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「いや、無事か気になってついでに連絡しただけだから。ほら、営業の奴ってよく飲むだろ? まぁお前も前に居たからよく知ってるだろうけど……今日もほどほどにな」
「あ、はい」
たどたどしい話ぶりの私とは裏腹に、昨日とはうって変わって滑らかな喋りで補佐は昨日の電話について話してくれた。聞きながら、少しずつ落ち込んでいく心。
――やっぱり、そんなことだったんだよね
妙な期待をしてはいけないとは思っていたけれど、実際に釘をさすように本当の経緯を知らされると苦い思いが広がる。補佐が私の心配してくれたのはそういう事情か……という少し残念な気持ち。
部下としては、十分すぎるほどで有難いことだけれど、邪まな思いが一切ない理由を聞くとズキリと胸が痛んだ。顔を合わせられなくてすっと俯いてしまうと、状況把握にようやく追いついたらしい真子が私の耳元に口を寄せる。
「萌優、連絡って何? この人、誰なの?」
私と補佐を交互に見て、訳が分からないといった表情の真子に、同じ様相の真田君。その二人を私も交互に見て、どう説明しようかと頭がこんがらがってくる。
「えっ、と。あの、その、ね? この人は……」
誤魔化すような疾しいことは本当にないけれど、ただ言葉が出てこなくて、纏まらない声が漏れる。
そんな私を見かねたのか、ここでも上司ぶりを発揮してくれたのはもちろん補佐だ。
「永友刻也だ。君らにはトキ兄って言った方が通じるのかもしれない。で、江藤は今、俺の部下として職場が同じなんだ」
ものすごくサラッと事実を告げる声に、私の身体は縮こまる。なんで黙ってたんだよって自分でも思ってしまうから、余計に申し訳ない気持ちがあるし。
「「えぇえええーー!?」」
大先輩だったはずのトキ兄が、私を部下だと言ったことに友人2人は心底驚いてくれた。
もうそれはそれは演劇人らしく、オーバーに。
「あはは……ま、そういうこと、です」
頭を掻きながら、もうどうにでもなっちゃえ! という感じで私も続けると、真田君に思い切り肩を叩かれた。
「もゆっぺ、全然知り合いじゃん」
「うん、ごめん。私もこないだ病院で始めて知ったとこだった」
相変わらずあははと言いながら返すと、真田君は恥ずかしげもなくとんでもないことを言ってくれた。
「誰だか知らずに会ってたってこと? うわーすっげー。運命って感じだな!」
……運命って。
――そんな恥ずかしいこと、補佐の前で言うなよっ。
恥ずかしくて、私は拳骨で真田君の肩を叩く。でも……恥ずかしいと思いながらも、運命と言う言葉が嫌じゃないとどこかで感じ始めていた。
「カンパーイ!」
皆の声が重なって、久しぶりの演劇仲間の会が行われた。と言っても、海人さんの人脈によって呼ばれてきた面々は見事に年代はバラバラ。人によれば面識も無いという状態で、つまりは極めて合コンに近い状態だった。
一応、元演劇をやっていた人間という繋がりがある……みたいな。
しかしテンションの高い一行とは真逆に、真田君が運命発言してくれたお蔭で妙な空気が流れたまんまの私。いや、妙な空気だと思っているのは私一人だけかもしれない。
その上、幸か不幸か私は補佐の隣に座っているけれど、補佐はいつも通りの平然とした顔をしている。向かいにはテンション高くなった真田くんと、にやけた顔の真子。なぜ真子がニヤニヤしてるかと言うと……私が中学時代、トキ兄が好きだったことを知っているからに違いない。
でもって『私に黙ってたってのは、どういうこと?』っていう無言の圧力だと私は認識している。
――あぁ……!! もう、やだっ。
私は大人しくビールにちびちびと口をつけ、そして枝豆に手を伸ばしたところで……補佐と手が当たった。
「すみませんっ」
「いや、悪いな」
……気まずい。
どうしたもんかな……と思いながらテーブルを見渡すと、明らかに補佐から届かない位置になんこつのから揚げを発見した。これはまた箸が当たるとか奇妙なことになると申し訳ないよね。
そう思った私は先回りしてから揚げの入っている籠を取り「いかがですか?」と尋ねた。
「サンキュ」
補佐はそれを受け取って、いくつか小皿に取っていく。補佐はこれが好きなのを私は知っている。伊達に嫁とまで呼ばれていない。
ついついいつもの調子で接した後、籠をテーブルに戻すと今度は補佐が「江藤、ビール飲めないだろ?」って、私の手元を指差して片眉を上げていた。これは、そんなものなぜ飲んでいるんだとでも言っている感じだ。
「あんまり好きじゃないですけど。最初の1杯ぐらいは頑張ろうかと」
「頑張らなくてもいいだろ。俺が飲んでやるからほかの頼め」
「だ、大丈夫ですって」
「ほら」
「……スミマセン」
強引にメニューを渡されて、それを渋々受け取る。乾杯の時もいつも飲んでいないので、それに補佐は気付いていたんだろう。うぅ……こういうとこが、スマートすぎてムカつくというか。
結局、そういう配慮が出来るとところも私の好感度を上げる一方で悔しい。
「ところで補佐、調子悪かったりしませんか?」
「え?」
「なんか、いつもと声の調子が違う気がして」
「あー、ちょっとだけ、な」
「えぇ? じゃあ飲んでる場合じゃないじゃないですかっ」
最初に声を聞いた時から微妙に変だと思っていた。いつもよりも少しだけ声がかすれ気味で、トーンが違う。少し怒り口調で渡したはずのビールを取り上げにかかると、そのジョッキをひょいと取り上げられて、私の届かない位置に補佐は置いた。
「大丈夫だって。俺も大人だから」
「ほんとですか? あんまり無理しないでくださいね?」
「はいはい。優秀な部下が傍にいると厳しくて助かります」
「ちょっ、本気で心配してるんですってば!」
「銘じとくよ」
ニヤッと笑ってから補佐は美味しそうにビールを飲んだ。
――ってさ、それって私の飲んでた方ですよね!?
そうだよ、なんで気づかなかったんだろう! 間接なんちゃらじゃないか、それって!
今さらな事実に思い当り、急に恥ずかしくなった私は黙ってメニューに目を通し始めた。
……そう、私はすっかり忘れていた。補佐が隣で舞い上がっていたというのも正しいんだけど。ちゃっかりと、会社妻ぶりを発揮していたことに気が付いてなかった。
しかも、周りが目を見開いてこちらを凝視しているのにも関わらず、だ。
 




