6:再びの日常
ユウキのホームエリアから自室に戻った後も、タクトの心臓は落ち着かなかった。ベッドに横たわり、額のパッチを外しても、脳裏にはユウキの笑顔が焼き付いて離れない。そして、その笑顔の裏側に潜むかもしれない、未知の何かへの恐怖。
あのユウキは、一体何なのだろう?
現実で死んだ人間が、なぜVR空間に現れるのか?
しかも、自分の死を知らないかのように、生前と全く同じように振る舞う。
タクトはスマホを手に取り、ユウキとの過去のメッセージ履歴を遡った。他愛のないやり取り、ゲームの攻略方法、面白かった動画のURL。そこにあるのは、紛れもないユウキとの日常だった。しかし、その日常は、ユウキの死によって唐突に終わりを告げたはずだ。
現実の友人たちとのグループチャットも見た。そこでは、未だにユウキの死を悼むメッセージが飛び交っている。葬儀に参列したこと、ユウキとの思い出を語り合う声。これが「現実」だ。
混乱は深まるばかりだった。<オネイロス>のユウキと、現実のユウキ。どちらが、いや、両方知っているはずなのに、目の前の現象がまるで理解できない。
翌日、タクトは再び<オネイロス>にログインした。迷いはあった。もしかしたら、昨日の出来事はやはり自分の見間違いか、システムの不具合だったのかもしれない。だが、どうしても確認したかった。
ログインするとすぐに、ユウキからのメッセージが入っていた。
『タクト、今日こそ【アークロア・ウォー】やろうぜ!』
そのメッセージは、昨日タクトが現実での用事を断ったことなど全く気にしていないかのようだった。
タクトは少し躊躇しながらも、返信した。
『いいよ。何時くらいにする?』
『サンキュー!じゃあ、夕方くらいにいつものアリーナ集合で!』
いつものアリーナ。二人がよく対戦したり、協力プレイをしたりする場所だ。
約束の時間まで、タクトは他のエリアを彷徨っていた。人々の賑やかな声、きらびやかなネオン、現実には存在しないファンタジーな風景。この世界は、あまりにも魅力的で、だからこそ恐ろしい。全てが作られたものなのに、ここまで現実と区別がつかなくなるほどリアルに感じられる。
夕方になり、タクトは指定されたアリーナへ向かった。戦闘シム用のエリアは、広大な廃墟都市を模している。破壊されたビル群、横転した車両、そして瓦礫の山。
アリーナの集合場所に、ユウキのアバターが立っていた。カジュアルな服装に身を包み、ゲーム内アイテムである最新型ブラスターを肩に担いでいる。
「遅えよ、タクト!」
ユウキはタクトを見つけると、少し不満そうに言った。
「ごめんごめん」
「ま、いいや。早速行こうぜ!今日は絶対あのボス倒すから!」
ユウキは意気揚々としている。その様子は、やはり生前のユウキと何一つ変わらないように見えた。
二人はチームを組み、戦闘シムのミッションを開始した。ユウキの動きは俊敏で、ブラスターの扱いも正確だ。敵AIを次々と撃破していく。タクトもそれに続く。息の合った連携プレイ。何度も一緒にプレイしてきたからこそできる、阿吽の呼吸。
「タクト、右!そこ敵いる!」
「分かった!」
ユウキの的確な指示に、タクトは素早く反応する。
「ナイスキル!」
ユウキがタクトのプレイを褒める。タクトの口元に自然と笑みが浮かんだ。まるで、本当にユウキと一緒にゲームをしているみたいだ。いや、実際にしているのだが、その相手が「死んだはず」の人間であるという事実が、常に脳裏に付き纏う。
ゲームが進行するにつれて、タクトはユウキの言動に集中した。彼の声のトーン、口癖、リアクション。全てが生前のユウキと同じだ。あまりにも同じすぎて、逆に不気味さを感じる。
「あーもう!今の絶対バグだろ!敵の攻撃当たり判定おかしいって!」
ユウキがゲームの不具合に文句を言う。これも、よく見るユウキの姿だ。
ミッションクリア後、二人はアリーナ内の休憩エリアに移動した。自動販売機でバーチャルドリンクを購入し、ベンチに座る。
「いやー、惜しかったな!あとちょっとだったのに!」
ユウキは悔しそうに呟く。
「でも、前より確実に進んでるよ」
タクトはユウキを慰めた。
「だな!この調子なら、次こそいける!てかさ、タクトのあの動き、マジでどうやってんの?あの隙のない回避、俺には無理だわ」
ユウキは再びタクトのプレイスタイルについて尋ねる。
「あれはまあ、慣れかな」
タクトは曖昧に答えた。
会話は、生前と変わらず、ゲームやアニメ、最近あった面白いことなど、他愛のないことばかりだった。だが、その「他愛なさ」が、タクトには恐ろしく感じられた。まるで、ユウキは現実で起こった全てを知らない、無垢な存在であるかのように振る舞っているのだから。
ふと、タクトは現実世界でのユウキの最後の様子を思い出そうとした。アカリからのメッセージ。事故の状況。葬儀の雰囲気。
「……ユウキさ」
タクトは切り出した。ユウキがタクトの方を向く。
「ん?」
「最近……なんか変わったこととか、なかった?」
タクトは慎重に言葉を選んだ。現実での事故につながるような前兆はなかったか、<オネイロス>で何か異常な出来事はなかったか。
ユウキは少し首を傾げた。
「変わったこと?うーん……別に何も。いつも通りじゃね?」
タクトはユウキの顔を見た。本当に何も知らない顔をしている。
「そう……か」
タクトはそれ以上追求できなかった。もし、このユウキが本当に、現実のユウキの意識の断片やコピー、あるいは何か別の存在だとしたら、現実での死について話すことは、何か取り返しのつかない事態を引き起こすのではないか、という漠然とした恐れがあった。
ゲームを終え、ユウキは楽しそうに「じゃあまた明日な!」と言ってログアウトした。タクトは一人、アリーナに立ち尽くした。ユウキのアバターがグレーアウトし、「オフライン」と表示されている。
オフライン。その文字が、現実でのユウキの死を改めてタクトに突きつけた。
一体、何が起こっているんだ?
タクトは、共通の友人であるアカリに連絡しようかと考えた。ユウキが<オネイロス>に現れたことを話せば、彼女もきっと驚くだろう。そして、何か知っていることがあるかもしれない。
しかし、タクトは躊躇した。もし話しても、信じてもらえなかったら?精神的におかしくなったと思われたら?あるいは、もっと恐ろしいことに、アカリにもこの「ユウキ」が見えて、それが伝染するようなものだったら?
結局、タクトは誰にも話すことができなかった。この異常な状況に一人で向き合うしかない、と感じた。