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「ん……っ、ふ……ぁ」
――こんなの、されたことないっ
深さの増していくキスに耐え切れずに、後ろに仰け反っていきそうになるのをいつのまにか後頭部に回された手に阻止されて、息継ぎもさせてくれない。
初めて、だけじゃない。
私、キスだってまともにしたことないんだから。だから、急にこんな大人なことされると、パニックになる。
苦しさに、目の前の刻也さんの体を押すけれど、力では勝てるはずもない。
「んんっ」
苦しさを訴えて、胸元を小さく叩くとようやく解放してくれた。
「は……ぁっ、も、くるしっ」
「息くらいしろ」
どこで息していいのかも分からなくて、顔が真っ赤になる。
キスした直後に相手の顔を見るなんて高等技術は持ち合わせてなくて、俯いて顔を隠す。すると彼の両手が私の背に回されて、ゆっくりと引き寄せられた。
「萌優。ごめんな」
トントンと優しく背を撫でながら謝る彼に、不安を覚える。
「どして、謝るんですか?」
謝られると、また不安になる。
あの時みたいに――止めとけって言われた時を思い出すから。
「いや、あー。悪いと思ってさ。30にもなって、俺、がっついてるなって」
「へ……?」
「お前、どっか行きそうで、余裕ない」
ギュッと抱き寄せられて、コトンと私の右肩に重みを感じた。刻也さんの頭が、今は私の肩にあるんだ。
ギュッて抱きしめてあげたい。
何度も抱いたこの思いを、ようやく実行できる。そう思って私は、ゆっくりと彼の背に手を回した。
ギュウッ―――
「どこにも、行きません。傍にいますから」
彼と比べ物にならない程小さな手。
だから頼りないかもしれないけれど、ゆっくりと刻也さんの背を撫でると強張っていた背から力が抜けて、体にさらに重みを感じた。
私に身体を預けてくれる――?
寄りかかってくれる重みが嬉しくて、涙が滲む。
ずっと、抱きしめたくてたまらなかった男。やっと、私、抱きしめてあげられたのかな……
いま、腕の中のこの人が、どうか切ない顔をしてないといいな。そう思いながら私は、腕に力を込めて彼の右肩に顔を埋めた。
多分、恵さんのことがあるからだろうなって思う。
どこか行ってしまう不安。
でも……私は、恵さんじゃないから。
それだけは信じてほしい、なんておこがましいだろうか?
「私、恵さんとは違います」
「え?」
私の言葉を聞いて刻也さんは、私に預けていた体を起こすと背にあった腕を解いて、私の目をじっと覗き込んできた。至近距離はまだ抵抗あるけど、目は逸らさなかった。
「恵さんじゃ、ないです。私は私で。声も違うし。性格も多分違って。だから、もし……」
「待て」
怪訝な顔をした彼が、今度は私の口を手のひらで塞いだ。
「お前、勘違いし過ぎ」
ふーっと息を吐いて、また小さく吸ってから刻也さんは続ける。
「俺、恵のことはきれいさっぱり忘れてるから」
苦笑いを浮かべて、私を見つめる。
その瞳は嘘は吐いていないって思うけれど、本当にそうなの?
「俺が不安なのはお前のせい」
口を塞いでいた手を離すと、その手でベシッと額を叩かれた。
「イタッ」
「馬鹿なこと、お前が言うからだ」
「馬鹿って」
「馬鹿だろ? 俺、お前に恵を重ねたことなんて、一回もないからな。と言うよりさ」
「は、い」
瞳に宿った鋭さに怯んで体がビクリと震わせながら、恐る恐る返事をしながら目の前の人をそっと見つめた。
「多分、ずっと……お前のことの方が気になってたよ」
「え?」
「俺に偉そうな口聞いてた女の子が、どうなったんだろうってな」
ニッと意地悪く笑って、私の頬を摘まむ。摘ままれた頬はもちろん痛くはない。でもその部分が熱を持って仕方なくて戸惑う。
「えらほうって」
まともに喋ることが出来ない私を刻也さんはククッと笑う。
手を離してくれる彼をぷっと頬を膨らまして上目づかいに睨むと、笑いながら私の髪を撫でた。
「覚えてないの? もっぷちゃん」
「も、それ禁句です!」
「ククッ」
髪を撫でる手が優しいけれど、どこか中学生の私を見ているようにも感じて、おまけにまた笑うのが悔しくて私はつんと横を向いた。
――もぉおっ、なんでもう普通なの?
私、これでもすごく苦しかったんだから。
恵さんのことを見てるんじゃないかって、すっごく辛かったんだからっ。自分が辛かったことを知りもせず笑われて、悔しくて涙が滲んできた。きゅっと緩く拳を作って、たまらず握りこんでしまう。
「こら」
目ざとくそんな私の様子に気づくと、刻也さんは横を向く私の顎を掴んで自分の方に向かせる。
無理矢理だけどその大きな手に逆らえなくて、私もじっと見つめ返すしかなくなってしまった。
「泣くなよ」
「だって、補佐、がっ」
「補佐じゃないだろ、萌優?」
「ん……」
瞳に滲み始めた涙をきゅっと拭かれて目を見開くと、ふぅと息を吐いてから刻也さんは話を始めた。
「初めて会った時のお前、似てたんだ昔の恵に」
八重子先輩から聞いた話と照合して、それに痛みを覚える。
この人の口から、一体何度、嘘だったらいいのにと思う事実を聞かされなきゃいけないんだろう……
そう思うと苦しい。でも、逃げないって決めたから。
ちゃんと受け止めなきゃって、私はまたきゅっと拳を握りしめた。
 




