意外な世界
意外な世界
高速エレベーターは直通ではなかった。一度10階のターミナルホールで乗り換え、また目的の場所へ送り届けるエレベーター前でカードを差し出し、個人認証を行う。そして〔アフォート・ホテル〕がテナント借りをする24階へと向かうのだ。備え付けのエレベーターは十基あり、それぞれがそれぞれの目的の場所へ繋がっている。彼ら二人はホテルの若い女性担当係の案内で24階行きのエレベーターに乗り込んだ。
〔アフォート・ホテル〕は日本のホテル業界でも中堅どころである。まさしくそれなりにそれなりの格式を持つホテルである。建物は45階建てだが、当ホテルは24階から40階を間借りしている。また不思議にもまるで市街地の駅構内を思わす10階ターミナルホールの雰囲気とは打って変わり、ホテル専用の直通エレベーターは床面積にして五坪ほどもあろうか豪華なものだった。そこに足を踏み入れると、思わず靴底が目深にめり込んでしまうほどふかふかの絨毯の洗礼が待っていた。いくら国営の巨大テナントビルの一画を間借りしようと、やはりそれなりにそれなりの格式ばった調度品があちこちに目に付く。エレベーターの中だというのに大きな額縁が飾られており、エレベーターのドアが開いた途端、突如額縁の中に彩られた紅葉に燃える風景画が山下刑事の冷めた視界に飛び込んで来た。
付き添いの担当係の話によると、この絵は季節ごとに内容を変えるという。今は秋口なので、やはり礼節どおり秋がテーマなのだろう。大きな額縁の左下にはロココ調の細工が施された台の上に、深い色合いをした土気色の焼き物が大地に根を下ろすかのように置かれている。そこに一片の澱みもない水がなみなみと注がれており、うなるように存在感のある大きく穂の実った葦が三本、額の下方を軽く覆いつくすように活けてある。それはまるで晩秋の枯れ野を想起させる見事な演出であった。
山下刑事は、思わずあっと声を上げて賛辞を述べそうになった。が、つい辺りをもう一度見渡しゴクリと唾を飲み込んだ。彼はこういったものについて述べるのに自信がなかった。やはりそれなりにそれなりの道を歩んできた山下刑事である。それなりの高校生活を送り、親の薦める大学へも行かず、無軌道に荒れていた彼であった。が、ある事が切っ掛けになり公務員試験に挑み、ようやく何かに目覚めるように警察学校の門を叩いた。
しかし、彼はある地方の警察の地域課の交番勤務で数年を経たとき、突如この〔メソッコ〕へと徴集された。右も左も分からぬ状況に彼は大分苦労したが、組んだ相手が良かったものか、どうにかこの地にも慣れ、捜査のノウハウも身につき始めたというわけだ。
しかし彼のような、何の実績もない一巡査が、この〔メソッコ〕に徴集された背景にはこういった経緯がある。この人工都市が新設された当初から警察活動はすぐさま、新組織〔東京メソッド方面本部〕が受け持つようになった。しかし、その内容はあまりにも過酷を極めるものであり、殉職者も後を絶たず、挙げ句病症を理由に退官する者も少なくなかった。そこで地方の県警などの上層部は、せっかく育て上げた人材をそんなものの為におしゃかにされてしまってはいかぬと言う事で、(あまり良い言葉ではないが)人事的にも新しく、過もなく不足もない人物に白羽の矢を立て、国から徴集要請があった人員分だけこの〔メソッコ〕に送り込んだ、という次第だ。山下刑事とて上層部の思惑など十二分に了解していたが、生来反骨心が強い男なだけに、一丁一花咲かせて見返してやろう、という気概を見せてこの徴集に快諾したのであった。そして何の因果か今現在は、神谷警部補に尻を叩かれつつ、この地に足を根ざしつつ、ロボット犯罪に追われる毎日なのである。
やはりそういった経歴を持つ無骨な者が、この場面で世辞を述べるなどいささか気恥ずかしい。まして山下刑事には、この絵がどの国のどの風景を描いたもので、どの年代に描かれた物かさっぱり分からなかったし、これが油絵なのか水彩なのか、ましてや本物なのか贋物なのかさえさっぱり見当がつかない。活けてある草花でさえ葦であることは理解できても、それ以上に生け花などと風雅なものに対してどう愛でて良いのかわけが分からぬ次第である。
まして上階では殺人事件が起きているかも知れぬというのに――。
相変わらず神谷警部補は掴みどころのない笑みを浮かべながらだんまりを決め込んでいる。ここで案内役に賛辞を述べれば、この老賢人はなんと思うだろうか? よもや、おべっかとも受け取られるかも知れぬのだ。相手が若くて奇麗な女性担当係なだけに……。
そうこう考えるうちにフロントが待ち構える24階に着いた。案内役の女性に手招きをされるまま降り立つと、黒い燕尾服に身を包んだ給仕に丁寧に向かい入れられた。彼は一旦軽い会釈をし眼前を仰ぎ見れば、これまた煌びやかなシャンデリアと下界の風景とは似つかわしくない調度品の数々に圧倒される。山下刑事はおお、と思わず唸りの声を上げてしまった。
「またここに来る事になろうとは、思わなんだよ」
ここに登って来る際、口を利かなかった神谷警部補が懐かしむように辺りを見渡した。
「え、ガミさん……こ、こんなところに来たことがあるんですか?」
山下刑事は老賢人の意外な一言に再び驚嘆の声を張り上げてしまう。