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止められずに漏れ出た声を抑えるようにハンドタオルを口元に押さえたら、瞳に溜まりすぎた涙までは止められずに横から流れ落ちる。けれどそんなことに構う余裕もなくなった私は、そのまま扉を背にしてずるずるとしゃがみ込み、人目が無くなった安堵からぼろぼろと涙を流した。
――ここは泣くところじゃない
そんな常識は理解してる。それに、仕事中に泣くなんて社会人としてあるまじき行為だってことも解っている。
だけど……人間触れられたくないことも、人によっては地雷の言葉もあって、その『地雷』を私も持ち合わせていた。
そしてその地雷をしっかりと彼が踏んでしまったから、私は駄目だという気持ちを押しのけて、自分を押さえることが出来なくなってしまった。
『男、いないんだろう』
『その声じゃあな』
『お前みたいなの無理だろ』
『遊ばれて捨てられる』
『男が出来ないのを仕事のせいにするな』
それらの言葉は、私にとって最大の禁句で最も気にしていることで……誰にも触れられたくない過去に繋がる言葉。だからこそ言われたことを無視できなくて、頭にこびりついて離れない。
電話を切ってから10分は経つというのに、脳内に奴のねちっこい声が木霊して、忘れたいのに消えていかないその言葉の数々を思い出しては涙が零れる。
止めることを放棄した私はそのままただ泣き続け、いつのまにか辛い過去を思い出していた。
初めての彼氏は、高2の時に出来た。丁度恋愛ごとに興味の高かったアノ時代、初めての告白をされたのだ。
特に好きだって感情もなかったけれど、嫌いでもなかった彼に告白されたことに有頂天になった私は、ほんの軽い気持ちで付き合い始めた。私は夢を描いていたんだ、彼氏と付き合うってことはとっても楽しくて幸せなことなんだって。
そんな彼と知り合ったきっかけは、たまたまカラオケに遊びに行こうと友達と歩いていたところに、友達の友達である男の子の集団に街中で出くわして……ってありきたりな流れ。そのまま友達は盛り上がってしまって、一緒にカラオケに行くことになった。
見ず知らずの男の子とカラオケに行くなんて経験は今までなくて、始めこそ緊張していたけれどなんとか私にも楽しむことが出来て、これからも一緒に行こうよってみんな盛り上がって……そんな風にして一緒にカラオケに行くことが何度か続いた。
そして3度目あたりに、ある一人に「俺個人と付き合わない?」って、初めての告白をされたんだ。
私は初めて受けた告白にただ驚いて、でも嬉しくて。断わるなんて選択肢を考えることもなく、ただただ興味と喜びとでOKの返事をした。
――けれど、彼の目的は……私の体だった。
数日後、ウキウキしながら初めて2人だけで迎えた放課後。
いつもみたいに駅前のマクドナルドで待ち合わせして
「待った?」
「今来たとこだよ」
みたいな王道をやった。差し出された手を頬を染めながら握って、話が弾まずに詰まりながら進む会話にドキドキしていた。
結局行くところはカラオケしか思いつかなくて、ぎこちないまま二人で過ごしながらも、こうやってちょっとずつ二人の時間を過ごしていったら距離が縮まっていくのかな? なんて未来に期待もしていた。まだ、この時は。
けれど帰り道に突然告げられたのは「キスしたい」って欲求。今日手を繋いだばっかりなのにありえない! って、お付き合い初心者の私はそう思ったのに、「したい」という強引な要求に抗えずに、壁に押し付けられて無理矢理唇を奪われた。
その時の私は突然の出来事にただパニックで、少しずつ距離が縮まるだなんて無理なんだろうかって、そんな思いが巡ってただ辛いだけの初めてのキスを耐えるしかなかった。
2回目のデートもすぐに訪れて、結局カラオケに行った。いつもよりもやけに近い距離で座る彼は、私にぴったりひっついて離れない。
「暑いんだけど」と訴えてみてもどこ吹く風。
「俺のこと嫌い?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
みたいなやり取りをすること数回。歌い始める私を余所に、太ももに手を這わせる彼。
「歌ってるから」
「……いいだろ、別に」
なんとなく、嫌だった。
漫画みたいなベタな甘い付き合いが実際できるなんて思ってはいなかったけれど、こんなのはナシだって思いが巡る。体を捩って少し距離を開けると「感じてんじゃん」って勘違い甚だしく、ニヤニヤした顔で近づいてきた。
結局、マイクは取り上げられて無理やり口を塞がれた。入力した音だけが次々と鳴り響く中、私の口内を這いまわる舌。ねっとりした感触と、飲んだばかりのコーラのせいで上がってくる炭酸。
不快感が募るばかりなのに、スカートに差し入れられる手。
我慢して我慢して。最後に「こういうの嫌」ってやっと言えた。
けれど私の常識にはない言葉で返される。
「付き合ってんのに普通だろ?」って。あまりのカルチャーショックに言葉が出なかった。