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なんだか私の想像を超える話が飛び出して、私は目から鱗ってこういうことだなって感じた。
テレビ局がたくさんくる式典なんて私は体験したことがない。女子短大はのほほんとした空気で、いつでも緩く自由にがモットーで、ただ賑わしいくらいだった。だから、補佐の芸大の話は私の想像の域を何足も飛んでいた。
「学科ごとの公演とは別枠で、運よく俺の立ち上げた劇団も一芝居させてもらえることになって。何人もの人間がそれをチャンスだと思った。普通に考えて二度露出があるわけだから、自分を見てもらえる機会が多くなる。そしてどうせならいい役が欲しいって誰もが自然に思った」
「それは、普通の公演だと先生が配役を決めるけど、補佐の立ち上げた劇団なら融通をつけてもらえるから、とかそういうことですか?」
「ご明察。お金で釣ろうとするやつ、レポートを押し付けて恩を売ってくるやつ、それから女は……ほとんどが体で迫ってきた」
「――ありえない」
自身の辛い過去を思い出して、胸が苦しくなる。
だって、役のために体を? そんなの、ありえない。
大学生がそこまでして!? って気持ちで頭がいっぱいになった。
「ありえない、よな? 俺も今ならそう思う。でも俺はその当時、天狗になっていた。みんな俺には逆らえないんだ、俺は偉いんだ……ってな。それで」
言葉が一瞬途切れた補佐が気になって、またチラリと横顔を見つめると、コーヒーを一口飲んでからそっとカップを置いていた。なんだか、呼吸を整えるみたいなその行動が、ぎゅって抱きしめたくなる。
――私は一体何度そう思って、実行できないんだろうって思うとまた悲しくなった。
「俺は、自分から告白するのを止めた。というより、嫉妬させたくなったんだ恵に。だからアイツの前でだけわざとらしい態度とったりしたんだ。さも、誰かとヤってる、みたいな。実際は誰とも何にもなかったけどな」
恵、と呼び捨てたところだけがやけに響いた。
それに、つぎつぎと話を続ける補佐の過去も辛かった。演劇に狂い過ぎたみんなが、どんどん壊れていく。ただやってみたくて立ち上げた劇団。それは恐らく、ある種趣味のような感覚で立ち上げたんだろうと思う。それなのに式典に参加出来る話が湧いたばかりに、みんながそれに踊らされた。
その話が切なくて、涙が出そうになる。演劇は、そんなものじゃないのに……どこで人は狂っていったんだろうか。
「そうやって本番を迎えるころには、確実に恵は俺に嫉妬していたと思う。それを明らかに感じられて俺は大満足だった。そうやって終わった後、ようやく彼女に言う決心がついたんだ」
決心がついた、の言葉にドキリとして顔をまた補佐に向ける。けれど無言で頷くだけで、一瞬静かな時間が流れた。
わずかな時間静寂が広がって……止めていた息を吐きだすように補佐はまた口を開いた。
「恵、付き合おうって。でも俺はどこまでも馬鹿で。こんなときですら横柄な態度にしか出られなくて。それで断られた」
「え……?」
「言うのが遅すぎるって。思わせぶりな態度ばかりを取り続けた俺に、最初は嫉妬してたはずがいつの間にか怒りになって……アイツは他の奴に目を向けた。俺を、諦めたんだ」
「そん、な……」
「自業自得、だよな」
ほんとに馬鹿なことをしたんだと言わんばかりに、補佐はため息をついた。
でも、同情の余地がない話に私も何も言えずに俯いた。どう聞いたって、補佐が何もかも悪いと思う。いくら私が補佐を好きでも、その時の彼のことをフォロー出来なかった。
無言で俯く私に、補佐はははっと空笑いをする。
「ま、何も言えないよな」
ポツリとそう零しながら、私の方を見ようともせず大きく息を吐いていた。
「話、続けていいか?」
「……どうぞ」
「それから俺はバカバカしくなって、一度その劇団を潰した。なんだか演劇そのものがつまらなく思えて、しばらくは真面目に講義にも出なくなった。それに、恵に出来た彼氏の顔なんて見たくもなくて、大学自体も随分サボった」
学生のころの補佐がなんとなく浮かんで、今とのギャップに戸惑う。
サボったり、演劇が馬鹿らしいなんて言うトキ兄が信じられなくて、私は驚きながらもただ黙って話を聞いた。
「といっても、俺は演劇学ぶために学校行ってたわけだからさ。逃げることは出来なかった。逃げるだけ逃げて、しばらくしてからまた普通に通い始めたよ。それが学生として当たり前だけどな。
それでも恵とは目を合わせるのも苦痛だった。それなのにあいつは目立つから視界から消えなくて。何度も目が合っては逸らしたよ」
何度も目を逸らして――それでも多分、また目で彼女を追っていたことは明らかなその話しぶりに、自分のことのように胸が痛む。今までは分からなかった……好きな人を目で追うってことが。
でも今なら分かる。私はいつも、補佐を目で追ってるから。こっそりと、視線が合わないように。
合ったらいいのにとどこかで願いながらも、視線が絡まないように……だから多分、補佐も今の私と同じことを何度も何度も恵さんにしていたに違いない。そんなことを想像すると、苦しくなった。
過去の補佐を助けることは、私には出来ない。今は……辛くても聞くことしか、わたしには出来ないから。
ぎゅっとまた拳に力を入れて、俯く。すると、今まで補佐の声が響いていたこの部屋に静寂が訪れた。え……と思って顔を上げて補佐を見ると、補佐はとてつもなく苦いモノでも食べたかと思うくらい、苦い顔をしていた。




