Story1 黒い魔法使い(2)
2 君は誰?
リン診療所に運ぶまでの間に少女は意識を失った。
大量の出血をしていたものの、少女の身体に残された傷跡は浅い。衣服の破れ具合からは「治癒」の魔法が使われた事が分かる。身体は衰弱している様子だったが、それは傷の回復の為に大量の魔力を使った為だろうと医師は診断した。
「‘治癒’を使う魔法使いか・・・珍しいな」
「そうだな、マリンの同業者じゃないのか?」
マリンと呼ばれた医師(注:男)は首を振る。
「こんな小娘で治癒魔法を使う治療師なら噂くらい聞いても良いだろう。だが、そんな話は一切聞いたことがない。つまりこれは治療師では無いと言うことだ」
「お前が知らないだけじゃなくて?」
「バカを言うな。治癒の魔法がどれほど稀少かお前も知っているだろう」
「だよなぁ」
ベッドで横たわっている少女を見つめながらカナリアはふうと溜息をつく。
そもそも全国各地にいる治療師の中で治癒魔法を使う者はそう多くはないのだ。マリン・・・ファーマ・リン医師のように魔力を一切使わないというのはもっと稀少であるが、治癒の魔法は珍しく教会や国の要人たちの直属の治療師になっていることが多い。
一般的な治療師達は魔力で薬を精製したり、痛みを止める、または患者の回復能力を高める手助けをしたりするくらいだ。いくら魔力が強くとも才能が無ければ治癒を使いこなすことは出来ず、下手に使えば患者はもちろん自分自身の命すら危なくなるのだ。
だからこそ才能のある人間は重宝され、治療師になることが多い。こうして一般に紛れていることは非常に稀な話なのだ。
「まったく、面倒な事を持ち込んでくれたな、お前は」
カナリアは笑ってベッドの脇に置いてある椅子に腰掛ける。
「それ、患者を目の前にした医者の言う言葉じゃねーぞ」
「俺の処置などさほど必要無かっただろう」
「そらそーだけどさぁ。・・・・・・・・少年なら文句一つ言わないくせに」
ぎろりと美青年医師は黒髪の男を睨む。
カナリアは苦笑いを浮かべた。
「でも、まぁ、確かに面倒なことのようだよな。太刀筋から見るに、手慣れた人間の仕業だ。この子、ひょっとすると・・・」
言いかけたとき、少女がわずかに反応を示す。
うんと少しもどかしげに呻り声を上げてゆっくりと目を開いた。
「・・・‘ひょっとこ’ってなーに?」
「口がとんがって火を熾す男の事だよ。・・・ていうか、誰がひょっとこなんて言った?」
「気分はどうだ?」
「最悪〜、頭痛いし、気持ちも悪いよぅ」
彼女は目を開いているのも辛そうに腕を額の上に置いた。
「魔法酔いだな。痛み止めを処方する」
「んー? ・・・あれぇ? ここどこ?」
それはひょっとこよりも先に気にするべき事だ。
軽く吹き出してカナリアは説明をする。
「リン診療所だ。今の偉そうなやたら見栄えのいい男がここの医者でファーマ・リンだ」
「え? いい男? どうしよう・・・・見逃した」
「後でゆっくり見ればいいさ。だけど奴は変態だから気を付け・・・ぐあっ!?」
ごん、という鈍い音がしたかと思うと、カナリアの口から奇妙な音が漏れる。
「・・・初対面の人間に何を教えている」
「っっ・・・! 痛てぇ・・・割れたらどうする!?」
「お前の頭蓋骨がどれほど丈夫か考慮した上だ。割れるわけがないし、割れたところで大した損害はない」
「ひどっ!」
「・・・これを飲むといい。少しは楽になるだろう」
「ありがとー」
「噛まずに飲め」
「え?」
既に遅し。
少女の口元からはぼりぼりといい音が漏れる。瞬間、ベッドに横たわっていた少女は目をかっと見開き飛び起きる。
「に、にがーーーーい!!!」
絶叫して差し出された水を奪うように飲み干した彼女はベッドの上で丸くなる。
「・・・すごっ! 頭痛も吐き気も一気に吹き飛ぶ苦さ! あなた凄い治療師ね! しかも本当に美形だし!」
「本来そう言う用途の薬ではないのだが」
「ま、でも治ったようだし、いいんじゃねぇの? ・・・で、何があった?」
話を本題に持ち込まれ、少女は少し居住まいを正した。
彼らの人となりを観察するように見やった後、ためらいがちに言う。
「街道を歩いていたら突然知らない人達に襲われたの」
「山賊か?」
彼女はふるふると首を振る。
「違うと思う。・・・・私、シーア・ガンっていうの」
名乗った言葉を聞いてカナリアは驚いた風に言う。
「シーア・ガン? あの?」
「何だ、お前知っているのか?」
「まぁ、有名人だからな」
鍛冶師、特に魔法武器を扱う者の中でも名工と言われる男がいる。
名を、イーア・ガン。
シーア・ガンはその娘にして、魔法武器の修復師なのだ。イーアの武器を修復出来る人間はイーア当人と娘しかいない。元々魔法武器の修復師自体が特殊なのだ。
武器に無縁であり興味もないマリンが知らずとも当然だが、カナリアは仕事の過程で幾度となく彼女の噂を耳にした。もし彼女がそのシーア・ガンなのだとすれば、彼女の稀な力「修復能力」を欲した人間が彼女を狙ったとしても不思議はないのだ。
しかし、彼女の身体にあった傷は確実に命を狙うものだ。
それは尋常ではない事が起こっている証拠でもある。
「ひょっとして嬢ちゃん、ヴィクレア領主に呼ばれて?」
「・・・どうして知っているの?」
カナリアの言葉に彼女は布団の端をぎゅっと握った。
明らかに警戒している様子にカナリアはくすくすと笑う。
「領主がイーアの武器を持っているってのは有名な話だよ。壊れたか調子が悪いかで嬢ちゃんに依頼したんだろう?」
「・・・うん、まぁ」
彼女は歯切れ悪く答える。
「だから、急いで向かっていたんだけど」
「予定外な手傷を負わされた訳だ」
「・・・まさかとは思うが、すぐにでも発つつもりか?」
マリンは仏頂面で彼女を見下ろす。
彼女は苦く笑って答える。
「うん、まぁ、そーゆーつもりだけど」
「一応止める」
「いちおう?」
怪訝そうに見上げるシーアにマリンは表情を変えぬまま答える。
「どうせ止めたところでお前みたいな奴は勝手に出て行く」
「・・・何で当てつけがましく俺を見るんだよ」
「自分の心に聞け」
「えー? 俺、何にも心当たりねーよ? ・・・ま、だけど、出るなら明日の朝にしておけ。そうしたら俺もついて行けるから」
彼女は目を丸くした。
「ひょっとこさんが?」
「誰だよ!」
突っ込みを入れてからカナリアは自分がまだ名乗っていないことに気付く。一つ咳払いをして続ける。
「俺の名はカナリアだ。依頼の関係でな、ヴィクレア城下に行く用がある。あんたでなくとも女の一人旅は危険だ。出発を明日にするなら俺が送っていく」
「・・・いいの?」
「まぁ、ついでだからな。・・・俺もその方が都合いいし」
「ん?」
ぽつりと呟かれた言葉に少女は首を傾げる。
カナリアはにこりと笑う。
「短い旅でも華がある方がいいからなぁ」
胡散臭い。
マリンはそう思ったが敢えて口には出さなかった。
隣の男が何を思っていても気にしない黒髪の男は背伸びをしながら立ち上がる。
「明日の朝迎えに来る。それまでゆっくり休んでおけよ」
「あ、うん・・・」
「じゃあ、彼女のこと頼むな」
不本意そうにマリンは頷く。
「致し方あるまい」
気乗りしなくても患者は患者と言うところだろうか。
了承したのを見て、彼は診療所を出ようと扉を開ける。
そして、閉めた。
見たくないものが見えてしまった。
「・・・? 何をしているんだ、お前は。開けたり閉めたり老化現象か?」
怪訝そうに問うマリンに、カナリアは青ざめた笑顔で振り向いた。
「ヤバイよぅ、マリンちゃん」
「何が?」
苛立ったようなマリン。
カナリアは貼り付いた笑顔のまま言う。
「・・・あいつが来る」