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係長はため息を吐きながら、とにかく頼むって真面目な顔で言って泣いている私の肩をポンポンと叩いた。
「……ハイ」
係長が、私のことを見込んで話してくれたに違いないその事実をしっかり受け止めて、私は泣きながらも強く返事をした。補佐のこと、絶対に上の人間にも認めさせたいって思いながら。
そんな決意をしながら二人で改札を抜けると、係長のポケットで携帯が震える音がした。
「すまん」
一言私に断って電話に出る配慮を見せてくれるところは、係長の人の好さを感じられる。面と向かっては言えないけれど彼も、私にとっては尊敬する上司の一人だ。
「もしもし……は? そんなもん自分で確認しろよ。うん、……あー? さぁな。だから自分で聞けって。代わってやろうか?」
私の方をちらと見て、ニヤリと笑う係長。
その笑いは、嗤うという漢字がピッタリくる笑いで、私は背筋がぞくっとした。
――なぁんか、ろくなこと考えてないですよね?
なんてことを心内で思っていたら、その電話を私に渡すことなくパチンと携帯を閉じて終わらせた。
「さっさと認めりゃいいのに」
直後に呆れたような声で吐き出された意味不明なセリフ。一体誰と話していたんだろう?
「お前の上司様は手がかかるな」
「上司様?」
「ほら、煩いからさっさと帰れよ」
「え、あ……お、お疲れ様でしたっ」
係長はそう言って私の背を押すと、さっさと私の乗る電車のホームとは反対の方に歩き出していた。
慌てて別れの挨拶を背中に向けて発したけれど、係長は後ろ手をひらひら振って去って行く。
またモヤモヤが広がるのを感じながら立ち尽くしていたら、電車の到着を知らせるベルが鳴っているのに気が付き、私は慌てて階段を駆け上った。
電車に飛び乗って出入り口付近で立ち、ガラス窓の外を見た。
ぽつぽつと点灯する街頭や町の明かりを見つめながらも、頭の中は補佐のことでいっぱいだ。鈴木係長があんなことを言うから、余計に補佐のことばかりが脳を支配している。
時計を確認するのに携帯を取り出して開くと、10:00の表示が出ていた。もう10時か……と思いながら携帯を鞄に仕舞いかけて手が止まる。
――連絡、するべきなんだろうか?
何かあったら連絡しろと言って渡されたアドレス。
やたらと飲み会を気にかけてくれたことも、今日もいつも通りにDVDを見る予定だったのをキャンセルしたことも、私の中ではしこりになっている。なんて言うか、こう……申し訳ないって言うか、ね。
補佐にたくさん気遣わせてしまったんじゃないかって言う気持ちで、結構いっぱいになっている。
嬉しい反面、上司にそこまでしてもらってもいいのかなっていう気持ちもある。でも、そんなことを思うくらいなら毎週末一緒に過ごすことの方を疑問視しろって話だろうか?
友達でもなく、ましてや恋人でもない。
一緒に飲みに出たわけでもない上司だけど、ここまで来たら『無事帰宅しました』なんて連絡、するべきなのかもしれない。そんな思いにふいに駆られて、携帯を鞄に仕舞う手が止まってしまった。
じっと携帯を見つめながら思う。
仮に無事の帰宅を報告したとして、補佐がどう受け取るのだろう、なんて想像してみたら怖くなった。
『なんだアイツ、俺がこれ知ってどうする?』
なぁんて思われた日には、赤っ恥もいいところだ。でも補佐は大人だからそんな感想はおくびにも出さないだろう。
『無事ならよかった』
くらいの社会人的、配慮のある返事をくれるのだろう。
補佐のことをずっと傍で……たった数か月だけど見てきたから、補佐がそう言う人だっていうことは分かっている。私に頼んだ仕事に対して、仕上げた後はいつもありがとうなんて言う人だ。
総務の係長や主任にも、普段の生活や身体のことまで気を配り、仕事上でも齟齬が無いよう円滑に仕事が進んでいるかどうかをものすごく気にしている。
私なんて生理で具合が悪くても心配されて、毎月のことだから恥ずかしくて仕方ない。
その度に誤魔化すのに必死で、そのうち今日は生理か、なんて聞かれたら死ねると思っているくらいだ。……って、そんなこと絶対に補佐は言わないだろうけど。
でもさっき鈴木係長から話を聞いてよく分かった。補佐は誰よりも人の身体や心を気にしてるんだってこと。だからあの電話の時にも、補佐は酷く気にかけてくれたのかもしれない。
――私も補佐の支えになれたらいいのに
いつも助けてもらうばかりで、私は全然補佐のことを見れていないということを今日ハッキリと分からされた。補佐への風当たりが強いだなんてこと、私が気づいても居なかったことが良い証拠だ。
いつも真剣で真面目で、仕事一本で。
でも好きなDVDを見ては議論に白熱する補佐。そんな彼が、上層部と戦っているだなんて考えもしなかった。
私に出来ることは、無いんだろうか。
じっと携帯電話を見つめながら電車の揺れを感じていたら、ゆっくりとブレーキを掛ける音が聞こえてきた。耳を素通りしていくその音の後、私の降りるべき駅を告げるアナウンスが聞こえてきて、扉が閉まる寸前に慌てて飛び降りた。




