海上の別世界
海上の別世界
ひしめくような摩天楼の谷間は、まだ午後の二時前後だというのに物憂げにセピアカラーの光線に彩られていた。いくらこの〔メソッコ〕が巨大建造物として名を馳せていたとしても、いささかやり過ぎな感が否めない。地上45階建て前後の高層建築物が矢を立てたように肩を並べる。それはまるで使い古された剣山のように錆びつき、黒ずみ、異様な臭いを解き放っている。その剣山の奥底には、終日と言ってよいほど日の光は届かず、人の声も届かず、まるで誰の意思さえも遮ってしまう息苦しさと憤りが存在する。時折、猛然とぶち当たる海風が楼閣の合間合間から拭い出るように駆け抜けてくる。それがそこいらじゅう四方八方から聞こえて来るものだから、口々に観光客などは、
「住み着いた悪魔どもが自分たちを品定めなどして、ぴゅうぴゅうと口笛で威嚇してきているのではないか」
と、冗談混じりに揶揄する。と、そういった噂話さえ広まっている次第だ。
確かに、夜口笛を吹くと泥棒が来る、だとか、蛇がやって来る、だとか、日本には古来からの迷信のような言い伝えが存在するが、やはりこの場所が日本の、いや、世界の最新技術の中核であったとしても、何か古風な物の言いようで喩えられてしまう異様で不気味な建築物であるから、逆に民衆の好奇に晒されてしまうのも仕方の無いことなのかもしれない。
警察車両のライトが全て点灯されると、お約束のように回転灯が辺り一帯を朱に染めた。螺旋型のスロ-プの降り口には仰々しくもダンプカーまでがくぐれるほどの〔認証ゲート〕が存在する。が、そのゲートも数秒静止するだけの簡単な物で大して煩わしさを感じさせない。ただ、このゲートをくぐれば、何か別の意味で一種異様な別世界に迷い込んだ雰囲気に取り込まれてしまうのもやむを得ぬことである。
助手席の老賢人もこのゲートをくぐる際は終始無言で、それなりに時を同じくした山下刑事でさえもこの瞬間だけは言葉を交わしたという記憶がない。
ゲートを抜けた瞬間、
「山下君。わたしはこのヤマに関して必然と言ったが、どうも今日に限って言えば、何か別の意思を感じてしまうのだがね」
神谷警部補は何の脈絡もなく言葉を発した。しかし再び眼光をまぶたの奥に潜めると、現場に到着するまで終始無言を貫いた。
回転灯の赤が、観光客の不穏な表情を照らしだす頃、彼はそこが現場近くだと言う事を悟らずにはいられなかった。その不穏な表情が次第に密集し、好奇の渦に様変わりする。
無駄に高い建築物が日光の殆んどを遮っている。そのせいか、辺りは早々と街灯とネオンの光に彩られている。観光客の殆どは物珍しさからこの地を訪れる。が、中には様々な思惑を抱いてこの人工の大地に足を踏みとどめるのだ。
〔メソッコ〕は政府直轄の特別行政自治区である。……あるのだが、観光地区、繁華街などの特別エリアなどは国営化せず民間に委託しその運営の一部を賄っている。であるから、この地区はいつの間にか人と人との意思同士が重なり合い、錯綜する新たな舞台となりつつある、というわけだ。
山下刑事は民間企業が経営する45階建ての〔アフォート・ホテル〕の前に静かに車を停めた。幅員がやたら狭い道路に、他の警察車両、消防車両などが蟻が群がるように肩を並べている。その一円を囲むようにして野次馬どもが二重の円を描いている。
「ご苦労様です」
現場を維持する警官に向かい入れられ、山下刑事と神谷警部補は車から降りた。
「ガミさん、現場はこのホテルの34階だと聞きましたが」
「確かにねぇ。このホテルはこの近辺でもそれなりに値段の張るホテルだと記憶している。そのホテルでこんな事件が起きるとは、やっぱり何か別のものが絡んでいるのではないかと私は感じているのだがねぇ」
車両のドアを閉める際、神谷警部補はまた感懐深げな表情をしつつ、階上を見上げ腰に手を当てた。