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永遠に触れたくて  作者: 桜倉ちひろ
承:始まる恋
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 それに私は、彼に対して大きな安心感を持っていた。彼は指一本触れてこないのだ。

 適度な距離感をしっかりと確立してくれて、私に対して妙な目で見たり体に触れるようなことは一切しない。そのことは私に大きな安心感を与え、恥じ入っていた胸の大きさすら気にせずに過ごすことが出来た。

 ところが、数カ月しておかしなことに気が付き始めた。

 あれ、あると思ったのにな――? そう……財布の中身、の話。

 最初は、500円前後だった。あると思った小銭がないなって、そのくらい。几帳面に家計簿をつけていたわけじゃなかったし、困るほどの金額でもなかったから左程気にしなかった。自分の思い違いなんだろうって、必死にそう思い込んでいた。 

 だって彼は相変わらず少し頼りない感じで、ふわーっとしてて。この人は私が守ってあげなきゃって思わせられていた。だから正直言うと、彼が私の財布からお金を取ってるんじゃないかと言う予想は早いうちからついていた。

 ……でも、それでもいいと思っていた。なんとかなる範囲だし、生活に影響もない。彼は優しいし、それで私の傍でいてくれるなら――って。私の考えはすでにおかしくなっていた。

 いや違う。初めからおかしかった。

 「助けてあげたい」なんて、完全に恋なんかじゃない。それはただの独りよがりな慈善活動だ。

 だから、そんな信頼も何もない、一方的な変な同情だけの関係はすぐに破綻を迎えた。最悪なことに、大金と共に。 

 『なんとなく』の言葉を添えて、ある晩初めて彼にキスをされた。ふわっと柔らかな表情を浮かべて笑う彼。なぜ彼がそんなことをしたのか、今でも分からない。

 けれど、私に安心感でも抱かせるためか、はたまた罪滅ぼしの気持ちだったのか……どちらにしろ、私のことを想ってのキスではないキスをされた。でもそのとき私は、彼からのキスが嫌ではなくて温かな気持ちで受け止めることが出来ていた。だから思ったのだ、これから少しずつ彼との距離が縮めていけたらいいなって。

 しかしそれも私の勝手で一方的な思いで、彼にはそんな情は一切なかった。

 やたらとくっ付きたがる彼を突き放せず、私はその晩、そのまま彼とくっ付いて眠りについた。そして翌朝目覚めて顔面蒼白になったのだ。

 テーブルの上に『さよなら』とたった四文字が記されたメモ。彼に渡していた家の合鍵。

 それと引き換えたかのように無くなったのは『初めてのボーナスは、その重みを感じられるように』の一言と共に上司から受け取ったばかりの、人生初ボーナス。もちろん、隣にいたはずの彼は居なかった。

 初めての一度だけボーナスを現金でもらえるんだってって、話を彼に笑いながら話したのはいつだったか。中身の確認もできないまま袋ごとすっくり無くなったそれを、鞄をひっくり返して探したけれどどこにも見つけることが出来ずに、私はただただ家の中で一人立ち尽くした。

 そうして失って、私はやっと気づいた。

 彼から好きだと言ってもらったことがなければ、自分から言うこともなかったんだって。

 初めての時と同じことを私はまた繰り返したんだって、この時になってやっと気が付いた。

 こうして2度の別れを経て、私は決意した。もう誰とも付き合ったりしない。騙されたり、辛い想いなんて、もう2度としたくない。

 ――だから、恋なんて永遠にしないって。


 こんな私だから、電話で見ず知らずの男が言った一つ一つの言葉が胸を抉る程の痛みとなってグサグサと刺さった。嗚咽を必死に堪え、電気も点けずにうずくまる。

 誰にも言えずにただ耐えてきた辛い気持ちがいっぺんに吹き出してきて、自分でも止められないほどに涙が零れてしゃくりあげていた私は、背にした扉に寄りかかってなんとか座っていられるような状態を保っていた。

 ここがどこだとか、今は就業時間中だとか、そんなことすら忘れそうになっていたけれど、そんな私を突如、現実に戻す音が響いた。

 コンコン

 背後の扉が小さな振動をして、背中を痺れさせる。それにハッとして顔を上げると、直後に声が聞こえてきた。

 「江藤、いるか?」

 ……! 補佐!?

 しゃくりあげるのはいきなり止められないし、流れる涙も一瞬では引っ込みそうにない。

 現れるなんて思っていなかった補佐が扉越しに居るという緊急事態だけは理解できた私は、周りをきょろきょろと見回して、とりあえずこの顔だけは見せられない! って気持ちで立ち上がると、ハンドタオルで顔を強引に拭って資料庫の奥まで走った。

 考えもなしに思い切りバタバタ音を立て、部屋の最も奥を目指す。バタバタと足音を立てたら中に人がいるなんてことは冷静に考えれば分かるはずだけど、思考回路が乏しくなっている私は、息を殺してしゃくり上げるのを押さえようってそればかりに必死になっていた。

 パチン

 資料庫の奥にしゃがみ込んだ瞬間、点けることを忘れたままだった照明が点されて目が眩む。暗闇に慣れていて、全く気付いていないだなんて自分に笑えてしまった。けれど笑ってしまうわけにはいかない。

 ――見つかりませんように

 そう浅はかな願いを祈りながら、ギュっと手を握り合わせて俯いた。

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