Story5 太陽が堕ちる日(3)
3 寂しい人
そろりとエリーは扉を開いた。
鍵はかかっていなかった。
シェリルを寝かしつけた後、ナスタチウムもまた眠りに入ってしまったようだ。彼女を起こさないようにエリーは扉をゆっくりと閉めた。
薄暗い廊下は先が見えないほど長い。
どちらの方向を向いても同じような扉が続き少し出歩いただけでも迷ってしまいそうだった。
エリーは取り敢えず出てきた扉の左隣にある扉を開いた。
「・・・あれ?」
そこはエリーが今し方出てきた部屋と全く同じ造りをしていた。
否、同じ部屋だった。
最後に見た時同様にナスタチウムがシェリルの横で眠り込んでいる。
エリーは慌てて扉を閉め、次の扉へと向かう。
「・・・・」
結果は同じだった。
やはり同じようにナスタチウムの姿がある。その隣も、またその隣も同じだった。試しに扉の内側に自分のリボンを置いて次の扉に行ってみる。部屋に入るとちゃんとエリーのリボンが置いてあった。
無限回廊。
その言葉が脳裏をよぎる。
昔なんかの本で読んだことがある。魔術で端と端を繋げて永遠とループする廊下を造るのだ。中にある人は外に出ることが出来ず永遠に彷徨い続ける。
ぞっとした。
こんなところにいたくて彼に付いてきた訳ではない。そもそも彼はどこに行ってしまったのだろう。
エリーは無限回廊を歩き出した。
こういう魔術を解くにはどうしたらいいのだろう。
「ふぎゃっ!」
鼻先に何か柔らかい感触を覚えてエリーは悲鳴を上げる。
「わ、っわ、ご、ごめんささい!」
突然体当たりをしてしまったことに詫びを入れるエリーだが自分が当たったものを見て首を傾げた。
赤い瞳に、灰を落としたようなうす緑色の髪。背の高い男。表情は全く動いていないところを見ると良くできた人形なのだろう。
エリーはそれの身体を触った。
「何これ・・・こんなのさっきなかったのに」
柔らかい質感は本物の人間と変わらない。少し暖かくて、本当に生きているかのようだ。
「・・・すごい、本物みたい」
「・・・・何をしている?」
「うぎゃあ!! 本物!?」
不意に男が言葉を発してエリーは悲鳴を上げる。
男はやはり表情のない瞳でエリーの方を見つめていた。
「ご、ごめんささい、私偽物だと思って・・・」
「かまわない」
男は言葉少なく答えた。
声にも表情が感じられない。だけど、酷く寂しい気配がした。
長い時間、誰とも心を通わせたことのないような、まるでずっと長い時間を一人で過ごし、感情を全て捨ててきてしまったような空虚な声。
聞いていると、涙がこぼれる。
「・・・・怪我をしたのか」
男が問う。
エリーは首を振った。
「ううん、違う。でも何だか分からなくて」
「・・・・・。・・・お前のことは、報告を受けている」
「? ひょっとしてイチイくんのお父さん?」
どうしてか分からない。
顔立ちも瞳や髪の色も違うのに、二人は良く似ている気がした。
「イチイ、と名付けたのか」
「あ、うん、ワガオウくんっていいにくかったし」
「作ったという意味では親になる。だが、父ではない」
「え? 女の人だったの!? ごめんなさい!」
「・・・・、男だ」
「ふぇ?」
意味が分からずエリーは首を傾げる。
男は静かな口調で言った。
「あれは歌巫女の子供の代わりにつくったものだ」
「歌巫女って・・・・ナスタさんのこと?」
すぐに連想したのは、つい今し方まで彼女の歌声を聞いていたからだろう。あの声は人の心を動かす。巫女と呼ばれるに相応しい気がした。
彼は肯定するように首を振る。
「巫女は既に狂ってしまっている」
エリーはぷうっと頬を膨らませる。
「ナスタさんは狂ってなんかないよ」
「あれは私に利用され、子を失い、もう呪いの歌しか歌わない」
ほんの僅か、言葉のなかに感情がさざ波のように浮かんだ。
戸惑いながらもエリーは続ける。
「だ、だけどさ、狂ってなんかないよ。ただ、寂しいだけなんだよ。赤ちゃん死んじゃったみたいだし、大好きな人とも一緒にいれないから、寂しくてどうしようもないだけ。狂ってなんかないよ」
「・・・・」
「私のお姉ちゃんもそうだったの。赤ちゃん出来たけど、お腹の中で死んじゃって、寂しくて、寂しくて、大好きな人に何も言えなくて、結局死んじゃった」
もしも彼が、ヴィクレアの領主だったあの人が気付いて姉を慰めていれば姉は死ななかったのかも知れない。そう思ったら腹が立った。そして何より男が姉の事が別に好きじゃなかったことも、赤ちゃんのことも知っていたということも知って殺意を抱いた。
あの男は最後に姉が飛び降りた時に一緒にいたのだという。
最後にどんな会話が交わされたかはわからない。だけど、優しい言葉だったら、姉は死なずに済んだかもしれない。兄は止めたけれど、エリーには放っておくことが出来なかった。
殺そうと飛び込んで、カナリアに止められ、男は発狂した。
理由は分からない。だけど、もし姉のことを少しでもすまないと思ってのことなら、少し嬉しかった。
「ナスタさんは寂しいだけ。シェリルちゃんと、お父さんと、三人で一緒にいたいだけなんだよ」
「娘の父親も、この世にはない」
「え?」
「私が喰した」
「え? 食べたの!? どっちの意味で!?」
「言葉通りの意味だ。私は死屍を喰らうことで一時的にそのものと成り代わることが出来る。シェリルはその時の子であった」
「・・・・じゃあ、あなたがお父さん?」
「違う。父はかの国の王だ。王と巫女の子でなければ何の意味もなかった。・・・・どちらにしても、女に生まれた子供に、何の意味もなかった」
エリーは睨む。
「女の子じゃいけなかったってこと?」
「そうだ。王の器となるものは、男でなければならない」
「・・・・それで殺したの?」
「殺す必要など無い。命を落とした理由があるとするならば、それはかの国のものが、妾腹の子をよしとしなかっただけのことだ」
「・・・・」
「何故泣く」
「だって・・・悲しすぎるよ」
シェリルも、ナスタチウムも、そして彼も辛いことばかりだ。シェリルはもう泣くことも出来ないし、ナスタチウムは泣くだけ泣き尽くしてしまっただろう。そして彼はおそらくもう自分のために泣くことはない。
こんなにも辛く悲しい事があっても誰一人自分のために泣くことはない。
そんなの、悲しすぎる。
エリーは大粒の涙をこぼしながらその場に崩れた。
静かな廊下に嗚咽だけが響いていた。




