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「……はぁい」
渋々頷くと、八重子さんは私の肩をポンポンと叩いてからお構いなしに話し始めた。
「いや、昨日海人に聞いたんだけどね」
そう切り出した八重子先輩に、お酒の勢いでテンションの上がってしまっている真子が私よりも先に、話の本筋と無関係な部分に食いついた。
「ちょ、八重子先輩あの後海人さんと一緒だったんですか!? なんかやぁらしぃいいっ」
「真子ぉ? アンタだって真田と帰ってったでしょうがっ」
「うちはいいんですー。もう長いですから」
「はぁ? そんな逃げが通用すると思ってんの? じっくりあの後ナニしたのか追及してもいいのよ?」
「ちょ、な、何もないですってばー」
……おいおい。酔っ払い二人め。
振られて落ち込む私を余所に、惚気か!?
わざとなのか!?
しかも話の腰を折りまくってまでノロケるのか!?
落ち込むどころか、怒りがフツフツと湧き始めた私は、目の前の二人をじと目で睨みながらハイボールに手を出した。じとーー……睨むこと10秒。
「先輩っ。萌優、もゆっ」
小さい声で私を指さした真子が先輩と目を合わせてから、わざとらしく驚いた表情を見せた。
「んんっ。で、話を続けるわね」
これまたワザとらしく、オホンなんて言って話し始めた先輩。女の友情って……とちょっと突っ込みそうになる。
「で、海人が昨日ちょこっとだけ長井さんとトキ兄と3人で話してたらしいんだけどね」
真面目に話をするモードに戻った先輩をようやく睨むのを止めて、私は背筋を伸ばした。私の気持ちを解すためにあんな芝居を二人でしたのか? いや、あれは素だよね? ……なんて思いながら。
「『相変わらず江藤って似てるんすか』って尋ねたらしいの。アイツ馬鹿だからさ。萌優とトキ兄が仲イイの見て、まだ引きずってるせいなのかなって思ったらしくて。しかもそれをストレートに質問したらしいのよ」
うっわー、大迷惑な人だ。海人さんめっちゃいい人で好きなんだけど。たまーに、おせっかいが傷ですぜ? なんて心中でこれまた突っ込んだ。
「そしたらさ、なんて言ったと思う?」
「へ?」
「トキ兄よ」
まさかここで私に振られると思ってもなかったので、思わず真子を見た。でも真子もプルプルと顔を振るだけで、答えに見当はつかなさそうだ。
私も、うーんと言いながら悩んだふりをしたけれど、会社妻とまで呼ばれているとはいえ、素のトキ兄に関してはからきしダメだと思って首を振った。
「『アイツの声とは全然違う。江藤も女になってさ……多分、ずっといい声してるよ江藤の方が』だぁって!! やばくない!?」
八重子先輩のテンションと、その内容とで私は真っ赤になった。
――いい声してるよ、江藤の方が……って、誰が言ったの!?
半ばパニックを起こした私の口は半開きで……とりあえず落ち着くためにまた缶を握ってコクっと一口お酒を飲む。
「いい声って、やらしいですねトキ兄……」
なんて真子が恥ずかしい突っ込みを入れるから、私はマンガみたいに「ぶ―――っ」って口に含んだばかりのお酒を豪快に噴出した。
「ちょっ、萌優汚いっ」
真子が慌てて自分の顔を布巾で拭きながら私に文句を言う。
「いや、真子が悪いと思うよ?」
八重子先輩がフォローしてくれた。当たり前だ。
「やらしいとか言う真子が悪いの!!」
私は言いながら恥ずかしさがこみ上げてきて、また赤くなった。しばらく恥ずかしさとの葛藤で俯く私。今日は気持ちが浮上したり、落とされたりの連続で、心がジェットコースター級の活動をしている。
あーだ、こーだとまた言い合う二人をぼんやりと見ながら、私はだんだんと気持ちが落ち着いてきて、ふーっと息を吐いた。
うん、なんか、いいや。そんな風に、気持ちが凪いでくるのを感じる。
「先輩、真子。ありがと」
ぽつりとそう漏らすと、二人はピタッと固まって私を見た。
「今日、二人が来てくれて助かった。私、頑張るから」
「「萌優……」」
二人の声も、優しい眼差しも。決して演技ではなく重なって、私は嬉しくて緩く口角を上げた。
自然に、わざとじゃなくて。心から落ち着いたからこそ、自然と笑っていた。
「私ね、ただ想うだけでいいって始めた恋なの。だから、いいんだ――今のままで」
「萌優、それは辛い、よ?」
八重子先輩が切ない瞳をしてそう言う。まるで自分が辛かったかとでも言うかのように。
「いいんです。それでも。それにずっと続くかどうかも分からないし。ただ―――今すぐ諦めることも、変な期待をすることも止めて。とにかくゆっくり消化しようと思って」
声に出して気持ちを打ち明けると、やけにすっきりとした。
そう、ゆっくりと『消化』させればいいのだ。八重子先輩が、期待を持たせたくてさっきの話を私にしてくれたんだと思う。でもそうじゃなくて、私は私なりに、ゆっくり消化させようと思った。
それは――私自身にただ想い続ける根性がないことと。
過去に囚われたままの補佐の中に潜む彼女の存在に、勝てるとは思えない自分の弱さがあるから。それに打ち勝つ勝算も無ければ、闘う度胸すらも私にはない。だからせめて、自身の手でゆっくり消化させようって思った。




