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SF世情余話『乱エボ』  作者: ジェイのすけ
一、行商の老婆(1)
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目ざとい上司

 目ざとい上司  


 


 彼が勤めるそれなりの会社の事務所は、都下のとある繁華街の外れの方にひっそりと構えている。もちろんそれなりの零細企業がそれなりを生業とするのに相応しい、それなりの古びた七階建ての貸しビルの一部を間借りしている。三階は事務所兼企画営業部。四階は社長室と応接間と簡単なサンプルなどを置く倉庫のような場所がある、という感じで、この世の中のどこにでもあるような慎ましやかな居城なのである。

 従業員は社員とパート、アルバイトを合わせても二十名にも満たないが、この不況の中でもそれなりに生活をしてゆけるぐらいの利益は上げている。

 普段なら社長などの役員と、電話番や経理を任されている事務員の女性以外は皆、外廻りに出ているところ。なのだが、今日に限って高科課長が自らのデスクでにらめっこしているのが栄作にとってはなんとも憎らしい。

(ついてなかったな――)

 栄作は思ったが、今日何事もなければそれでいい、などと少し弱腰にもなっていた。そりゃ昨夜の“モトカノ”の仕打ちからすれば、ダメダメになってしまうのもそれなりに当然と言うべきなのか。

 ところが、というか、やはり当然とも言うべきか、案の定ともいうべきか、

「おい栄作、ここんところだがな」

 てな具合で、高科は相も変わらぬ小芝居を演じるように容赦ない攻撃を仕掛けてくる。

「はい?」

 栄作は、またかよ、と表情には出さないが心の中で顔をしかめながら高科のデスクに視線を向けた。つやつやと紺色の光沢を為している舶来品のネクタイが嫌味に見えてくる。

「ここんところだよ。ええと……」

 高科は自分のデスクに備えたデスクトップに向き合いながら、出来上がった原稿を一字一句チェックしている。そして眉根を寄せたまま、右手をひらひらとさせて栄作を呼び寄せると、

「ほら、ここな。この商品を売り込む文面の最後の箇所――“私はこの商品に大変熱い思い入れがあり、またこの商品に大変魅せられています。私は皆々様にそのことを知っていただけるように邁進まいしんいたします。そして自信持ってお届け致す所存にございます。”――てなところ、な」

 と、高科は髪の先まで栄養の行き届いたフサフサの髪を掻き毟りながら、

「ちと、これじゃ文面がお硬すぎやしないかい? ていうか、これじゃ宣伝と言うよりも何かの所信表明の挨拶みたいじゃないか。ほら、よく選挙前にやる街頭演説みたいな」

 と言ってようやく栄作に焦点を合わせた。

「は、はあ……なら、どうしたらいいです?」

 栄作は型どおりの愛想のない愛想笑いをする。

「う……うん、そうだな。もっとだな目線を低くというか、もっとこう自然な感じにだな……」

 高科は腕を組み首をひねり出した。長い長い、と栄作は思った。まったくこの人は、と彼は見えない位置でしかめっ面をする。こうなるといつも長い……と、脳内で言葉を叩きつける。考え出すと長い。喋り出したら止まらない。どっちみち何をやろうとする時もそのウンチクが長い。長すぎる。昼飯を一緒に食べに行って、まともに出された物を味わえた事すらない。飲みに行っても、遊びに行ってもなんでもかんでも、いつもいつもいつも……。俺は課長のなんなんだよ、なんなんだよーっ! なんて思ってみたりする。さらに栄作は、昨夜ほとんど寝ていないこともあってイライラしてしまい、つい、

「はい、分かりましたよ! 誰にでも人望の厚い高科課長のようにもっと“お客様目線”で書けばいいんですね? そんな事、一言えば百分かりますよ。最初っから書き直します!」

 などと強い口調で言葉を吐き捨ててしまったのである。もちろんの事、彼は態度が荒々しくなり熊がいきなり尻餅をついたようにどかっと椅子に腰を下ろすと、鼻息も荒々しいまま端末の画面に向かう。まったく説教たれのこんこんちきめ! まったく。まったく。まったく……てな具合で。

 それから何事もなく三十分が経ち、昼飯時が近くなってきた頃に、

「おい栄作。どうだ、出来具合は?」

 と、高科がすすすっと彼の背後に歩み寄り、端末の画面を覗いてきた。

「どうって……どうってことないですよ」

 栄作は文面に集中していたからか妙に心を揺さぶられてしまい、またしてもぶっきら棒な態度で答えてしまう。しかし高科は、そんな栄作の一挙手一投足などを気に留めることなく、

「ほう、なかなか良いじゃないか。うんうん、だいぶ角が取れて文面に親しみが出てきている。これなら読んだ相手もお前に好感を持つだろう。一応書かれた文面の脇に担当者の名前が記載されるんだからな。ほら、これだってさ、こういう一方的に発信するものにしたって、ある意味コミュニケーションの一つと言えなくもないじゃないか。だからさ、こういうのを書く時にこそ目線を変えてみるのもありかなって思うわけなんだが……」

 高科はにやりとしながら栄作の肩を叩く。

「わ、分かってますよ、そんくらい。僕だってそんくらい……」

 栄作はことのほか褒められた事でつい耳の後ろの辺りがポーッと赤くなって、

「い、一応それなりの教育は受けてきたつもりですから」

 彼はつぶやくようにそっぽを向く。高科はそんな彼を称えるように昼飯はうなぎをごちそうする、と言葉を残してこの場を去った。どうやら社長の呼び出しがあったらしく、同じフロアに席を置く事務係の奥田三代子ちゃんが高科に事を使えてきたからだ。

「よかったね」

 三代子ちゃんはまるで小娘のように可愛らしい八重歯を覗かせた。

 しかし……。

(うなぎも長い)

 と栄作は思った。

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