9
「今日ね、同窓会……みたいなんですよ」
「同窓会?」
「長井さんと奥様と……それからもう一人、刻也さんが好きだった人の、4人、なんですけど」
八重子さんの合いの手に助けられながら、ゆっくりと言葉を続ける。
――刻也さんが、好きだった、人。
自分で言いながら胸が痛くなってきて、目の前の缶を掴んで一口飲んだ。
「もしかして、恵とか言う人?」
海人さんが幾分事情通なのか、私の伏せた言葉を性格に理解してツッコんでくるので、否定もせずに頷いた。海人さんですら知っていると言う事実も、私にとってはやっぱり苦い。
「アメリカにずっといたらしいんですけど、今回帰国するにあたって会いたいっておっしゃってるらしくて。それで刻也さんも会いたいって――それで私に、会いに行っていいかって。そう尋ねられて」
昨日のことを思い出すと、お酒のせいで涙腺が緩いのか、ぽたっと涙が落ちた。聞かれた時の情景を思い出してまた、じわりと心が疼く。どうしてこんな苦しいこと、されなきゃいけないんだろう、言わなきゃいけないんだろうって気持ちがグルグルしながら、それでも話を続ける。
「いいかって聞かれたって、私にダメなんて言わせる空気微塵もなくて。で、やっぱりダメって言えなくて、行っちゃった、ん、です……」
脇目もふらずと言った勢いで一気に話終えてから、声を震わせながら息を吐いた。わずか1分くらいの告白だったのに、緊張して止まない。流れ出そうになった鼻水をずずっと吸い上げると、涙がまた零れて鞄からハンカチを取り出した。
見っとも無い。
新年早々何やってんだろうって自分でも思うのに。こんなにみんなで居て楽しいのに。一瞬で刻也さんのことで頭いっぱいになって、苦しくなる。
今、どこなの?
何してるの?
どんな話してるの?
……想像するたびに、心臓が痛くなる。だから考えたくないのに、脳はそれを許してくれなくて――油断した隙にあっという間に、私の中をどろどろした感情が占領していく。
真子が左側から『萌優……』と呼びかけながら、私を抱き寄せようと手を伸ばしてくるのが見えた。
けれどその直前に、別方向から手が伸びてきて真子の手が遮られた。
「わ、え……ぇっ!?」
「それ、萌優が泣くとこじゃないじゃん」
予想もしなかった手の持ち主は、右隣に座る先輩で……なぜかその先輩に私は抱き寄せられていた。
――って! な、なんで、なんで!?
「ちょ、せ、せんぱ」
「萌優泣かすなんてロクでもない奴だよ」
さらりとそう言って、さらに胸元に顔を押し付けるように引き寄せられる。
――だから、何、何、なんで!?
何がどうなってこうなってんのかパニックの私。けれどそんな私と先輩の状況を見ても、周りのみんなはなぜか呑気だ。
「せんぱーい、まずいっすよー。トキ兄って先輩の先輩っすよ」
真田君はケラケラ笑いながらそう言った。いやいや笑ってる場合じゃないから! と思うのに、先輩の腕の力は強くて意外にも引きはがせない。想いもよらぬ状況に零れた涙も引っ込んで、お酒のせいか熱った頬に流れた涙はもう乾いてしまっていた。
「先輩の先輩?」
「そーそー。芸大なんだよトキ兄」
わたわたする私をよそに、明るく会話が続けられていて、首を傾げる椎名先輩に海人さんが真田君の説明に補足している。
――って、みんな!! 椎名先輩のおかしな行動を誰か止めないの!?
私が一人パニックを起こしているようで、なぜかみんなは普通にこの状況を受け入れている。どうしてなんだろう。今まで、私と先輩がこんな状況になったことなんて、全くない。いや、あるとすれば舞台の上でくらいのはずだ。正気で、ましてや彼氏が今現在いる私が、こんな状況になっていいはずがない。
「あ、もしかして伝説の永友サン?」
「そうそう永友だよトキ兄……って、さすがトキ兄、伝説かぁっ」
ぷはあっ!
全く私のおたおたする心境を与せず、ビールを飲んで叫ぶ海人さんの声が聞こえる。お願いだから、緊張感ないその感じ、何とかしてください! って叫びだしそうだけれど、いつもそう言ってくれるはずの八重子先輩ですら無言だ。
「永友さんと言えば、すごいですよイロイロ」
「へーそうなんですか?」
何でもない感じで合いの手をいれたのは、真子の声。私はその間もモガモガと先輩の胸元で小さくもがくけれど、無駄に終わった。
「すげー出来る人だったとか、スゲー遊びまくってたとかなんか色々? 俺それ聞いてあんま好きじゃないんだけどね」
「へぇ……」
今は聞きたくなかった話がチラリと込められていて、ズキっと胸が痛む。
――有名になるほど、遊んでたのか……
しかも何気に、あんまり好きじゃない、って発せられた言葉にショックを受けた。自分の好きな人が好ましい存在じゃないって言われると、その発言をする椎名先輩も好きな私としては結構落ち込む。
みんながみんな大好き、って環境は難しいと思うけれど、やっぱり苦い想いが広がって止まらない。
しかしそんな私の落ち込み何て露知らず、椎名先輩はさらに私を抱きすくめて言った。
「萌優。やめとけよ永友さんは」
「イヤ、あの先輩」
「永友さんにするくらいなら俺にしろよ」
…………!? せ、先輩? 新年早々、私意味が分かりません!!
そう叫びだしそうな程、全く理解の及ばない申し出にますますパニックになる。
「まぁ……それもいいかもね」
「えぇ!?」
モガモガともがきながら、八重子先輩の押しの一手ならぬ、押しの一言に動揺した。動揺して揺れた身体を、また椎名先輩がぎゅうっと抱きしめてきて私はハッとした。
だって――思い知らされたから。
匂いが違う。
温かさが違う。
私が居たい場所は、ここじゃないって。
身体がそう叫んで拒絶している。何と言われても、好きな先輩に刻也さんを否定されても、昔遊び人だったなんて噂があった人だとしても。それでも私の気持ちは全く揺れていない。
そう改めて思う自分がいるのに、みんなの考えが私の想いとは裏腹に違う方向に流れていった。
「まー俺トキ兄のことあんまり知らないから、ぶっちゃけ椎名先輩のが安心かも」
「誠一言い過ぎ」
真田君の一言にぐさりと刺された私を庇うように、真子が口を挟んだ。だけど、言われた言葉が取り消されるでもなく、私には重くのしかかる。もしかして、やっぱり私……刻也さんの隣に居るのって不釣り合い、なのかなって。
「だってさー、トキ兄酷過ぎ。もゆっぺこんなに泣く奴じゃねぇもん。昔の女とかどうでもいいだろ」
「まーそれは私も同感。ほんっと女々しいわよねー男の癖に」
真田君に続いたきっつい一言は、もちろん八重子先輩。あまりにも過激なドSな発言に、先ほどの真田君の一言に落ち込みつつも、思わずブッと吹き出してしまった。
「萌優もそう思うでしょ?」
椎名先輩に閉じ込められてみんなの顔が見えてなかったけど、その表情はなんとなく伺える。
心配、してくれてるんだ、すごく。
椎名先輩の意図は分からないけど、とりあえず私のことを想ってくれての行動だと理解し、そっと顔を上げるとにこっと爽やかな笑顔を向けられた。不覚にも、その表情にドキッとして顔を赤らめてしまう。
「あれ? もゆっぺ、まんざらでもない?」
そんなタイムリーな瞬間を真田くんに見られ、冗談交じりにもつつかれる。
私は慌ててブンブンと首を振って「違うっ」と大きく否定したけれど、真田君の目は笑っていて全く私の声が届いているようには思えない。
どういえば伝わるんだろうか、と落ち着かない気持ちのまま思案していたら、想像もしていなかったことを背後の先輩から告げられた。




