3話:ゲートの向こう
――ガモとの出会い
サクが4歳の時。彼はいつも結界のギリギリを歩いていた。触れるたびに光るその境界線に手をかざし、輝きを楽しむのが当時の彼の趣味だった。
ある日、いつも通り歩いていたサクは、結界の近くで小さな魔物の赤ん坊を見つけた。辺りには割れた殻が散らばっており、生まれたばかりのようだった。
「おまえ、生まれたばかりなのかぁ?」
魔物はコクリとうなずいた。
「もしかして、言葉わかるのか?」
またもうなずく。
ちょうど湖で汲んできた水の入った瓶を魔物に差し出すと――
「キィィン!!」
魔物は喜んで一気に飲み干した。
「おぉ、そんなに嬉しいのか」
サクはニコリと笑い、「水飲み場を案内してやるよ」と誘導すると、魔物はまるで親鳥についていく小鳥のように、ちょこちょこと後をついてきた。
湖に着くと、魔物はすぐさま水浴びを始めた。
「いいなぁ、俺も入りたいけど……お母さんに禁止されてるんだよな」
魔物は水浴びに飽きたのか、突然サクの服の中に潜り込み、そのままぐっすり眠ってしまった。
「そういえば、まだ名前をつけてなかったな。ま、明日考えるか」
サクは服を脱ぎ、魔物を湖のそばの大木の下に優しく置いた。
翌朝、サクはこっそり家から美味しいパンを持ち出し、魔物の元へ向かった。
「おーい、美味しいパン食べるか?」
しかし返事はない。
「もしかして……湖か?」
案の定、魔物はまた水遊びをしていた。だが、パンの匂いに気づいたのか、サクの方へ駆け寄ってきた。
「食べるか?」
魔物は嬉しそうにもぐもぐとパンを食べ始めた。
「そうだ、名前をつけよう。よし、『ガモ』にしよう! どうだ?」
その瞬間、魔物の体が柔らかな光に包まれた。兎型の魔物に、淡い輝きが揺らめき、まるで祝福を受けたかのように、その姿が僅かに変化する。
――ガモは【サクの大親友】という称号を得た。
その力が働いたのか、ガモの瞳に知性の光が宿り、口を開く。
「……サク、ありがとう」
言葉が、魔法が、ガモに宿った瞬間だった。
「ぎょえぇぇぇぇ!! しゃ、しゃべったぁ!?」
こうして、サクは新しい友達を得たのだった。
―――
サク、エリオ、ガモは未知なる地に足を踏み入れた。
ひとまず夜が明けるまで、扉の中に戻ることにし、エリオとガモはぐっすりと眠りについた。
しかし、サクはなかなか眠れず、静かに外へ出る。
澄んだ夜風が頬を撫で、月の光が穏やかに降り注ぐ。
月の光を浴びながら、サクは考え込んでいた。
手元の地図を見つめる。月明かりに照らされた紙の上、大きな山、それを囲うように流れる川。そして、木の実や建物の形をした記号。月と太陽の紋章があった。
「……なんだこの紋章」
あんなに楽しみにしてた、神殿には行きたくなかった。行けば、本当にもう戻れなくなる気がしたから。何もかもが変わってしまいそうで、怖かった。
でも――それでも、行かなくちゃならないんだろう?
「……はぁ、父さん、母さん……どうしたらいいんだよ。」
絞り出すように呟いた。
答えはない。月だけが、静かに夜を照らしている。
次の瞬間、視界が滲んだ。
温かいものが頬を伝い、ぽとりと地図の上に落ちる。紙がじわりと濡れて、滲んでいく。
「……っく、くそ……」
涙が止まらなかった。
――日が昇り、朝になった。
肌寒かった夜が嘘のように、陽の光が大地を温めていく。
「とりあえず、今必要なのは……食事だ。みんな、こっちに来てくれ。」
サクがそう言うと、エリオとガモは顔を見合わせ、無言で頷いた。
父さんの書いた地図――そこには、木の実が採れる場所や、その周辺の特徴が詳しく記されていた。
「実は夜、この記号のところに行ってみたんだが……驚いたぞ。まるで低級魔物のために作られたオアシスみたいだった。」
「オアシス?」エリオが目を丸くする。
「ここで少し木の実を分けてもらう!!」
近づくと、色とりどりの木の実が鈴なりに実っていた。みずみずしい果実の甘い香りが鼻をくすぐる。「おいおい、サク! ここは楽園じゃねーか!!」
ガモが興奮気味に木の実をもぎ取る。
「これなら、しばらくは安心だね。」
「……待て。」サクが鋭く辺りを見回した。
気づいた。
小さな魔物たちが、遠巻きにこちらを見つめている。怯えた目をして、じっと息を潜めていた。
「……悪いな、ここは魔物たちの住処だ。あんまり長居するのは良くない。ある程度集めたら、すぐに出発するぞ。」
サクの言葉に、エリオとガモも静かに頷く。
俺たちは、カラフルな木の実を鞄に押し込んだ。一方、ガモは――
「……あいつ、魔物と喋ってる?」
ふと見ると、ガモが小さな魔物たちと何か会話をしていた。魔物たちは、少しずつ警戒を解いているようだった。
「魔物とも話せるのか?」
いや、逆か。そもそも人間の言葉を話せるガモの方が異常なのかもしれない。
「ガモ、行くぞ。」
サクが声をかけると、ガモは名残惜しそうに魔物たちに手を振った。
最後に、俺たちは魔物たちに軽くお辞儀をし、静かにオアシスを後にした。
そして、歩きながら、説明し、神殿に向かうことにした。
歩みを進めるごとに、靴底がしっとりと湿る。小さな川を渡ると、ガモはお構いなしにバシャバシャと水をまき散らし、サクとエリオの顔にも飛沫がかかった。
「おい、やめろって!」
「ははは!水浴びもたまにはいいだろ!」
そんなやりとりの中、ふと降り出した雨が次第に勢いを増していく。結局、三人は近くの洞窟で雨宿りをすることになった。
しかし――。
「……兄ちゃん、ごめん……俺」
エリオの顔が青ざめ、肩で息をしていた。
「おい、大丈夫か?」
「……たぶん、ちょっと休めば……」
サクは眉をひそめ、ガモと目を合わせた。まずは食料だ。エリオを休ませるためにも、腹を満たさなければならない。
二人は、食料を探しに行った。多分、肉系がいい、だから、スタミナ、免疫が落ちたんだ。
サクは、雨が降る中、魔鹿を見つけた。雨の音でこちらに気づいてない。これは、チャンスだ。
「――捕縛せよスパイダーネット」
サクの詠唱とともに、狩り魔法が発動する。瞬時に編まれた光の網が宙を舞い、見事に魔鹿を捕らえた。
一方のガモは、近くの川で魚を手づかみしていた。
魔鹿は血抜きの必要がない。魔鹿の主食、魔素を大量に含む、草を食べている。魔素を体内に循環している。因みに魔鹿は結界内にも生息していたから。たまたま詳しかったのだ。
スープにしたいから、足の部位がいいだろう。包丁はないが、先ほど、ガモが包丁のような魚を見つけ、それで代用している。名をつけるなら、刃魚かな。
鞄から小さな器と鍋を取り出すと、ガモはすでに動き出していた。
手際よく川辺で魚を仕留めると、周囲の木々から乾いた枝や落ち葉をかき集め、掌をかざす。
「――燃えよ」
呟いた瞬間、淡い橙色の魔法陣が空中に浮かび、次の瞬間にはパチパチと焚火が燃え始めた。
「よし、あとは煮るだけだな」
ガモはにっと笑い、鮮やかな手つきで魚の鱗を落とし始めた。その横顔には、旅慣れた者の余裕が滲んでいる。
サクは器を手にしながら、炎に照らされた鍋をじっと見つめる。
(こうやって火を囲むのは……悪くないな)
夜の冷たさを忘れるような、静かで温かい時間だった。
「おい、エリオ。鹿肉と木の実のモモレンジのスープができたぞ。それと、お前の好物、金サバに似た銀サバだ。」
ふらつきながらも、エリオはゆっくりと口を開け、もぐもぐと食べ始める。
――よかった。ちゃんと食欲はある。これであとは、しっかり眠れば……。
そんな安堵の中、ガモが洞窟の奥から駆け戻ってきた。
「おーい、サク!いいもん見つけたぞ!」
誇らしげに掲げたのは――衣類だった。
サクは眉をひそめる。
「……おい、まさか、人から奪ったんじゃないだろうな?」
ガモは慌てて首を振る。
「ち、ちげーよ!落ちてたんだって!」
「そんな都合よく、衣類が落ちてるか?」
サクの疑念をよそに、ガモの表情がどこか強張った。
「……いや、それがよ。色んなもんが散らばってたんだ。それだけじゃねぇ……悲鳴が聞こえて、怖くなって逃げちまったんだよ。」
――!!
サクの脳裏に嫌な予感がよぎる。
「……そこはどこだ?」
冷たい雨が降りしきるなか、俺たちはガモが言っていた場所へと足を踏み入れた。道の上には無残な死体が散らばり、血が雨水と混ざり合い、どす黒い水溜まりを作っている。
「……馬車?」
無惨に壊れた馬車の残骸が目に入る。貴族か、商隊か――そんな考察を巡らせた瞬間、奥から悲鳴が響いた。
「お嬢様、お逃げください!! きゃあああッ!!」
声の方向を見ると、小柄な人影が複数、濡れた草むらの間を動いていた。ゴブリンか……。母さんが昔、絵本で読んでくれた低級モンスター。だが、目の前の奴らは想像よりもはるかに貧弱そうだ。これなら――いける。
足元に転がっている騎士の死体。その傍らにあった剣を拾い上げ、柄を握り込む。刃先は雨に濡れ、光を反射して鈍く輝いた。俺は低く息を吐き、そっとゴブリンの背後へと忍び寄る。そして――
シュッ――ザシュッ!!
鋭く閃いた剣がゴブリンの首を断ち切り、濁った悲鳴が雨音にかき消される。飛び散った血が地面を濡らし、無惨に転がる亡骸が戦場の静寂を際立たせていた。
(……弱いな。なぜこんなにも騎士がいて負けたんだ?)
足元には鎧姿の死体が無数に横たわっている。まともに戦えば負けるはずがない戦力差。それなのに、彼らは敗北した──まるで、見えない力に絡め取られたかのように。
謎が渦巻く中、俺は剣を持ち直した。滴る血が雨水と混ざり合い、冷たい風が肌を刺す。
「……あの、お嬢さんとお姉さん、大丈夫ですか?」
雨に濡れた金髪が肩に張りつき、透き通るような青い瞳が俺を見つめる。その隣には、気品がある女性立っていた。
「……その、ありがとうございます。アンジュ、なにかお礼を」
「かしこまりました。お嬢様」
突然、金貨を渡された。
「えっと……なんで金貨を? いや、助けたことに礼を言われるのは悪い気はしないけど……」
「私たちの習わしなのです。助けられたら、必ずお礼をする。これが礼儀ですわ」
彼女は微笑みながらそう言った
「それより……雨の中、こんなところで立ち話をするのもあれですし、近くに洞窟があるので、そこで話しませんか?」
「ええ、でも……驚かないでくださいね?」
「ん?」
二人は顔を見合わせる。そして、少し間を置いてから、小さく頷いた。
「紹介します。この寝ているのは俺の弟、エリオ・ギガンディール。そして、その兄である俺がサク・ギガンディール。で、こっちが友達の魔物、ガモといいます……」
「よろしくな!! 好きに座ってくれや!」
二人は不思議そうにガモを見つめていた。
その視線には、はっきりとした疑問が滲んでいる。
——なんで喋ってるんだ、この魔物は?
まるでそんな言葉が今にも口をついて出そうなほどの驚きを隠せずにいた。
改めて、見ると綺麗だ。いや本当に...
透き通るような桜色の瞳が、涙に濡れながらもじっとこちらを見つめる。
金とピンクの混ざった髪が風に揺れ、彼女の儚げな雰囲気を一層際立たせる。彼女が纏うドレスは、幾重にも重なったバラの花びらで織り上げられたかのように美しく、深紅と淡いピンクが入り混じる優雅な色合いをしている。
じっくり見つめていると、その眼差しに動揺したのか。
「わ、私は……リリア・フロレア。花の王国フロレアの……王女です」「私は、メイドのアンジュと申します。先ほどは助けていただき感謝しています。」
サクの目線はドレスに釘付けなのがばれたのか、リリアは恥ずかしそうに目を伏せる。
「……このドレスは、王族だけが身に纏う“フルール・ロゼ”と呼ばれるもの……私たちの国では、花と共に生き、花と共に祈るのが習わしなのです...」
彼女がそっとスカートの裾を持ち上げると、小さなバラの蕾がほころぶように広がり、淡い香りが周囲に広がった。
それはまるで、彼女自身が一輪の薔薇の化身であるかのように幻想的だった。
「……あの、改めて……本当に助けてくれて、ありがとうございます」
リリアはそっと頭を下げ、花のドレスを揺らしながら、サクをまっすぐに見つめた。
その瞳に浮かぶ感謝の光は、どんな花よりも純粋で、まっすぐだった。
「エリオ様のお体調すぐれないみたいですね。よかったらこの薬、お使いください。」その手に水の入った瓶、よくみると赤い薔薇の花びらが浸っていた。
サクは思わず、少女の手を握ってしまった。雨に濡れたその手は冷たく、微かに震えていた。
「あ、すみません。その……薬、遠慮なくいただきます」
少女が差し出した小瓶を開け、エリオに飲ませる。途端に、彼の顔に微かに血の気が戻り、表情も安らいだ。
(……よかった。)
雨上がりの空には、名残惜しそうな虹がかかっていた。
サクは小さく息をつき、優しく微笑んだ。
「ありがとうござます。この恩は絶対に忘れません!!」「そんな、おやめください。ただ、お力になりたかっただけですよ本当に...」その頬は若干、赤く染まっていた。
「ありがとうございます。この恩は絶対に忘れません!」
「そんな、大げさですよ。それより、サク様は、どうしてこちらに?」
「えっと……実は神殿に向かってまして。」
リリアより先に、アンジュが驚いたように声を上げた。
「神殿って……あの? まさか、もしかして……貴族の方ですか?」
その瞬間、ガモが小さな声で囁いてきた。
「いっそ王族ってことにしちまおうぜ。」
「そんな無責任なこと言えないだろ……ッ!!」
小声で言い合うサクとガモをよそに、エリオは目を閉じたまま静かに横たわっていた。……が、実はもう完全に回復しており、二人のやりとりを聞き逃すまいと、密かに耳を澄ませていたのだった。
適当にあしらい、「あの、まぁ、はい」「子供二人に使い魔一匹...きっと深いわけがあるのでしょうね。」なぜかアンジュさんの目に水が溜まっていた。そして、リリアは顔を真っ赤にしていた。
変な雰囲気になっていたので話を切り替えた「あの、ここについて教えてくれませんか。」
俺たちに対していくつかの疑問を抱えているようだったが、それでも親切に答えてくれた。
ここは【フィオレ=ルメア】と呼ばれる花の大陸。その中には八つの王国が存在し、【フルール・オクタリア】と総称されている。そして、今俺たちがいるのは、そのうちの一つ、彼女の父が統べる花の王国フロリアの外れ。馬車なしではたどり着けないほど遠く、人が寄りつかない森――【ファウトゥー大森林】
このファウトゥー大森林は前人未踏の地とされ、リリアもまた、この奥深くに眠る神殿を探していたという。その途中、魔物に襲われたらしい。
花の王国フロリアだけが、神殿が見つからず、自然エネルギーを扱う者がいないのだという。そのため、他国から軽んじられ、王である彼女の父は苦悩していた。そして、リリアはそんな父の力になるため、神殿を求め、この未踏の森へと足を踏み入れたのだった――。
「リリアはどうしてここに神殿があると思ったの?」
確かにここにはある。
「フロリアは太古から、ある図書館でそこから見つけたんです。この大陸の歴史の本を。」
そこには――
「この地にかつて、花と生命を司る神がいた。
その神は、長きにわたる戦乱の世において、民の身を守るために八つの国へと加護を授けた。
同時に、その力の大半を八つの地に分け与えたという。」
サクは手元の地図を見つめ、静かに息をのんだ。
(きっと、この神殿のことだ……)
という記述があったんです。でも、それだけじゃありません。その神殿は、
「花の加護を受けし王が、己の血脈と共に定めた”とも……」
リリアの手の中には、古びたヤギの紙の一部が握られていた。採れた文字は読みにくいが、確かに何かが定められたという内容が書かれている。
「私は信じています。フロリアに神殿がないのではなく、定められているのだと」
彼女の瞳は真っ直で、迷いがなかった。その言葉に、俺は思わず息を呪んだ。
どかで見たことのある、それは最後に見た父の目だった・・・・・
「もし、サク様が神殿ある場所を知っているのなら、お願いします、教えてください!!」
リリアが頭を下げると、アンジュもそれに合わせた。
「頭を上げてください。それでは、明日の朝から行きましょう、別に構わないだろう? エリオ」
「なんだ、気づいてたんだ兄ちゃん…うん...僕は構わないよ」「たくっしょうがねぇなぁ俺もいいぜ!」
なぜガモも了承した、必要ないのに
そして翌日の朝に出発することになった……。
――夜
夜の帳が静かに降り、森の中に淡い月光が満ちていた。冷たくも優しい銀の光が、二人の影を淡く映し出す。風がそっと木々を揺らし、遠くで囁くように葉擦れの音が響いていた。
リリアはふと足を止め、そっとサクの前に立つ。その瞳には、揺るぎない決意と、隠しきれぬ一抹の不安が滲んでいた。
「サク様……もし、事が無事に終わったら……フロリア王国に来ていただけませんか?」
夜風がそっと彼女の髪を揺らす。
サクはその問いに、ほんの一瞬だけ息を呑んだ。だが、次の瞬間には、微笑みを浮かべ、静かに言葉を紡ぐ。
「そうですね……フロリア王国のことを、もっと知りたいです。君のことも……」
リリアの頬が、ふわりと朱に染まる。月の光がその横顔を優しく照らし、淡い光彩を帯びる。
「え……それは……」
言葉を紡ごうとするが、胸の鼓動が早まりすぎて、それ以上が続かない。
静寂が流れる。
夜の空気が、二人の間に甘やかな余韻を残していく。
──サクは気づいていなかったが、この瞬間、彼は一人の少女の心を完全に奪ってしまったのだった。