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溜め息を吐き終えてから上げられた先輩の顔は、観念しました、とまるで言っているような表情を浮かべている。私はその顔を見てゴクリと唾を飲み込み、出てくる言葉を待った。
「私に……怒んないで下さいよ?」
補佐を見てそう前置きをし、私をチラリと見る八重子さんと目が合って無言で頷くと、先輩は心底嫌そうに話し始めた。
――――――
「要するに、あいつは元気なんだな?」
話を聞き終えた補佐が私の隣でそう尋ねると、八重子先輩はこくんとそれに頷いて答えた。
待合室のロビーで座るのは私たちだけで、ミニテーブルを挟んで私と補佐、向かいに八重子先輩が座る形で話をしている。
補佐が買ってくれたパックのコーヒーをチューっと吸うと、隣で補佐がはぁーっと息を吐きながら背もたれにドカッと体重をかけた。
「すみません、ほんとに」
八重子先輩が本当に申し訳なさそうに頭を下げるのに対して、補佐は苦笑しながらそれに手を振って「無事ならいい」と言う。
その後それぞれ思うことがあったのか、ただ無言の時間が数秒続いた。
私は最後までコーヒーを飲みきって、コトリと目の前のミニテーブルにそれを置く。斜め前に座る先輩に視線を向けると、やっぱり申し訳なさそうな顔をして気まずそうにフルーツオレを飲んでいた。
なんだか、先輩は悪くもないのに居た堪れない。
そんなことを思っていたら、八重子先輩に対して気分を変えてあげようとでも思ったのか、突然補佐は身体を起こすと明らかに雰囲気を変えてニヤニヤした表情を浮かべながら先輩に尋ね始めた。
「で、お前どうすんの?」
両肘を両ひざについて身体を前のめりにして、何と言ったってあの顔! てくらい分かりやすい顔をして、八重子先輩を見ていた。
――うわっ、好奇心丸出しすぎでしょ!?
横から私は補佐のニヤニヤ顔を見つめ、それから恐る恐る八重子先輩に視線を移す。
そんな私の視線に気が付いて、先輩は私の視線を避けるようにフイと横を向く。先輩らしくないその態度に、おろおろしながら補佐をチラと見上げると、やっぱりニヤリと笑われた。
なんだか、補佐じゃない時の永友刻也はどうも食えない。
また正面に向き直ると、八重子先輩は少し頬を膨らませて恥ずかしいのを誤魔化すように怒って言った。
「し、知りません。あんな奴!」
言いながら顔は赤くって、絶対に本気でそんなこと思っていないってのが、恋愛音痴の私にも見て取れる。多分、恥ずかしさからそう言うしかないんだろうって感じがして、そんな八重子先輩にきゅんっとしながら私は成り行きを見守っていた。
でも――そういう誤魔化しを、隣の上司は許してくれないらしい。
「口出しする気はないけど……そろそろ、素直になってもいいとは思うけどな。お互い」
そんな言葉が隣から飛び出して、私はびっくりして目を見開いた。
あからさまに驚いた表情を見せて補佐を凝視するも、補佐は私の視線に全く取り合わずに続ける。
「大事なもんほど、辛いぞ。失ったら」
続けられた言葉がすごく重たくて、私はただただ見つめるしかない。
それは向かいに座る八重子先輩も同じようで、ゆっくりと噛みしめていたのか、しばらく経ってから決心したように「……ハイ」って、小さな子供みたいに返事をしていた。
いつもは気が強くて、しっかりしていて、誰にも指図されたりなんて姿を見せる人じゃない。
だから先輩が、その先輩にあたる補佐に対して、そんなしおらしい姿を見せることにも私はびっくりした。でも、そんな先輩も好きだなっとかなんとか思っていたら――
「おい。俺らは出るぞ」
突然バシッと肩を叩かれ、私は驚いて見上げた。
だって、せめて海人さんの顔見てから帰りたいって思う。その想いを込めて、まだ残りたいんです! と目で訴えたけれど、眼力で補佐に勝てるわけがない。
ギッと睨み返されて、私は無抵抗のまま視線を下げ、御意の態度を示すしかなくなった。
「出るぞ」
さっきよりも低い声で睨みながらそう言われた私は、まさに蛇に睨まれたようなものだ。
「はぁい」
せめてもの抵抗とばかりに間延びした声で返事して、立ち上がった。
どうせ補佐には勝てないし。
異動してきてから2か月ほどの付き合いだけれど、それだけは十分に分かっている。補佐って人は、白いものも黒だって言わせる力があるんだ。
まぁ、そんな人だからわずか30歳で課長補佐まで上り詰めているんだろうけど……
「え、ちょ、トキ兄。海人に会わないでいいの?」
流石に八重子先輩の方が慌てて立ち上がり、私たちが帰ろうとするのを止めてきた。
でも、そんなことで止まる補佐じゃない。
「いや、明日にでも来るさ。な、江藤」
「うぁ、はいっ」
いつも通りビシッと返事をしてしまう私が憎い。しっかりと補佐に従順になりすぎている。とか心の中で一人葛藤をしていると、八重子さんは「でも……」ともごもご言いながら、補佐を引き留めようとしていた。
すると補佐はそんな八重子先輩の耳元に近づくと、何かをぼそぼそ言い始めた。
――私だったら、あんな距離で囁かれたら落ち着かなくて堪んないかも。
なんてどうでもいいことを思う。って、なんで私落ち着かなくなるの。あの人は上司、ただの上司なんだからっ。
なんて、2人の横でまた一人葛藤を繰り返していた。




