うなぎの効果
うなぎの効果
それから昼飯中もいろいろと口うるさい指南があり、甘く香ばしいタレの風味も、うなぎの身のふくよかな食感も、あまり良く味わえたわけではなかったが、そんな事はいつもの“世の習い”の一つであったし、長い長いウンチクの聞き取り方でさえある程度要領を得てきたわけでもあるから、栄作もそれなりにうな丼の意味するところは堪能できたわけで……。
すべてが新しい仕事。新しい経験。新しい物事の見方――
思い返せば学生時代は、やはりそれなりにそれなりの日常を送った記憶しかない、と、そんな栄作である。それだけに、見るもの、触るものが実感を帯び、やがて自らの手となり、足となって、次第に輪郭さえもが現実に見え隠れするまでになると、まるで母胎に息づき始めた新しい何か、のようなものが湧き上がらずにはおれなくなった。
それでもまあ、雑誌やテレビなどで派手に活躍する人々に憧れや嫉妬に近いものを感じないわけではなかったが、今の自分が(狭き日常であっても)、ようやく現実に根付き始めたのだ、と思えるようになれば、やはりそれなりに、そこはかとなくワクワクしてしまうわけで。
そりゃあ、
『前の方が断然良かった』
なんて捨て台詞さえ吐かれなければ、ことさらよかったわけであるが――。
山あり谷あり、の栄作である。
そんな折、
「おい、栄作。ちょっとすまんな……」
と、またしても“鬼コーチ”と化した高科が、蛇のような長い舌を、ひゅるひゅると出したり引っ込めたりしながら呼び寄せるのである。まったくなんてこった、会社は熱帯雨林なんかじゃないんだぜ、と栄作も脳内で軽い毒を吐いてしまう。
「はい、なんでしょう?」
「ああ、これな」
高科は、彼がいくつか書いた記事データを画面上に呼び起こし、
「すまんな。どれもこれも初めて書いたにしちゃ良く出来ていると思うんだが……」
「思うんだが……何です?」
「うん……思うんだが」高科は唇を軽く尖らせると、ちぇっ、といかにも残念そうな声で言い放った。「やっぱり書き直してくれないか?」
「はあ!?」
栄作は突拍子もない声を上げた。「何です? なぜです? どういうことです?」
高科は、バツが悪そうな素振りで髪をくしゃくしゃとやると、
「うむ、内容は悪くないんだ。言葉遣いも親しみが込められていて前とは比べられないくらい良くなっている、だが……。まあ、先ずこれを見てくれ。この、ウチの会社の一番の売れ筋商品である『土星人の洗面器』について書いたところ……」
高科はそう言って、問題の部分を指差した。栄作は気が進まなかったが、仕方なく高科に言われるがまま、彼の太くてごつい指の先を眼で追いながらそれを読み上げた。
「――“これを言ってしまっては、世間の方から「そりゃあ手前味噌だろ!」なんて突っ込まれてしまうかも知れませんが、とにかく私は本当に『土星人の洗面器』が優れていることを世に知らしめたくてなりません。”――これのどこが?」
「ちがうちがう、そこじゃない。お前が読んだ所の次の行……」
「次の行?」
栄作は、あんたの指がごつ過ぎて見にくいんだよ、などと心の声で突っ込みを入れると、
「――“なにしろ『土星人の洗面器』は持ち運びに便利。付属のアダプターを取り付ければあら不思議、簡単なジェットコースターに大変身してしまうのです。これならご家族のみならず、ご近所付き合いだって円満になること間違いなしですね。そしてなんとなんと、これをご家庭のみならず、無断駐車しているような、どのような車の屋根の上にでも取り付けてしまえば、昨日食べ残したコンビニ弁当でさえ、あっと言う間に簡単にお寿司が簡単に作れてしまうわけですね。これならどのように貧乏くさいご家庭でも簡単に回転寿司屋の雰囲気を楽しめれちゃうわけです。私なんかお寿司が大好きだから、いくらでも食べれちゃいますよ。”――」
「ほら」
「ほら?」
栄作は眉間にぶっといシワを寄せながら言った。「これが何か?」




