第1話 任意同行
ポケベルが鳴った。
そろそろ女の子が出てくる時間だ。
俺はマンションの入り口に車をつけて、サイドブレーキを引いた。
タバコでも吸うか――。
そう思ってポケットをまさぐり、百円ライターを取り出そうとした瞬間、手が滑った。
「あっ」
コロコロ・・・と転がったライターが、アクセルとブレーキの奥の方に消えた。
クソっ。と、体をずらして、無理な姿勢で手を突っ込んだ。
指先でまさぐる。 ない。 どこだよ。
さらに奥へ手を伸ばした、その時だった。
――ブァン!
いきなり助手席のドアが開いた。
「うわっ!」
突風みたいに空気が流れ込んできた。
ドキッとした俺は、ハンドルに頭をガンッとぶつけた。
「イテッ!」
誰だよ。もう!
何か用なら、窓ガラスをコンコンって叩くだろうが普通。
いきなりドアを開ける奴がいるかよ。イテェなぁ。
「よおっ」と、声がした。
顔を上げると、見たことのない男が立っていた。
小柄で小太り、三十代後半ぐらいか。
え~と、誰だっけ・・・いや、知らねーな。見たことない顔だ。
はは~ん、この野郎酔っぱらってやがんな。と思っていたら、
「警察だ。警察」
男はワガモノ顔で助手席に乗り込んで、ドアをバンっと閉めた。
そしてコートのポケットから警察手帳を取り出した。
「写真見ろ。写真」
そう言って、手帳の1ページ目を開いた。履歴書みたいな白黒写真だ。
男の指は、写真と自分の顔を行ったり来たりした。
「これ、俺だ、俺・・・ほら。確認しろ」
暗くてよく見えない。
男は車内灯を点け、ヨレヨレのチューリップハットを脱いだ。
グッと、俺に顔を近づけた。
近い近い近い。
顔の横に警察手帳を持ってきて、ほら見比べてみろ。と言わんばかりだ。
写真の男は警察官の制服だ。対して、目の前の男は黒いコートの下にモコモコのセーターを着ている。私服のため多少雰囲気は違うが、確かに本人だ。
どこか愛嬌のあるタヌキ顔からして、写真と同一人物であることに間違いはない。
こいつ、本物の刑事だ。
以降、この男を「タヌキ」と呼ぶことにした俺は、突然の出来事に声も出ず、口を開けたまま、首だけをコクコクと縦に振った。
「お前、売春やっちゃダメだ。売春やっちゃあ」
タヌキは、睨みつけながら、威嚇してきた。
確かに、俺は今、ホテトルの運転手として働いている。
女の子を、自宅やホテルに送り迎えする、あの仕事だ。
たった今も、東中野のマンションの前に車を止め、仕事を終えて戻ってくる女の子を待っていた。
その日一発目の仕事だった。夜9時を過ぎていた。
運転手を始めて一年半になる。
最初のうちはビビってはいたが、一ヶ月もすると慣れた。違法だとかいう意識は完全に消えた。日当一万五千円貰えるこの仕事は稼ぎが良かった。たまにだが、仲良くなった女の子にタダでやらせてもらえる特典にも恵まれた。
ぬるま湯にどっぷり浸かっている俺に、いきなり警察がぶっ込んできた。
ちょっと待て。ちょっと待て。ちょっと待って!
噓だ。噓だ。噓だ!
誰かウソだと言ってくれ~~~。
言葉にならない声が頭の中をグルグル駆け回る。
夢でもどっきりカメラでもなんでもいいから、とにかく、目の前の出来事を誰か否定してくれ!っと、ひたすら心の中で懇願していると、
タヌキが警察手帳をパラパラめくった。
「お前、古屋だな。古屋健司。24歳。この間、誕生日迎えたばかりだったな」
なんで知ってるの? 俺の事。
やめてよ。 やめてくれ。
何勝手に調べてくれちゃってんだよ。
さらにパニックに陥った俺は、何故か体が勝手に動き出した。
先程落とした百円ライターを拾うべく、ブレーキの奥に手を突っ込んでまさぐり始めた。
「おい、動くな!」
タヌキが怒鳴った。
俺は両手を半分上げて固まった。
「さっきから何探してるんだ?」
タヌキはコートのポケットからペンライトを出し、俺の足下を照らした。
あ、この人、ペンライトまで持ってる。何か知らんが本格的だ。本格的な匂いがする。
怖いよ~~・・・。
と、尋常ならざる精神状態の俺は、たかがそれだけの事でもビビりまくる始末だ。
「お前、何隠しているんだ?・・・えっ!」
ヤバい。今度は変な事を疑いだした。
「何か隠してるんだったら、今のうちに出しとけよ。あとでこの車の中全部調べるぞ。調べて出てきたらまずい事になるぞ。まずい事に。それでもいいのか」
タヌキがペンライトを俺の顔に向けた。視界が白く飛んだ。
これはアカン。
タヌキの旦那が何かを勘繰り始めた。
ギロリと睨んだ形相には不動明王のごとく影を浮かべている。
やめろ。そんな目で俺を見るな。武器なんか持ってないぞ俺は。
それだけでも身の潔白を証明しなけらばならないと思い、蚊の鳴くような声で言った。
「ライター・・・」
「ライター?」とタヌキはいい、足下にペンライトをかざし覗き込んだ。
「さっき落としたので・・・」
俺は両手を半分上げたまま、のけ反りながら足を上げた。
「ほら、そこにあるぞ・・・取れよ」
タヌキがブレーキペダルの奥にあるライターに光をあててくれた。
「取っていいんですか?」思わず聞いた。
動くな。と言われたからその通りにしているつもりだった。
「なんだお前、俺に取れって言ってんのか?」
「とんでもない。とんでもない。とんでもない・・・」
俺は慌てて運転席の下にもぐった。
運転席に座り直すと、「ほら見ろ」とタヌキが窓の外を指差した。
ふと見ると、サトミちゃんが連行されマンションから出てきた。
多分、客の部屋を出た瞬間に捕まったのだろう。
白いコート。襟のファーが揺れてる。
黒っぽい服装の刑事が二人、両側から腕を掴んでる。
黒に挟まれて、白いコートが一際浮かび上がっている。
彼女は下を向きながら、緊張した面持ちで歩かされていた。
サトミちゃんは、そのまま真横を通り過ぎて行った。
一度もこっちを見ない。見ろよ。こっちも同じだぞ。
――ああ。そういうことか・・・。
彼女は彼女なりに、俺が仲間だという事を気付かれないようにしたんだ。
そういう娘だ。
俺は窓を開けた。
「サトミちゃん!」
サトミちゃんは振り返り、こっちを見た。
俺は、助手席のタヌキを指差した。
サトミちゃんの顔がみるみる崩れて涙が溢れだした。
すると、二人の刑事が、
「ほら、行くぞ」
腕を強く引っ張ったので、サトミちゃんは転びそうになってつんのめった。
俺は瞬時にムカっときて、
「おい、やめろよ!」
と怒鳴りつけた。
が、刑事たちは無視して、サトミちゃんを抱えたまま連れて行き、2台前の黒いセダンに乗せた。多分覆面パトカーだ。
「落ち着け、落ち着け」と、タヌキが俺をなだめた。
「ま、女も抑えたからな。お前も逃げられんぞ。俺達は四谷署の保安課だ。今から前の車が出るから、それについて行け。四谷署に向かうぞ」
分かったよ。
俺は今、間違いなくパクられたんだ。と覚悟を決めた。
カーラジオからニュースが流れている。
「1991年1月17日未明・・・」
アナウンサーの声が聞こえてくる。
「多国籍軍はイラクへの攻撃を開始――」
最近のテレビ・ラジオはこのニュースで持ち切りだった。
俺にとってはどうでもいいことだ。前の車のテールランプを、ただ追う。
「ラジオのボリューム上げていいか?」とタヌキが聞いて来た。
俺は黙って、ツマミを回した。
車内にニュースの声が広がる。
無機質な声で、「空爆が――」「死者が――」とか言ってる。
タヌキは黙って聞いている。
「戦争だよ。戦争」ポツリと言った。
「何人も死ぬんだろうな」
「・・・はあ」
俺は所在なく返事をした。
「腕とか足とか千切れちゃってな。痛いだろうな。日本は平和でいいよな~」
ため息ひとつ吐いて、
「ふう・・・ああ、お前は違ったな。当分平和な日々は来ないぞ」
背中がゾクッとした。
「どうだ?」
顔も見ずに言う。
「早く取り戻したいか?日常を・・・方法あるぞ」
なんだ? どんな方法だ?
「四谷署に着いたらな」
ゆっくり言う。
「全部、喋っちゃえ」
俺は苦笑いして、その場を繕った。
「知ってる事全部な。知らないことは喋らなくてもいいからな・・・その代わり知ってる事は全部喋っちゃえよ・・・」
その後もタヌキは、ゆっくりとした口調で、何度も繰り返していた。
俺はその度に、愛想笑いをして終始黙って運転していた。
が、これだけ確認したくなって聞いてみた。
「あの~、自分は逮捕されたのでしょうか?」
「これは任意同行ってヤツだ」
タヌキはあっさりと答えた。
が、俺にしてみれば逮捕と任意同行の違いなんてはっきり分からない。
「なんだ逮捕じゃなくて任意同行か、それなら帰りたいから、帰ります」
と言って通じる状況じゃないのは分かる。
刑事ドラマでよく聞く「パクられた」という言い方が一番しっくりくると思った。
第1話 終




