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永遠に触れたくて  作者: 桜倉ちひろ
承:始まる恋
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 けれど無情な神様は私には微笑んではくれないらしい。

 「江藤。お前何やってんだ?」

 電気がついてからわずか数秒後。上から見下ろして、私に影を落とす永友補佐の靴先が目の前に見えた。

 「補佐……」

 逃げられないことを悟って、明らかに泣きましたって酷い顔で見上げると、補佐は苦い顔を私に見せる。そのまま私の方へと一歩詰めると、私の顔を覗きこみそうな勢いで補佐はしゃがみこんだ。

 「え……? あの、補佐?」

 「お前、電話で何か言われたの?」

 驚きのあまり顔を上げると、ジッと射るように私を見つめる補佐の瞳とレンズ越しにかち合った。

 その眼をいつも逸らすことなく見返せるのに、今は見つめ続けられなくてパッと瞬時に逸らす。今だけは何も覗かれたくないって気持ちが大きい。

 「べ、つに。何もない、です」

 言いながら、なんて子供っぽい言い方をしているんだろうって頭では分かっていても、上手く社会人らしい対応が出てこない。

 「言いたくないのか」

 またじっと覗き込もうとしてくるのを感じながら、それを遮るように手のひらで目を隠しながら横を向いて強く言い返す。

 「そう言う訳じゃなくて、何もなかっ」「じゃあ、相手の名前は?」

 即座にそうツッコまれて、私は声を詰まらせた。……言われたことに答えられない。

 どうして今まで気が付かなかったんだろう。あれだけ長い間電話受けてたくせに、相手の名前すら知らないなんて。

 ――最低、だ。初歩的ミスにも程がある。

 泣きはらして赤くなっていた顔を私は一瞬で青くして、補佐の方へとようやく顔を向けた。

 目が合うと不出来すぎる自分に恥ずかしくなってきて、今度は赤くなる。

 お客様の名前を聞いていないなんて、電話を取っておいてあり得ない失態――何の言葉も出てこなくて、俯いた。怒られても、しょうがない。

 覚悟を決めてギュッと目を瞑る。けれど補佐は、私を叱責したりしなかった。

 「言えよ、言われたこと。そしたらスッキリするだろ」

 「――ッ」

 言えない。

 全ては私の恥ずかしい過去だ。

 男を見る目がない、自分の恥ずかしい過去。それを引き金にして泣いているのが、今の最悪なこの状況なんだ。だから、何も言えるわけがない。

 それなのに補佐はそんな私のことなんてお構いなく、どんどん私の心を崩していった。

 「お前がそうやって黙ってコソコソ泣いて落ち込んで。それって仕事の効率悪いだろ? 俺の仕事のフォローは江藤がしてくれてるんだから。俺は江藤がまともに動けなかった困る。だから言え、全部聞いてやるから。それでスッキリして、いつもの江藤に戻ってくれよ」

 どういうつもりなのか私には分からない。

 ただの上司がそんなこと言うのが普通かどうかなんて、それも分からない。

 でも、全部聞いてやる――ってその一言が、堪らなく胸に響いて嬉しくて。誰にも、ましてや異性で上司の補佐になんて絶対に言えるはずがないって思っていたのに、その一言が私の涙腺をまた崩壊させて、閉じ込めた心を砕いた。

 補佐はただ、仕事の効率を良くする為だけにそう言ってくれたのかもしれない。でも私のほんの僅かなプライドは、その言葉であっさり崩れた。

 だって、補佐の声があまりにも温かくて穏やかで、優しく胸に響いたから……

 「わ、たし……っ、私」

 「うん」

 私しか言えない私にただ頷いて、補佐は私に触れるでもなくただ包み込むような優しい表情で見つめてくれていた。泣きながらその顔見て安堵して、ひゅっと息を吸い込んでは小さく吐き出すのを繰り返してからゆっくりと言葉を紡いでいく。

 「お前、みたいなの、ヒィッ、く……彼氏、いないだろって、言われて」

 「うん」

 「やっぱり、私なんて、声だけで、ヒクッ……ダメな女って、分かるのかなって、思って……ふっ、うぅ」

 言いながら、それでもやっぱり過去の全てを晒す覚悟はなくて、ギリギリ譲歩できる部分を掻い摘んで話した。話しながら、また電話で言われた言葉が脳裏を駆け巡って涙が込み上げてくる。

 自分で自分の馬鹿さ加減が悲しい。過去のこともそうだけれど、今現在の自分だってそうだ。

 電話の基本すらマトモに出来なくて、こうやって上司の足を引っ張ってる。挙句に落ち込んでるのを仕事中に慰めてもらうだなんて、あり得ないにも程がある。どこの学生だって話だ。

 そんな不甲斐ない私自身がまた悔しくて、うぅうって涙が込み上げてくる。ヒクッって言いながら小さくしゃくり上げていると、そんな私を近距離で見下ろして補佐はため息をついた。

 そのため息に私は身体を強張らせるけれど、補佐はふぅっと息を吐いてから私をじっと見て、そして淡々と尋ねてきた。

 「江藤、お前、俺を見てどう思う?」

 慰めの言葉でもかけてくれるのかな? と、小さく期待した私は拍子抜けした表情を補佐に見せた。

 見つめるその先には、なんの感情も読み取れない顔がある。

 掴みどころのないその質問に困惑しつつも、何か答えなきゃって気持ちでいっぱいになって、逡巡しながら口を開いた。

 「えと、それは男性として、ってことですか?」

 「あー……ま、そうだな」

 私が質問の内容を確認すると、自分から尋ねておきながら『いや、こんなこと聞かれても困るか』なんてブツブツと歯切れ悪く言っている。

 さっきまで無表情だった補佐が途端に困り顔を浮かべているのがおかしくて、流れていた涙をぬぐいながらクスリと笑った。

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