睡蓮(4)
四話 王の盾
「・・・・?」
目を開くと、彼女は男の腕に後ろから抱きかかえられていた。
一体何が。
認識するよりも早く、苦痛に満ちた男の顔が見えた。
癖のある黒髪で顔の半分を覆った男は、まるで何かから彼女を守るように抱きしめている。間近で見た彼は随分と若い。弟と同じくらいかもっと若いくらいでは無いだろうか。
彼が、カナリアなのだと気が付くのに少し時間が必要だった。
「・・・・ってぇ・・・」
「あなた・・・何していますの!?」
シュリーは叫ぶ。
瞬間、彼は手で彼女の口を塞いだ。
「・・・黙ってろ。見つかりたいのかよ」
「・・・?」
どういうことか、と聞きかけて彼女は自分がどんな場所にいるのかを理解した。
茂みの中。
何かから隠れるように男は息を殺している。
すぐ近くに彼女の鎌が落ちている。遠くで、何やら声が聞こえた。
複数の人間が何かを探しているような声。途切れ途切れに聞く言葉の中に、自分の名前と、「王の盾」という言葉を聞き取る。
王の盾・・・それは、シェラン国王直属の騎士達の俗称。国の大事があったとき、王の命令で動く私設部隊。護衛はもちろん、王に仇成すものの暗殺まで行う騎士団。
それが何故こんなところに来ているのだろう。
そして、何故彼らの会話の中に自分の名前が出たのだろう。
何より自分を殺そうとしていたカナリアは、何故自分を庇っているのだろうか。
彼は周囲の様子を窺うように睥睨して、ちっ、と舌打ちをした。
「・・・奴ら、あんたを追ってきたようだな」
声を殺して囁くように彼は言う。
「見つかるのも時間の問題か。・・・話の分かる奴がいてくれれば良いんだが」
「・・・・どういう事ですの?」
「あんたのしていることは危険だって言っただろう? あんたのしている事は、いずれ民衆の手で王を弑逆することになりかねない。盾が動かない訳がないんだ」
「・・・保身の為ですわね」
「まだそんなことを言っているのか? この国はバーグとは違うっていっているだろう」
彼は呆れたように息を吐いた。
意味が分からず彼女は首を傾げた。
彼は彼女の行動を無視し、遠くの音を聞くように耳に手を当てた。
「・・・っち、聞き取れねぇか」
腹を押さえながら黒鳥は体勢を立て直す。薄暗いのと彼の服が黒いせいでよく分からないが、その腹部は血で染まっているように見えた。
証拠に、押さえていた男の手は赤い。
鉄を含んだような血の匂いがした。
「あなた・・・その怪我」
「お前がやったんだよ、加害者」
「そんな・・・」
シュリーは驚いて口元を押さえた。
怪我をさせたことに驚いたのではない。彼に攻撃があたっていた事に驚いたのだ。普通に会話をしていたから、てっきり当たっていないのだと思っていた。
あの距離で、しかも腹部に当たったのであれば死んでいてもおかしくない。
しかし、普通に話をしている。苦痛の色こそ浮かべているが、普通に動いている。
あの時、呪文を唱えていた気配は無かった。
あの状況で、この程度の怪我で済むはずがない。
一体、何をしたのだろうか。
「来いよ」
「どうして?」
「逃げるんだよ」
「助けて下さるの?」
言うと、彼は首を横に振った。
「そう言う訳じゃない。口上もなしにいきなり攻撃してくるやり方が気に入らない。盾にあんたを殺させる訳にもいかない。しかし、誰だ? 紫電なんか使った阿呆は」
「・・・紫電って何なんですの?」
鎌を拾いながらシュリーは問う。
騎士達の様子を伺いながら彼は答える。
「雷撃系の高等魔法だ。俗称だけどな。威力が大きい上に見た目も派手だから戦場で使われる魔法」
「それってこんな街に近い場所で使って平気ですの?」
「いや、相当危険な行為だ。だからこういった場所で使うのは禁止されている。今のがまともに落ちていたら、俺たちどころか騎士団や街にまで影響が出ていただろうな」
シュリーは目を見開いた。
「不発、でしたの?」
男は苦い笑いを浮かべる。
「まぁ、そんなところだ」
王の盾は本気でシュリーを殺すつもりのようだ。
だが、いくら何でもやりすぎだろう。不発だから良かったものの、術が発動していれば国民の反発も大きかったはずだ。それなのに、そんな危険な魔法を使うとは何を考えているのだろうか。
不意に気配を感じシュリーは武器を構えた。
男も警戒したように腰元に手を当てた。
暗がりの向こうから威圧的な声が聞こえる。
「武器を捨て地に伏せろ。さもなければ命はないと思え」
王の盾の者だろうか。
シュリーは言われた通りにすべきか否か迷った。相手が一人ならば、切り抜けられる可能性もある。カナリアにその気があれば確実に。
ちらりと、表情を伺うと、黒鳥は表情をゆるめた。
「・・・トキ?」
「その声は・・・まさか!」
トキ、と呼ばれた男が驚いたような声を上げる。
近付いてくる気配を感じ、シュリーは警戒心を強める。大丈夫だ、と示すようにカナリアは彼女の前に手をかざした。
ようやく顔の見える位置まできた男は体格の良い金髪の男で、無精髭を生やした四十代前後の男だった。
腰には二本の剣を下げ、武骨な鎧を着ているというのに何故だか軟派なイメージがつきまとう男は、カナリアを認めて破顔した。
「ああ、やはりお前か、カナリア! 元気そうじゃねぇか!」
「あんたもな。どうしたんだ、その格好は」
にやりと笑って男は砂避けのマントを止めている階級章を示した。
「今や俺様は王の盾の副将だぜ? 立派なもんだろう?」
「似合わねぇよ。・・・それより先刻の紫電はあんたらが?」
彼が尋ねると、トキはとたんに真面目な顔つきになる。
「と、いうと、お前らではない訳か。そっちの嬢ちゃんが真紅の?」
そうだ、と黒鳥は頷く。
トキに睨まれてシュリーは一歩後退した。王の盾が自分に好意を持っているとは思えない。話の向きから、彼らは知り合いだろう。戦いになったとしてどちらかが自分の見方になるとは思えない。
金髪の男は苦笑して肩をすくめる。
「俺たちは、真紅と話し合いに来ただけだ。ある筋の情報屋から今夜ここに現れると聞いて張り込んでいたら今の騒ぎだ。止めたのはお前だな」
黒鳥は何か誤魔化すように笑う。
「何のことだよ。・・・で、その情報屋は何者だ?」
「ハギと名乗る男だ」
シュリーは目を見開く。
「なん・・・ですって?」
驚いた彼女の元に二人の視線が集中する。
金髪が彼女の肩を掴んで前後に揺さぶる。
「嬢ちゃん、知っているのか?」
揺さぶられて彼女ははっとする。
とても信じられなかった。
もし、トキの言うことが真実なら、ハギは自分を裏切ったことになる。
売ったのだ。
王の盾に。
目を閉じて、やるせない思いで彼女は答えた。
「・・・私に仕事の斡旋をしていたつなぎ屋ですわ」




