Story1 黒い魔法使い(1)
1 仲介酒場「銀の麦」
「マスター、水くれーみずぅ〜!!」
彼は酒場に入るなりすぐさまそう叫んだ。
まだ開店前と言うこともあって酒場の中は人気がない。ふらつきながら何とかカウンターまで辿り着いた黒髪の男は、カウンターに置かれたグラスを取ると一気に口の中に流し込む。
次の瞬間、見事な霧を吹き出した。
「ぶー!!」
「あら、やるじゃない小鳥ちゃん」
少女はむせかえる男を見ながら楽しそうに拍手をする。
青い瞳は涙を溜めて彼女を睨んだ。
「これは何度の酒だ!? 殺す気か、アンナ!!」
「殺す気なら毒を注いでいるわ」
「胸を張って言うことか! あー、びびった・・・」
いくらお酒が好きでもこれだけの濃度を一気に飲めばただでは済まない。危うく酒の一気のみをするところだった彼はカウンターの中に入り、勝手に瓶から水を汲んで飲む。
「あ、泥棒」
「うるせぇよ、文句があるならちゃんと接客しろよ」
「私、一言もお水なんて言っていないわよ」
しれっとした口調で言われ男は頭を掻いた。
「相変わらずの非道だな」
言いながら彼は水をもう一杯飲んだ。
二杯の水を飲み干してようやく落ち着いたのか、男は顔にかかる黒髪を後ろでまとめ上げた。癖のある髪は長さが足りないのか括っても横から垂れ下がってくる。鬱陶しそうに髪を掻き上げながら彼は袖口で汗を拭った。
「マスターは?」
「彼は優しい笑みを浮かべて扉の向こう側へと消えた。それが彼女の見た父親の最後の姿だった」
「勝手に殺すなよ。父親泣くぞ」
さらりと真顔で言う彼女に突っ込みを入れて彼はカウンター席に座る。
彼はカナリアと呼ばれる男だ。無論本名ではないのだろう。その顔に似合わぬ名前を持つ男は、この界隈では有名な「便利屋」だ。
金次第で何でも請け負う便利屋という職業はそれほど珍しいものでは無い。この酒場「銀の麦」は依頼人と便利屋とを繋ぐ「仲介屋」を兼ねている。
辺境と言って良いほどの小さな街だが、ヴィクレア領はシェラン王国の中で最も他国と隣接する地域のため、こういった小さな街でも酒場が繁盛し、また、出入りする便利屋も多い。
彼は、そんな中でも有名であり、名指しで仕事の依頼が来るほどの者だ。つまり、彼は優秀な人材と言えるのだ。
「こう見えて」
ぽつりと呟くアンナに反応してカナリアは顔を上げる。
「ん? 何か言ったか?」
「こっちの事よ。それより何か食べる? ちょうどここに美味しそうに湯気を立てている‘手作り風ハンバーグ風’があるのだけど」
「風!? 何か危険な匂いがするな」
「失礼ね、床下に生えていた怪しげなキノコなんか入れてないわよ」
「その匂いじゃ・・・っていうか、そんなもの人に喰わせるなよ」
「大丈夫、死にはしないわ。・・・・・多分」
「多分って」
カナリアは軽く目眩を覚える。
店に来るたびに怪しいものを食べさせようとするこの性格はどうにかならないだろうか。
彼女の事を「魔女」と呼ぶ人間は少なくない。
彼女に初めて会った人間は可愛い少女としてしか見ないだろう。しかし中身は完璧に魔女だ。それでも可愛いという連中もいるが、彼らはまだ被害を受けていないか気づいていないかのどちらかだ。根本を知れば彼女の前では油断が出来なくなる。
「ああ、カナリア、お帰りなさい」
奥の戸口から顔を覗かせて中年の男は笑う。
背が高く、細身の男は紙袋をカウンターの上に載せると袖をまくって手を洗った。
「随分と早かったんですね。イスティアの方はどうでしたか?」
イスティアはここシェラン王国の隣国にあたる。複数の国に囲まれるようにしてあるため他国の治安が悪化するとすぐにその煽りを受ける。シェランはハーレル王の代になり、ようやく安定してきたが、先だって継承戦争が起きたばかりのイスティアは治安があまり良くない。
他国の動向が気になるのは当然の事だろう。
カナリアは少し肩をすくめて答える。
「徐々に持ち直している感じだな。まぁ、ただ人手不足ってのは変わりがない。おかげで向こうから仕事を押しつけられてきたよ」
「ああ、それは間が悪い」
「ん? 何だ?」
マスターは苦く笑って紙を彼の前に置いた。
「指名の仕事依頼です。火急の依頼ですから貴方が無理なら他の信頼できる方に頼むことになりますが」
「んー、大丈夫そうだ。目的地も一緒だし。・・・アンナ、悪いけど頼めるか?」
「これ食べてくれたら引き受ける」
彼女はカウンターの上に置いてある‘手作り風ハンバーグ風’を示す。時間が経過してもまだ湯気を上げているそれは手も触れていないのにわずかに蠢いた。
カナリアは引きつった笑いを浮かべる。
「おい、冗談はほどほどにしてくれ」
「そうね冗談は貴方の顔だけで十分ね」
「さりげなく暴言か!」
「・・・仕事は引き受けたわ」
カナリアは溜息をつく。
仕事を引き受けてもらうだけに何というやりとりだろうか。
「・・・任せたよ」
「どうかしたのですか? ああ・・・随分と美味しそうなハンバーグですね。誰も食べないなら私が頂きますよ」
「あっ!」
「・・・あ」
制止する間もなくマスターは娘の作ったハンバーグを口に運ぶ。
「うん、美味しい。・・・おや、どうしましたか?」
唖然としている二人をマスターは不思議そうに見返す。
取り敢えず、即効性はないようだ。
「あ、いや何でもないっ! 俺、ひとまず家に帰るから、何かあったら連絡してくれ」
何かが入っているハンバーグ風を凝視しながら彼は徐々に後退っていく。
わずかに動いていることにマスターは気がついていないようだ。
何かあって連絡されても困るが、無事であることを祈りたい。
マスターは少し首を傾げる。
「飲んでいかないんですか?」
「き、今日は遠慮しておく。ほら、長旅で疲れているからな」
そうですか、と微笑むマスターの横でアンナが小さく舌打ちをする。
逃げるようにカナリアは戸口に向かった。
いつ、あれの巻き添えを食うか知れない。ここは早く帰った方が上策だろう。
「それじゃ・・・のわっ! 何か踏んだ!」
慌てて出て行こうとした彼は出入り口付近で何か柔らかいものを踏みつけて大きく飛び退いた。
足下にいたのは人だった。
「おや、人ですか? 落とし物にしては随分と大きい落とし物ですね」
「あらホント、人ね。そんなところで寝るなんて変わった趣味ね」
「そんなボケを言っている場合か! おい、大丈夫か、踏んで悪かった、生きているか?」
ほのぼのとした会話をする親子に突っ込みを入れて彼は踏みつけてしまった人を抱き起こす。
見覚えのない少女だった。十代半ばくらいで、茶色い髪の毛は短い。格好から旅をしてきたのだと推測できる。
快活そうな外見とは裏腹に、今の彼女がぐったりとして意識も朦朧としている様子だった。呼吸は浅く、顔色はわずか青ざめて見えた。
「おい、何かあったのか?」
ぬるり、と生暖かい感触がする。
鉄を含んだような独特な匂いは今まで幾度と無く嗅いだことがある。
カナリアは自分の手のひらを見、顔をしかめる。
「・・・・血?」
少女の背に触れた左手は真っ赤に染まっていた。