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永遠に触れたくて  作者: 桜倉ちひろ
番外編1
112/123

 タバコを口に咥えたところで、あー止めようか……と悩んだ。けれど、今のモヤモヤした気持ちがどうにも治まらずに、やっぱり吸おうと決めてライターを翳す。ジュっと先に火が点いて、その後煙が上がるのを見ながらちらりと萌優へ視線を向けた。

 ――換気扇、回すか。

 ベランダで吸うには寒すぎる。吸い込んだ煙を肺へ送りながらキッチンへ向かい、吐き出す前に換気扇を回してボー、と換気の音を確認してから吐き出した。

 「ふー……」

 静かにゆっくりと、腹式呼吸でもするかのように身体からしっかりと吐き出す。一瞬で曇る目の前に少しだけ嫌気がさして目を眇めていたら、瞬時に換気扇の中へ消えていく様を見ながら、ふと思い出した懐かしい記憶に笑いが零れた。

 「いつも、アイツだな……」

 俺が金平糖に手を出し始めたのは、タバコを止めるためでなるべく吸わないように気を付けている。冗談で長井が、コレでも食ってれば、と言ったこともあったけれど。

 社内での禁煙も煩いこともあって極力控えているものの、それでも自分のイライラした時のガス抜きにだけは煙草に手を出してしまう。それは自分の弱さだと思うけれど、一時期の自暴自棄な自分を振り返ればずいぶんと落ち着いたものだ。

 それもこれも萌優のお陰、と言えなくもない。8年前のあの合宿。隣でタバコを吸う俺に、アイツは言った。

 『ねーねー』

 『あ?』

 『タバコってね、吸ってる人より隣に居る人の体に悪いんだって知ってます?』

 『へー……』

 『私の体、悪くなったらトキ兄のせいじゃないですか?』

 『はっ!?』

 『ね? 体にも良くないから、タバコやめた方がいいですよー』

 ――って言ったんだよなぁ、アイツ。

 タバコを吸う俺を見て懐かしいなんて言ったけれど、未だに過去のもっぷちゃんの言葉に引きずられて、真面目に人の隣では吸わないようにして、やっぱ努力してる俺……そんな自分を思わず笑う。やっぱ、ナチュラルに俺を侵食してるよなぁ萌優って。

 ちらりと眠る彼女を見ながら、まだ半分残ったままのソレを灰皿に押し付けた。モヤモヤがスッキリしたのは、タバコのせいか……それとも、萌優のせいか。答えを自分に問いながら、自然と口角が上がった。

 「わっ、寝てた!!」

 いいタイミングで、なぜか大きな声で叫びながら彼女が飛び起きた。その様子を声を押し殺してわらいながら、換気扇を止める。視線を外さずに静かに見守っていると、彼女は自分の上に掛かった毛布に驚いて首を傾げた。

 「ん? 毛布?」

 どうやらまだ、俺の視線に気づかずにいるようだ。もしかしたら、ココがどこなのかも飛んでるのかもしれない。その様子におかしくなってクツクツ笑ってしまうと、ようやく存在に気付いたのか虚ろな視線がこちらへと飛んできた。

 「ときなり、さん?」

 「おはよ」

 視線が合って、ふにゃりと笑みを浮かべる萌優。寝起きのそんな顔も堪らず、そっと灰皿をキッチンの奥へと押し遣ってから、ソファーへと近づいた。そのまま体を起こした萌優の隣に腰を下ろして、さらりと額から後頭部へ向けて一撫ですると、目を細めてそれを彼女が受け止めてくれる。それだけで、なんだかすごく満たされた気がした。

 「すみません、寝ちゃって」

 「いや、俺の方こそ」

 電話に出て置き去りにしたのは俺の方だし。と言いかけて、その言葉を飲み込んだ。代わりに、彼女のこめかみにちゅっとキスをする。まだ寝ぼけているのか、いつもなら赤くなって抗議するのに萌優ははへらっと笑った。その表情が30を過ぎた俺とは違ってまだ幼くて、いつもは薄らいでいる背徳感が少しだけむくりと芽生えた。もちろん一瞬だけ、だけど。

 「電話……終わったんですか?」

 「あぁ。悪かったな」

 「いえ。聞かれたくないことも、あるだろうし」

 にこっと笑ってそう言う萌優。そこに他意はないのが見受けられることが余計に辛い。

 そんな萌優に気持ちをグッと持っていかれ、俺は抱き寄せようと腕を上げたけど……ぴたりと止めた。――なんとなく、後ろめたい。全く自分が悪いわけではない。勿論、彼女に対する思いは微塵も変わっていない。願わくば、萌優とこのまま……と将来まで夢見ているのは、もう三十路を迎えた俺だけかと焦りつつ。クソ真面目に約束を守ってしまったために、付き合ってもうすぐ半年にもなるのに未だ手が出せないというあり得ない状況……

 それなのに――今さらになって現れた恵に、すぐに心を乱されてしまった自分が情けなくて、俺は自分に嫌気がさした。いつになったら、大人になれるんだ? と思いながら、彷徨った腕を背もたれに乗せる。中身のない腕の中の空間が、妙に寒い。けれど空白に萌優が嬉しそうに近づいてきて、コトンと頭を乗せた。寒さが一気に無くなって、途端に温かな空気で満たされる……けど。

 ――ヤバい。コイツはいつもどうしてこうなんだ!!

 いろいろとモヤモヤ耐えまくっている俺としては、萌優の行動が嬉しい反面、堪らなく何かを擽ってきて堪らない。いっそこのまま……とよろしくない妄想をしかけてグッと耐え、頭をくしゃりと撫でるだけにとどめた。しかし、そんな俺の心情などどこ吹く風の彼女は、またもとぼけた質問をする。

 「立ちましょラッパでたちつてと……の後って、何でしたっけ?」

 「は?」

 「忘れちゃいました? あめんぼ」

 「あぁ、あめんぼ。たちつてとの後は……とてとて立ったと飛び立った」

 「わー、そうでした!! 良かったーすっきりして」

 両手を握りしめて嬉しそうに俺を見上げる萌優に、ささくれ立っていた感情も、危うい妄想も押し留められる。釣られて緩やかに微笑んでしまって、ふと俺ってこんなだったか、と思いなおして苦い顔をしてしまった。

 「さっき、外郎売とかしたせいか、夢の中でまで発声練習してしまっててね。あめんぼの途中で分かんなくなって、悩んでたら目が覚めたんですよ」

 「夢まで? 凄いな」

 「ですよねー」

 ケラケラと笑う様子は、本当に演劇が好きなんだと伝わってきて、苦い顔もまた柔らかに微笑みに変わる。こうやって癒されるのを感じながら、やっぱり俺にとっての萌優は他の女と全く違うなと感じてしまった。

 そう気付くだけでまた愛しさが募って頭を撫でつけていると、くすっぐたそうにしながら顔を綻ばせる萌優が突如「ん?」と首を傾げて妙な顔をした。そのままクンクンと匂いを嗅ぎながら、胸にすり寄ってくる萌優。鼻先が服に当たって、くすぐったい。

 ――やばいだろ、これ。

 半年もの間、清すぎる交際を続けている俺たち。DVDを見終わったら、なんてどうでもいいだろうと思う約束が破れなくて、真面目に手を出すのを我慢してしまっている。この半年が忙しかったこともあって、一緒に舞台が見れない時が続いたり。萌優が泊ることを禁止したせいで、週末に2本ずつしか見ることが不可能で、まだ全部見終わっていない。――そしてついに正月まで迎えてしまった。

 流石にまだ枯れるには早すぎるぞ俺、と思いつつも純真無垢そうな萌優を前にすると、どうも手が出せずに我慢我慢できてしまった。

 しかしそれも後1本で、ついに、だ。これが終われば……と、多すぎるDVDの数に途中幾度となくプティキャラを恨んだことなどを思いだしつつ、感慨に浸ってしまう。今この感慨に浸ることでもしなければ、胸元を擽る萌優の行動に気がおかしくなりそうだ。しかし――

 「刻也さん。タバコ、珍しいですね?」

 萌優の居る側では、めったに吸わない俺がタバコを吸ったことに気が付いて、心配そうな表情を受かべていた。その表情を見て、しまった、と先ほどの自分の行動を少しだけ悔やむ。

 案外と他人の心情の機微に敏い彼女のこと、萌優の前で滅多に吸わない煙草を吸ったと知っただけで、何か感じ取ってしまうかもしれない。

 「あぁ……ちょっと、な」

 別にタバコを吸ったことは悪いことではないはずなんだけど、と言い訳しつつも、曇る彼女の顔にますます舌打ちしたくなる。あぁ、なんで吸っちゃったかな、俺。

 大体全部、何もかもあの電話のせいで、モヤモヤさせられている。やっと訪れた平穏。幸せ。そんな俺の空間を壊してくれるなよ、と我儘にも思ってしまう。

 そんなことを思っているうち、しばらく無言が続いていた。俺はただぼーっと萌優の頭を見ていて……彼女が何を見ていたのかも、何を考えていたのかもよく分からない。けれど気が付いたときにはいつもの柔らかな表情を浮かべながら、明るい声で尋ねてきた。

 「明日は、どうしますか?」

 俺の顔を間近に見上げた萌優の声で、ハッと意識が戻る。もう何度意識が遠くへ飛べば気が済むのか、とまたもそんな自分に苛立ちながら、言われたことを反芻した。

 「あぁ……ごめん。え、何、明日?」

 「はい。あの、お忙しい、ですか?」 

 よそよそしく尋ねているけれど、明らかに萌優の目が期待に満ちている。それが嬉しいのに、辛くて仕方がない。

 ――俺だって本当なら。

 そんな気持ちが心を燻ったけれど、頭を一度振ってぎゅと萌優を抱き寄せた。

 「ごめん、予定、入った」

 「そう、ですか……って、あ、あのっ。気にしないで、下さいね?」

 「え?」

 「もしかしたら、一緒に居られるかなーって、その。思っただけなんでっ」

 早口に言いきってから、恥ずかしくなったのか、慌てて自分の口を隠す彼女。その小動物的動きが可愛くて、愛しくて。堪らずさらにぎゅうっと抱き寄せながら微笑む。

 その身体の柔らかさも温かさも、俺には奇跡なくらいこの世でたった一つの宝物だ、なんて恥ずかしいことまで思ってしまうほど、彼女が好きだと改めて感じた。 

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