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多分本人にばれたら怒られるだろうけど。
「……ねぇ、萌優ちゃん」
その呼びかけが、今までと何かが違って空気が張りつめた感じがした。私は一呼吸して気持ちを落ち着けてから、ゆっくりはいと返事をする。
「俺、言いたかったことを言えず仕舞いだったんだけど……」
「――はい」
「それは言わないでおく」
俯きかけていた顔を上げると、複雑そうな笑みを浮かべられた。
「だからさ、本当のこと教えてくれる?」
「……っ」
手に持ったままのカップをグッと握りしめると、じわりと涙が浮かんできた。
どうしてこの人は、こんなに私に優しいんだろう。
私のことを気遣ってばかりのこの人の言い回しが、あまりにも優しいから余計に辛い。だけど、私がこの人の前で泣くのは間違っていると思うから、必死で涙を耐えた。
「萌優ちゃんが好きな人は、永友補佐でしょ?」
ストレートな質問に、ぐっと言葉にならない気持ちが込み上げてきた。
先週の金曜日、私はごまかすことばかり考えていた。でもこの人にだけは――優しい言葉や、温かな言葉を沢山くれた、この人にはもう嘘を吐きたくない。
しっかりと石田さんを見つめると、上手く言葉が出てこなくて涙を流さないように耐えながらただコクリと静かに頷いた。たくさんのごめんなさいって気持ちが溢れて止まらない。
うっ、って言いそうになるのを堪えて、右手で口元を抑えると、ただただ抑えられなくて叫ぶように声が出た。
「嘘ついて、ごめ、……ごめん、なさいっ!」
「いや、仕方ないでしょ。ってーか、あぁー。何か悔しい」
「え……?」
「あの人ほんとムカつくわ」
涙の膜が張って光る目でじっと石田さんを見つめると、ニッと笑われた。
石田さんがムカつくって言っても仕方が無いと思うけれど、そう言うことを言う人じゃない気がしていたからびっくりしてしまう。
「だってさーあ? あーもー、ほんっとに言いたくないんだけどさ」
「えと、どうしたん、ですか?」
「今、萌優ちゃんと会えてるのも、あの人のお蔭っていうか」
「え?」
「決着、つけろってさ」
ふて腐れてそう言う石田さんは、年上と言うよりは少年のような態度だ。その姿に、眦に溜まった涙をぬぐいながらくす、と笑った。
「俺の告白、邪魔しといてさ。自分がうまくいったからって後から邪魔して悪かったって。もぉ、ほーんと最悪なんだけど」
そう言って背もたれに体重を掛けて、天井を見上げる石田さん。その顔には陰りはなくて、すっきりした表情に見えた。こないだの張りつめた空気なんてどこ吹く風って感じの、穏やかな顔だ。
「あの、もしかして」
「もしかしてじゃなくて。確実にあの人ですよ。萌優ちゃん」
「はは……っ」
そりゃ、嫌だろうな。自分の告白を邪魔しておきながら、後で話す機会与えられても。
刻也さんのその対応に対し、石田さんに同情して落ち着かずに口元を両手で覆っていると、石田さんは私を横目で見てニカって笑ってくれた。まるで、萌優ちゃんは悪くないんだよ、って言われているみたいだ。
本当に、どうしてこの人はこんなに優しんだろう……
「今日、萌優ちゃんと今話をしなかったら気まずくなるだろうから、ちゃんと話してやってくれって。でもって、手ぇ出すなよってさ。親かよ、あの人。ってかもー! ほんと腹立つよ」
手ぇ出すなよって。
何言ってくれちゃってんのあの人!!
ビックリしすぎて身体を起こして目を見開くと、石田さんはクスクス笑いながら、言わないよって言ってくれた。
「えと……」
「俺がフラれてあのおっさんに取られたなんて、恥ずかしくて言えないから」
「おっさんって」
さすがに言い過ぎじゃあと思って顔を引きつらせながら、苦笑いしてしまう。
「俺よりは年上だろ?」
「まぁ……」
「我が社のアイドル的存在の萌優ちゃんを奪っておいて。おっさん呼ばわりくらいされてりゃいいんだよ」
「アイドルってことはないと思いますけど……」
「アイドルだよ、萌優ちゃんは。はー……悔しいけど、好きなんだよなー永友サン。だからムカつくわ。ね?」
体を起こして私と同じ目線でニッと笑うその顔は、いつものおちゃらけた感じの石田さんだ。そんな彼を見て、私は間違いなくこの人を人として好きだって思った。
すっかり引っ込んでしまった涙が零れていないのを確認するように、両手でグッと目じりを拭うと、そうですねって相槌を打って一緒に笑った。顔を見合わせて笑うと、なんだかようやくわだかまりが解けた気がする。補佐は今頃くしゃみをしているに違いない、なんて言いながらまた石田さんが笑う。
気が付いたら10分が経過していて、慌てて立ち上がると急いで帰らなきゃって伝えた。
「ちょっとくらい遅れて慌てさせてやれば? また走って来たら笑える」
クククッと笑いながらそんなことを言われ、流石にそんなことがもう一度起きたら青ざめてしまうって思って急いだ。何度もあんな形相で走ってくる刻也さんに会うのは、後あとが怖い。
ぶるりと身体を震わせながらエレベーターホールに立つと、横に並んで立った石田さんが萌優ちゃんって私に呼びかけた。
「はい」
横を向くと、さっきまで笑っていた表情が引っ込んで、スッと真顔になっていた。
その顔につられて私も笑みを引っ込める。けれどすぐにふわっと笑った石田さんは、絶対に苦しいに違いないのに「ありがとう」って笑って私に言ってくれた。
その顔を見て、私の方がありがとうだって思って、また熱い気持ちがぐぐぐって込み上げてくる。
 




