Story4 心臓のない少年(11)
11 老兵
彼女の気配を感じた瞬間、キッシュは防ぐには間に合わないと悟った。
衝撃を覚悟して目を瞑る。
しかし、彼女の身体には衝撃は走らなかった。
「街中で暴れるのは感心しませんね」
キッシュは目を開く。
バーテン姿のロマンスグレー。
少女好きのキッシュだったが一瞬見惚れてしまうほど美しい立ち姿。
「・・・マスター!」
銀の麦のマスター。
トレードマークはネクタイに付いた黒猫マーク。
「枯れ葉も山の賑わいと申します。この老兵、及ばずながらお相手させて頂きますよ」
普段通りの柔らかな物言い。
威厳などあまり感じさせないと言うのに、その立ち居振る舞いには一寸の隙もない。
だが、その手に持っている者はハエ叩き。
「まさかそんな武器で戦いますの?」
指摘されてマスターは瞬く。
「おや、急いできたので剣と間違ってしまいましたね」
「ま、間違いすぎですわ!」
遠くでスイレン相手に魔法を使っていたアンナは「グッドジョブ!」という風に親指を突き出す。
「ああ、アンナに褒められてしまいましたね。怪我の功名ですか」
「・・・致命傷ですけどね」
マスターがどれだけ強いのか知らないけれど、いくら何でもハエ叩きでは戦えまい。
キッシュは蟀谷を揉んだ。
それとは対照的に険しい表情をしているのはリコリスの方だった。警戒するように間合いを取り、低く構えている。
まるでマスターに怯えているようだった。
スイレンもまた戦闘を中断してマスターを睨む。
「・・・・あなた・・・何者?」
リコリスの問いにマスターは笑顔で答える。
「私は妖精です」
どーん。(効果音)
「よ、妖精って・・・?」
「若死によ」
「それは夭逝ですよアンナ。妖精って言うのはこのくらいの大きさで・・・まぁ、精霊の子供みたいなものですよ」
「いや、僕は妖精の説明を求めたわけでは・・・」
「ああ・・・私が妖精には見えないって事ですね。それはそうですよ、私は妖精ではありませんからね」
がびーん(心理描写用効果音)
「ま、マスター・・・?」
「アンナは妖精なんですよ。父親の私が妖精でないとみんな混乱しますからね、妖精っていうことにしているんですよ」
「そう、お父さんは大人だから」
「説明になっているようで全く意味不明ですわね」
「だからあんた何者なんだよ」
機種依存文字でなければ彼の語尾には青筋マークが付いていただろう。
マスターはハエ叩きを持ったまま改めて挨拶をする。立ち居振る舞いが格好良いのに、装備品がハエ叩き。
ハエ叩き。
「銀の麦の主人で、アンナの父親です」
「だ・か・ら! 名前!!」
「ああ・・・それならそうと早く言って下さいよ。私は、リツ・リードフィールと申します」
「なっ!」
キッシュは驚きの声をあげる。
「名前ありましたのね!」
「どんな驚きだよ」
「マスターが名前かと思っていましたわ」
「あははは、もう名前みたいなものですけどね」
「一応序盤から名前はあったのよ・・・一応」
二回も「一応」というあたりが誰かを責めているようだ。名前を出す機会を恵まなかった誰かを。
「そして剣技の業界ではそれなりの有名人」
「昔は多くの方に名前を覚えていて頂いただけですよ。もう引退して久しいですけど」
「・・・・剣技は、あまり衰えていないようね」
「お褒め頂き光栄です。・・・ところで」
マスターはハエ叩きの柄の部分から、活用しない人が結構多い死んだハエを掴むためのアレを引き抜きかちかちと動かした。
「つままれるのと叩かれるの、どちらがお好みですか?」
「どうせつままれるなら美人のネーちゃんに優しく、の方が俺としては嬉しいな」
突然今まで無かった男の声が響き一同は振り返る。
目つきの鋭い傭兵風の男が半眼で薄笑いを浮かべている。彼の後方には灰色の髪の少年。そして肩に何かを担いでいる。小柄な人くらいの大きさの、塊だった。
何か、嫌な予感がした。
「あら、マニアックね。しかもお父さんに対して微妙にセクハラ」
「じーさんナンパしてもつまらねぇよ。・・・スイレン様、王の器を回収してきました」
「ふうん、早かったね? ところでそれは?」
男は僅かに笑いを浮かべる。
「名付け親ですよ」
「まさか名付けちゃったの? 人間が?」
「ええ、とんでもない魔力の持ち主です。何者かに封印されているようですが、それでも使い方によっては役立つかもしれません。儀式には莫大な魔力が必要ですからね」
「へぇ、なかなかやるじゃん、グラス」
グラス、と呼ばれた男は卑屈っぽい笑いを浮かべる。
目つきは相変わらず鋭かった。
「初めて名前を呼んで下さいましたね」
「僕は役立つ奴は認める主義なんだ。で、それは何て言う名前?」
「エリアードと名乗っていました」
「!」
「エリーちゃん!?」
彼の肩にかかっている塊は布にくるまれているために中まで確認することはできないが、確かにエリーくらいの大きさだった。
先刻からピクリともしないところを見ると、気を失っているのかもしれない。
「女の子さらうなんて変態ね」
「言っておくが同意の上だよ」
「強姦魔が良く吐く台詞ですわね。私のエリーちゃんを返しなさい!」
さりげなく自分の所有物であることをアピール。
グラスはそれを一笑で終わらせる。
「彼女はあんたらの仲間のカナだかリアだかって奴に不信感を持っているようだね。少しつついたら一緒に来ることを納得してくれたよ。まぁ気の変わらないように少し寝てもらったけどね。どちらにしても、彼を名付けた以上はこちら側に来て貰う他ないけどね」
彼はちらりと後ろを見た。
無表情の少年がじっと成り行きを見守っている。瞳の色は髪の色と同じ、灰色をしていた。
隙を見て動き出そうとしたキッシュを一瞥もせずにグラスは片手を上げる。
「姉さん動くなよ。そっちの嬢ちゃんも、だ。この子は人質と思った方が良い」
「・・・っ!」
アンナは組みかけた呪文を途中で中断させた。
「まるで目が二つ付いているようね」
「それ普通だよ」
「そう? 目玉のおやじは一個だけよ」
「いえ、目玉しかないんですよ」
「っていうか目玉のおやじって誰なんですの!?」




