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「失礼、します」
この空気をどうしてよいのか分からなくて、私はただそれだけ言うと静かに車を降りた。
補佐からの返事は何もない。
降りた後も振り返らずにマンションに入り、3階の自分の部屋の前に着いてからようやく車を見下ろす。じっと車内から見上げる視線に気がついて頭を下げると、タバコの煙が窓から漂ってその後発車した。しばらくその居なくなった車の後を見つめると、停滞していた煙が完全になくなってまるで誰も何もそこにはなかったかのような気さえする。
私がさっきまで補佐と居たことすら、今日一日の出来事ですら、まるで何もなかったかのような。
けれど家に入って、着ていたジャケットを脱ごうとしたその時、補佐の家の香りがした。よく嗅いでみると、ほんのりとたばこの匂いがする。
――あ、これだ……
私がずっと懐かしんでいたのは、この煙草の匂いだったのかって今になって気が付いて顔が赤くなる。
たばこの匂いが分かるほどの距離に私は昔も、そして今日も居たんだって思うとなんだか落ち着かなくなって指先が震えた。
全然冷静なんかで居られない。ドキドキはちっとも収まらない。
ジャケットを胸に抱いたまま、ベッドに寝転がって抱きしめると、なんだか変な錯覚を起こしそうになる。
「駄目だよ、萌優……勘違いしたら、ダメ――」
今日一日を振り返ってはにやけそうになるのを抑えながら、私は何度も自分に言い聞かせた。
――私に、恋なんて出来るわけがない




