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そのまま圧し掛かられてソファーの背に両手をついた彼は、私の咥内をまた深く荒らしていく。
慣れないキスは苦しくて、でも離したくなくて――恥ずかしくて、顔がどんどん熱を持つのに嫌じゃないから困る。とてもじゃないけど、こんなことされて目なんか合わせられない。ただただ貪られて、私はそれを目を瞑って必死に受け止めた。
微妙なバランスの体を支えようと思わず伸ばした手が、無意識のうちに彼の首に伸びて腕を回す。
その瞬間。リップ音を立てて、唇は離れた。
「ダメだ。これ以上は」
「へ……?」
ふわふわする思考で、何も考えられなくて、ぼんやりと声を漏らすと
「今日はこれ以上しない」
一人そう言って私の腕を解くと、刻也さんはドカッとソファーに座った。
「もう行くなよ、どこにも」
力強い声で私に言うと、私の左手をギュッと握りしめる。ぎゅっと最後に握ってから、するりと手が離されて刻也さんは再び食事に戻った。
なんだか胸がいっぱいすぎて食事の気分がすっかりそがれた。
素の刻也さんは、私にはまだドキドキすることばかりで、受け止めきれなくて。でも離れたくなくて、私は幸せを噛みしめる。噛みしめながらふと解決していないあることに気が付いた。
――八重子先輩と海人さん……どうして嘘ついたんだろう?
嘘をつくような人ではない。
海人さんは前科があるけれど、少なくとも八重子先輩はそんなことしない人だと思う。それなのに、どうしてだろうか。気になりだしたら止まらなくて、二人のことをぐるぐる悩んでいたら
ピリリリリリッ、ピリリリリリッ
けたたましく、携帯の着信音が鳴り響いた。
――やばっ! 鳴らしっぱなしだった。
「すみませんっ」
一言断って、隅に置かせてもらった鞄から慌てて携帯を取り出す。
表示を見ると、タイムリーにも八重子先輩。慌てて受話ボタンを押すと、刻也さんが近くに居ることも気にせずに電話に出た。
「もしもしっ」
『萌優ぅ。どうしてるのー?』
テンション高い八重子先輩の声と、その後ろから聞こえるのは俺にも貸せよ電話ーって叫ぶ海人さんの声だ。
「え、えと、あのっ」
どうしてるの? に返事が出来なくて固まった。
だ、だって!! 今、トキ兄の家に居ますなんて言えるわけがない!
しかも、ただの部下じゃなくて、その、あの……だ、ダメっ。
まだ自分では言えないっ!
刻也さんの、特別、な存在……みたいな単語、口に出来ない!!
「えーっと」
えーと、しか言えない私を余所に八重子さんはニヤニヤしてるのが目に浮かびそうな声で尋ねてきた。
「トキ兄と、上手くいった?」
「へっ!? な、な、ど、どしてですか!?」
ドキドキが止まらなくて、すっかり後ろに彼がいるのを忘れたまましどろもどろの返事をする。
「あんたちょっと落ち着きなさいよ。クスクス……一芝居、うってあげるって言ったじゃない」
「ひ、一芝居!?」
その単語を必死に頭の中から引っ張り出して、八重子さんと先日した会話をリピートした。
『一芝居、うとうか?』
『止めてください!』
……した。けど!!
「まさか……」
「トキ兄、動いたでしょ?」
茶目っ気たっぷりで、どうだと言わんばかりに自信にあふれた声で返事が来た。
「八重子、さん……まさか、そんなことのために嘘をついたり、しませんよね?」
恐る恐る尋ねるけれど、私の質問にけろりとした声音で返ってきた。
『嘘? 嘘なんてついてないわよー。一芝居しただけ。ね、海人』
『そーそーっ』
後ろから、援護射撃的に海人さんの声が聞こえる。
お二人さん。
そういうのを、一般的には芝居じゃなくって嘘って言うんですよ?
……って、この二人に伝わるわけないか。
ガクッと肩を落とした瞬間、私の右手の中にあった小さな重みがふっと消えて、無くなった。
――ん!?
「随分楽しそうな話してるじゃないか、釜田」
私の携帯を取り上げると、少し意地悪な声で刻也さんは勝手に話し始めている。
「と、刻也さ」「芝居ってなんだ?」
私の呼びかけを遮って、ちろりと私を見る。
顔は意地悪そうだけど……声、低すぎて怖いですよっ!?
怖い思いをしてるのは八重子さんに違いないのに、なぜだか異常に私の方がドキドキが止まらない。変な汗が出そうなくらい、奇妙に緊張の糸が張りつめている気がする。けれど、そんな風に感じているのは私だけらしい。
『トキ兄出たー!!』
『マジ!? やったな!』
電話の向こうの二人には、その糸は張りつめてないご様子だ。
一人ドキドキしているのも馬鹿らしくなるほどの、緩んだ二人に私はさらにガクッとなりながら刻也さんを見上げる。その顔は明らかに「コイツらは仕方ない」と言っていて、思わずクスリと笑った。
「はぁ……まんまと騙された。お前らには」
そう漏らす刻也さんが少し可愛らしく見えて、また笑いがこみ上げる。
「お前が笑うな、萌優」
携帯電話を持ったまま、そう言って額をぺちりと叩かれる。
「痛いっ」
痛くはないけれど、わざとらしく額を擦って痛がってみせると、フッと笑われた。




