乙女の役どころ
乙女の役どころ
栄作は、とにかくショックの色を隠しきれなかった。なんせ、あの原稿は彼なりにいい具合に仕上がったと思っていたわけであるし、それなりに仕事のやり甲斐ってものを感じ始めてきたわけであるのだから。
それをなんだ、あのバカ課長のやつ。あんなわけの分からないイチャモンなんかつけてきやがって。難クセばっかつけてきやがって。いっつもいっつも俺のことばかり目の敵にしやがって――。
彼は、おもむろに無抵抗の床を蹴りつけた。思いのたけ靴底を痛めつけた。そして何度も何度も汚い言葉を吐いた。
靴底を叩きつけると、なんとも豪快で高揚感のある連続音が営業部内に響き渡るのだが、それは軽妙で人の心をウキウキさせる行進曲やタップダンスのリズムとは程遠く、あまりに虚しく物悲しいものだった。
栄作は波打つ心もそのままに、しばらくその場で踵を鳴らしていたが、よほど一気に体力を消耗したせいで、いきなり膝を上げるをやめ、肩を落としてうな垂れてしまった。そしてヨチヨチ歩きで自分の席に戻り、どかっと椅子に腰を下ろすと、ふぅーっと力のない溜め息をついて背もたれに体重を預けた。やがて虚脱感が体中をくまなく席巻してくると、だらりと両腕を下ろし、薄ぼんやりとした目で企画営業部の天井を仰ぎ見た。
するといきなり、
「はい、栄作くん」
いつもにこにこ、愛嬌のあの字も忘れた事のない奥田三代子ちゃんが、栄作の席に寄ってきて、
「お茶どうぞ」
と、湯気の立った湯のみをデスクの隅っこの方にトンと置いた。
「あ、ありがとう。三代ちゃん……」
栄作は、まるで不意討ちをくらった若侍のような真ん丸い目しながら首をねじった。椅子の背もたれが黒板を引っ掻いたような音をたてて言葉を遮る。
「大変だね。栄作くんの仕事」
彼女は、肩肘の当たらない間隔を保ちながら端末の画面を覗く。
「ああ、ちょっとね……。でも慣れない事なんて引き受けるもんじゃないよ。引き受けて失敗だったよ。ホント大変なんだもん」
栄作は恨めしい表情で端末を睨む。
「あら、そう? だって栄作くん、結構いい感じで高科課長に褒められてたじゃない。お昼までいいものご馳走になっちゃってさ。きっと才能あるのよ」
「何言ってるんだい三代ちゃんは。俺なんかさっきあのバカ課長に“できない子”の烙印を押されたばかりなんだぜ」
「そんなの、言葉の綾よ」
「“あや”? そんなわけあるかい。あれは他人を貶める言葉だよ。間違いない」
栄作は次第に鼻息を荒くし、
「間違いなくあれは俺を嫌っているんだよ。うん。あん時の言いようは言葉の綾、なんてもんじゃない。ああやって若い芽を潰そうって躍起になっている……そういうヤツなんだよ」
彼の言葉は、いとも歯車が噛み合ったようにポンポンと飛び出す。
「そうかなぁ……」
三代子ちゃんは、艶のある唇をやんわりと尖らせながら、小首をかしげたまんまで給湯室へと消えていった。
栄作は、彼女のほっそりとした後ろ姿をみるや、
(やっぱり三代ちゃんは何も分かっちゃいない)
即座に脳内で言葉を走らせる。君には何にも見えちゃいない、といった感じで。そうさ、君は何にも分かっちゃいないんだ。あんな野郎のことなんか。あんなふざけたロートル(※)バカ課長のことなんか。あんな傲慢で自分の事しか考えていないド腐れ野郎のことなんか。
嗚呼、恋する乙女は盲目すぎて――。




