぼわ?」
突然、足下から奇妙な鳴き声が聞こえ、三人は一斉に視線を降ろす。
まるで電子レンジで加熱したマシュマロのように膨らんだじぇらーとが足下でもこもことしていた。
「ど、どうしたの、じぇらーとさん、可愛い☆」
レンジで三分、モコモコホカホカのジェラートさんのできあがり☆(※注 猫を電子レンジに入れてはいけません)
イチイはジェラートを見下ろした。
「うーん、これは飼い主がいちじくを食べちゃったんだね」
「え? イチジク食べると膨らむの!?」
「うん、魔法猫だから」
「へぇ、魔法猫って凄いんだねぇー」




