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「ん?」
まだ耳元から離れない彼の唇に、ドキドキが止まらない。
時々耳たぶにかする柔らかなそれを、私は何度も唇を触れ合わせてどんなものか知っている。でも、知っているからこそ、余計に恥ずかしくて堪らなくなった。
「いつか、じゃ。ダメですか?」
ぎゅっと目を瞑って、でもしっかりと言い切ると、刻也さんは私から少し離れて身体を折った。
「ククッ。ははっ」
笑い始めた彼は、そのまま私の足元にしゃがみこんで大笑いをし始める。
「ときなり、さん?」
「はははっ、ごめっ、悪い……ククッ」
突然笑い始めた彼について行けず戸惑って、私も彼と同じ目線まで下がる。笑い過ぎて涙が出たのか、眦をメガネを押し上げて拭きながら、しばらくしてからやっと顔を上げてくれた。
「悪い。あのな、萌優」
「ハイ……」
「そういう可愛いことは言うな」
「?」
「あー、もうっ!」
「わっっ」
私は頭を引き寄せられて、刻也さんの胸元へダイブした。すっぽりと収まると、嬉しいけどやっぱり恥ずかしさにドキドキする。
「すぐに押し倒したくなるって言ってるんだ」
「え……っ!?」
「だから、言うなよ。もう」
「は、い」
「それと」
一呼吸おいて、私をぐっと引き寄せる腕。苦しいほどに抱き寄せられて、ドキドキがまた加速する。
「――処女が悪いなんてことは全くないから」
「ひゃっ、あ、そ、それは忘れて……」
「無理」
「いやもう、ほんとに」
「駄目。俺のだから、全部」
お、俺、俺の……!?
パニックになりながらも、その言葉の嬉しさは胸の内を侵食していく。胸元についた手がぎゅっと刻也さんのシャツを握る。傍に居ればいるほど、止まらない想いがこみ上げてくる気がした。
この人はこの短時間に、どれほど私を喜ばせる気なんだろうって思ってしまう。
「あの、刻也さん」
「ん?」
「大好き、です」
何を言っていいのか分からなくて大好きだと告げると、ゆっくり近づいた唇がそっと触れるだけのキスを落としてくれた。
その後、刻也さんに開放された私は、有無を言わさず風呂へ放り込まれた。
逃げる余地も与えてもらえずに入れられたお風呂の中で、心中わーわー騒ぐ。だって、まさか補佐の家でお風呂に入る日が来ようとは、だよね?
お風呂の後、恥ずかしさ全開で持ってきたスエットとTシャツに着替えて……ブラジャーをしっかりつけた。
――よしっ
気合を入れて脱衣場を出て、晒したことのないすっぴんを公開するに至り、顔を隠してリビングへ向かう。それなのに、そんな私に刻也さんが言った一言が
「今さらだろ」
なんだから、泣けてくる。
「8年前にすでに見てる」
おいおいおい!! 私は中学生から同じ扱いですか!?
続いた刻也さんの言葉に若干凹んだけれど……
「絶対可愛いから、自信持て」
なんて褒め殺しの言葉をもらえば、にやけながらすっぴんを晒すしかない。
「じゃあ俺も入ってくるわ」
私に一声かけてリビングを出ていく刻也さんを見ながら、うわーうわーって胸がいっぱいになった。
その言葉の裏には、待ってろよっていう意味が含まれている気がする。そう思えば、勝手に頬が上がってまたにやけるのが止められない。
いそいそと化粧水をつけ髪を乾かすと、ジャージに着替えた刻也さんが出てきた。眼鏡を外したその表情がなんだか新鮮でドキドキする。見つめすぎたのか、首を傾げた刻也さんに「……どした?」って尋ねられて、俯きながら首を振った。
どうでもいいことが、どれも新鮮で、どれも嬉しい。
どうしてこんなに、刻也さんの見せてくれるすべてが嬉しいんだろう。今日の夕方ころまでは、私はこの世の終わりくらいに最低な状態だったのに。今のこの状況と比べたら、本当に今日一日の出来事とは思えないほどの様変わり様だ。
「ほら」
いつの間にやら用意してくれたらしいコーラを差し出されてそれを受け取ると、早速DVDをセットし始める刻也さん。
「はぁー、やっと続き観れるな」
ニッと笑った顔はまるで少年だ。
よっぽど見たくて堪らなかったのかな?
でも、それでも私と一緒じゃないと見たくないって思ってくれてたんだよね?
そのことが嬉しくて、ワクワクした表情の刻也さんが可愛くて、私は彼の左腕に抱き着いた。ぎゅーっと抱きしめていると「萌優」って呼びかけと同時に、私の腕からスルリと抜け出た刻也さんの腕が肩に回される。
「始まるぞ」
「はぁい」
そんなやりとりすらも嬉しすぎて、満面の笑みを浮かべて答えた。
今まで観劇の時に合った20センチの距離はもうない。私の居場所は、腕の中だ。
恥ずかしくて、でも嬉しくて。温かさを感じるそこが、今日から私の居場所。
ずっと、そうだったらいいな……そう思いながら、私は幸せを噛みしめて液晶画面を見つめた。
ずっとって、ずーっとだなぁなんて、訳の分からないことを考えながら見ていたはずが――気が付いたら朝だった。
 




