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「大変申し訳ございません。こちらの不手際でお客様には不愉快な思いをさせてしまいまして……」
そう言いながら、どうしようかって考えつつもりやんに振れば何とかしてくれるだろうって考えていた。少し前までは私が担当してきた仕事とはいえ、今は異動してしまって他部署の問題になっている。それに口を出すことは流石に憚られる。
そんなことをごちゃごちゃ考えていたら、相手が待ちきれずにさらに叫び、喚き始めた。
「適当なご挨拶はいいんだよ! こっちはめちゃくちゃイラッとしてんの。大体さあ? なんで俺がかけた電話って全部女に繋がるわけ? こういうことも女が対応するから悪いんじゃない? 男の人がやりゃあ問題なかったのによぉ。お前だって腰掛けで仕事してんだろ。そういうのってホント迷惑。っつーかさぁ、女にまともに仕事が務まるわけがねぇんだよ!」
激しい罵倒が始まった。
女、女、女。
男尊女卑が激しい人なのか、女性であるという一くくりだけで、激しく私を罵る。一体私が何をしたというのか。
今までにされたことのない酷過ぎる罵倒に怯んだ私は、この段階でさっさと話をぶった切ってでも電話を誰かに振れば良かったのに……あろうことか私は、それを上手に出来ずに相手の言葉を黙って聞き続けてしまった。
なぜかふと、言わせたいだけ言わせてあげようって思ってしまったのだ。きっとこの辺がキャリアの足りなさなんだろう。でも私なりに精一杯考えて、ただただ言い返すこともせずに相手の言葉を受け入れた。
真面目に聞くとこちらの神経もすり減るから、極力相手の言葉をまともに受け止めないようにして、どこか意識を別の所へ飛ばしながら、彼の言い分を静かに聞き続けた。
ところがその態度が、彼の罵倒に火をつけてしまったようだ。
「お前、彼氏いないだろ?」
「え……」
一通りこちらの対応に不満をぶちまけ終えたらしい彼は、新手の話題に手を伸ばした。
しかし、この話題は商品とは一ミリの関連性が無い上に、一女性に対して余りにも失礼すぎる質問だって思う。ようやく潮時と判断した私は、この電話をどうにか担当の営業部署に回すようにしようと頭が回り始める。
しかしそのタイミングはすでに遅く、私は次の彼の言葉で、心を深く傷つけられることになった。
「すみませんが、そういったお話は―――」
電話を切り上げる口上を述べる私。けれどそれに構わず相手は続ける。
「いや、言いたくないんだろ? 分かるよ。あんたみたいなの、どんな奴だって手ぇ出したくないと思うし。声聞いただけでそんぐらい俺分かっちゃうし。いないでしょ? 実際。
あーやだやだ。仕事してて忙しいから男が出来ないのは自分のせいじゃないとか思ってる女。そういうの見苦しいよな。そんで結局遊ばれちゃって傷ついたとか言ってまた彼氏出来ないパターン。これ最悪のエンドレスだよね。きゃはは。んじゃまぁ、そっちの商品には絶対手を出さないって決めたし。さよならー」
言いたいだけ言って、相手の男はブチッと電話を切った。
突然途絶えた通信にすぐに気づかず、最後の彼の言い分が胸にぐさりと刺さったのを感じながら、震えて受話器を落としてしまいそうな手をどうにか制御して受話器を置く。
そのまま背もたれに少し体重をかけてふー……と息を吐くと、ポロリと何かが瞳から零れそうになるのに気が付いて、慌てて手の甲で目を押さえた。
――こんなところで、泣くわけにいかない。
それだけはすぐに判断できた私は、ハンドタオルを片手に掴むと勢いよく立ち上がった。
立ちあがってそのまま補佐のデスクに向かうと、一息吸ってから補佐に声を掛けた。
「補佐、すみません」
私の声に気が付くと、モニターから顔を上げて私の瞳をじっと見つめる。
こうやって顔を上げた時の補佐の目は、いつも何もかも見透かしているようでとても緊張する。今も……何かがばれるんじゃないかって怖くなりながら、きゅっと拳を作って握り込んだ。
「江藤、お前電話長かったみたいだけど大丈夫か?」
第一声。訝しげな声で眉間に少し皺を寄せてそう尋ねられた。やっぱり補佐の目は侮れない。
でもそんなことを今感じるよりも、一秒でも早くこの場から逃げ出したくて堪らなかった。
「大丈夫、です」
擦れた声になったけれど、簡潔にそれだけ返事をする。そして一気にこちらの要望を早口で言った。
「あの、資料探したいので資料庫の鍵よろしいですか?」
「あ、……あぁ、いいけど」
私の申し出に何となく気後れした表情を浮かべながらも補佐は立ち上がって、隣にある保管庫を開けると資料庫の鍵を差し出してくれる。スッと差し出された鍵を、ただ無言で受け取ると顔も見ないまま小さく頭を下げて私は総務課を飛び出した。
『資料庫まで、それまで我慢して私っ』
頭の中で自分に必死で言い聞かせながら、グッと唇を噛んで俯きがちに資料庫への道を最短で歩く。
1秒でも無駄にするか――と、そのくらいの勢いで歩を進めた。
総務課の資料しかないのに、なぜか総務課から遠い資料庫に着くと、荒々しくポケットから鍵を取り出してガチャリと開ける。
勢いよく中に体を滑らせると、もう耐え切れなくなって熱いものが目尻に溜まってくるのを感じた。
――もう、我慢しなくていい?
そう自分に問いかけた瞬間、緊張の糸がプツリと切れた。
「ふっ……ぅううっっ」