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いや、補佐に変な気持ちが無いってのは分かっているんだけれど、純粋にそうやって誘ってもらったことが嬉しいって言うか、なんて言うか。
それに一応私は部下である前に生物学上女に分類される存在で、その上過去には嫌な記憶が一つある。そのことを思うと、補佐の申し出は嬉しすぎるけれど、安易に乗っていいものなのか思案してしまう。
嬉しそうな表情から一転して、気難しい顔をしていたんだろうか。補佐がじっと私を見下ろしているのに気が付いて私も補佐の瞳を見つめると、目が合って真面目に訴えられた。
「舞台を見る、それ以外の他意はない。それだけは誓う」
どうして補佐が私を誘ってくれる気になったのかは分からない。
私があのモップちゃんだと知って、気が緩んだだけかもしれないし、ただただ有休の時間つぶしにでも思っているのかもしれない。でもあまりにも真面目に「誓う」なんて言葉までくれたそれが嬉しくて、補佐に付いて行きたいって自然と思った。
――だって、そもそも私は補佐に悪い感情を抱いていないんだから……
「お邪魔して、いいですか?」
私がそう返事をするまでに、2秒もかからなかった。
――――――
「お、お、お邪魔、しししますっ」
補佐の家に着いた途端緊張MAXになった私は、舌を噛みながら挨拶をした。
一人暮らしだから気兼ねするなと言われたけれど、それは無理な注文だと思う。何と言っても、相手は毎日お世話になっている上司だ。その上私は……ごにょごにょ。これ以上は考えないでおこう。
バクバクする心臓と闘いながら靴を揃えて壁際に並べ、出されたスリッパに足を差し入れた。
人生で2度目の男性宅への訪問だ。もちろん1度目はゴミ箱に捨てて、どっかに埋めたいほど酷い思い出だけれど……
キョロキョロあたりを見回しながら玄関から一歩離れて廊下へ進むと、背後でパタンとドアが閉まる音がした。
――うわうわうわーっ、入っちゃった、入っちゃったよー!
玄関のドアが閉まって密室になると、余計に落ち着かなくなって顔が赤くなってくるし、身体が震えそうだ。というよりすでに指先がピクピク震えている。
ドキドキ高鳴る胸を押さえながらどうしようかと思っていたら、そのまままっすぐ歩いてリビング行ってろ、と背後から指示が飛んで来た。
「ひゃっ、は、はいぃっ」
「ぶははっ、江藤普通にしてろ」
「ふ、ふふ、普通ですっ」
「そうか」
それだけ笑いながら言うと、補佐は玄関直ぐの部屋にさっさと入って行ってしまった。
取り残された私は唾をゴクリと飲み込み、正面に見える扉を見据える。
――行くしか、ないよね?
ぎゅっと鞄を持つ手に力を込めると、リビングへと続く廊下を一歩一歩踏みしめながら進んだ。
「失礼、しまぁ……す」
なぜか腰を屈めて、会社で他部署へお邪魔したときのような気持ちでリビングに入った。そろりと身体を滑らせて中に入ると、オシャレなLDKが広がっている。これって何畳くらいあるんだろうか?
――いや、こういう場合って平米? 坪? どっち!?
脳内の独り言が止まらないままに部屋中を見渡した。
「すごい……」
思わず感嘆の声をあげてしまう。同じ独り暮らしでこうも違うのか……さすが、30歳で課長補佐。
1DKで頑張ってる新人とは訳が違う。
うわーって感心の声だだ漏れで上に下にと視線を移動させていたら、いつの間にか後ろに立っていた補佐にべちっと後頭部を叩かれた。
「ったぁ」
「見過ぎ」
振り返ると呆れた顔をして私を見る補佐が居た。しかも私服姿だ。
――す、スーツじゃないっ!
GパンにTシャツなんて着てる補佐……なんだか変な感じがする。なんていうか、一気に自分に近いところに来てくれたような、なんかそんな感じ。
「補佐、そ、そんな恰好、するんですね」
「はぁ?」
目のやり場に困って視線を逸らすと、半分顔を横に向けてしまった。
――どうしよう、なんかちょっと顔が熱い。
さっきまで家のことでいっぱいになっていたのに、今は補佐の姿に戸惑っていて家どころじゃない。
「GパンにTシャツって。別に、普通だろ?」
「そ、そです、ね?」
「……変な奴だな」
背後で補佐が動く気配にびくりと震えて佇んでいたら、そこ座っておけ、ってソファーを指しながら言われて、慌ててソファーに座った。
駄目だ、すごく顔が熱い。
補佐は分かってないんだ、ギャップってものにやられるとか、そう言う精神。スーツ姿もキリッとしていていいなとか思ってたけど……なんだろ。今の補佐はなんか、そういうのとまた違う何かを私に感じさせてくれた。
 




